寝る前に一仕事済ませておこうと文机に向かっていた。
気配を感じて振り向くと、夜衣を身に纏った三日月宗近がするすると近付いてきている。
何をするかと思えば、しゅっと衣擦れをさせて傍らに座り込んだ。しばし手を止めて反応を待ったが言葉は掛けられない。かといって仕事を再開すると、どうやらこちらを凝視しているようで、背後をじっとりと見えない視線が這ってゆく。
つまり声を掛けられたがっているのだ。散々居心地の悪い気分を味わった所でようやく気が付いた。
「主よ、今宵の月はいかがであろうな」
根負けして望み通りにすると、ゆるやかに笑ってそう言う。
障子を開けてみたが、生憎と闇夜のようだ。灰鼠色の雲を見上げて、明日は雨にならねばよいがと思う。
「よい夜だ。月を愛でたくはならんか」
彼の方は外を見ていないのか、相変わらず笑んだままそう続ける。彼が身じろぎをする度、ゆるく着付けた夜衣がしろかねの肌を滑っていく。
だが愛でようにも実際問題月は照っていない。反応に窮していると、鈍い奴めと言って少しく頬を膨らませた。
「ここにある」
ぐいと彼の手で顔を挟まれ、距離が縮まる。驚愕に瞬いた向こうに、常世の三日月を映す瞳があった。
「どうだ」
満足そうな声音。これがやりたかったのか。
美しいか、と問いながら身体をくねらせて更にこちらを覗き込んでくる。どうにか肩にかかっていた布が、肌を音もなく滑り落ちていった。視線の位置を固定されていても、夜闇に輝く白さが見えるようだ。
冷えそうだと合わせを持って着付け直してやれば、不満そうに頬を抓ってこちらを詰る。平素より飄々とした男だが、今度は一体何がしたいのだろう。
「本当に鈍いな、此度の主は」
するり、と、今度は三日月宗近の意志でもって夜衣がほどかれる。布地を掴んでいた手が、意図せず肌に触れた。ひいやりとしている。
「夜冷えの月ばかりではつまらんだろう。水面に映る月もよいものだぞ」
頬を撫でていた手が首に絡められて。気が付くと口付けられていた。拙くも煽るかのようなそれを軽く応えてから解くと、眼前の三日月は成程僅かに潤んでいる。頬を撫ぜてやれば陶然と細められた。
仄かに体温が上昇している。朱い舌がぬるりと出て来て唾液を舐めとる。それが存外妖艶に見えた。遠回しではあったがここまで誘ってきたのだ、彼の方もここで終わらせる気はないのだろう。出来るなら仕事を終わらせてからにして欲しかったが。
「主は俺より稚児の方が好みであったか」
溜息を吐いたのを聞かれたらしく、やや眉尻を下げて言われたので、そうではないと否定しておいた。だからといって彼が好みという訳でもないのだが。
ただ彼が唐突にこのような房事に及ぼうとした理由は、気になる。
続きをせがむように彼の腕はこちらの衣服を脱がせにかかった。観念して肩を抱き、褥に寝かしつけてやる。ついでに気になっていた経緯を尋ねると、何だそんな事かと呑気にのたまう。
「折角人の器を得たのでな。主に愛される悦びというものをこの身に刻んでおきたかった」
そう言ってまた、さも幸せそうに己が手に頬ずりしてみせるので、つい今宵きりでよいのかと問い返してしまった。
おじいちゃんの恋愛アプローチは平安らしく婉曲的だともえる。