シリフ霊殿
Schild von Leiden

螺旋の虎
 私にしては珍しく、目覚ましが鳴るより先に目が覚めた。
 というよりは、一晩ですっかり立ち直った真田幸村少年に叩き起こされた。
 (この立ち直りの早さは、ある意味賞賛に値する。)
「#奈々殿、朝でござるよ!」
「……朝」
 窓の外では朝日が上り始めている。日本語の定義で言うならば間違いなく朝だ。
 時計の針は四時半。
 念の為布団から出てテレビをつけてみたが、画面左上の時刻もやはり四時半だった。
「うん、朝だな」
 現代人、しかも働き盛りの仕事人間にしては些か早すぎる起床時刻だけれども。



「とりあえず着替えを渡しておくよ」
 自然番組の再放送を興味津々で観ている幸村に、箪笥から出した洋服を渡す。
 いつまでもバスローブのままでいさせる訳にもいかない。
 気が済んだら着替えなさいと言い残して、自分は浴室へ向かう。
 昨夜は何だかんだで結局風呂にも入らなかったのを思い出したからだ。
 目覚ましも兼ねて少し熱めのシャワーを浴びて出てくると、
「……幸村?」
 洋服を知らぬ赤犬がTシャツと格闘していた。
「#奈々殿、この着物、合わせがありませぬぞ」
 そうだ、戦国時代といえば着物だった。
「頭から被るんだ。あーその……鎧着る時みたいに」
 鎧は果たして頭から被るものだったかどうか。
 成程!と言ってすっぽりやってくれたので良しとしておこう。
 ……ついでにジーパンのファスナーの止め方も教えてやらねば。



「私はもう少ししたら仕事に行くからね」
 だから夕方まで留守番を頼むよ、と言うと、
 幸村は器用にもいり卵を一つずつ摘んでいた箸を止めてきょとんとこちらを見た。
「ここでは武士のように、他人から物を納めてもらって暮らしている人間はいない。
 必ず何か職に就いて、その稼ぎで暮らしているんだ」
「し、しからば某も」
「それよりまず君に必要なのは、この世界の常識を学ぶことだね。
 少なくとも今日一日はこの家にいて、本を読むなり何なりして知識を蓄えなさい」
「……」
「あ、今日のわんこ」
「ぬ?」
 つられてテレビの方を振り向いた隙に、さっさと皿を片付けて身支度を整える。
「腹が減ったら鍋のシチューあっためて食べて良いからね」
 一言残してドアを閉めたはいいものの、


 (そういえば戦国時代に電子レンジというものは存在しないんだった)





 案の定、という言葉はこんな時の為に作られたんだろう。
 仕事を早めに切り上げて帰って来て良かった、と溜息を吐く。
「#奈々殿ぉ……」
 台所はコンロの前でへたり込む幸村。
 焦げ臭い臭いは多分、コンロの上の焦げた鍋。
「何をしたんだい?」
「温めよと申されたので……こ、虎炎を……」
 コエンというのが何なのかは判らないが、エンとつくからには何か炎なんだろう。
 成程、それでこの惨状か。
 ……この、上の換気扇のヘコミもそのコエンとやらの影響なのかな?
 とりあえず幸村を押しのけて被害状況を確認する。
「やられたのは鍋と中身と換気扇くらいか……この程度で済んで何よりだ」
「申し訳ございませぬ……」
「気にしなくて良いよ」
 言ってはみるが、Tシャツを着た犬はすっかり耳を垂れて凹んでしまっている。
 溜息を吐いて、元気を出させるつもりで頭を撫でた。
「丁度良かったんだ、明日は休みのついでに買い物に行く心算だったからね」
「買い物でござるか?」
 垂れた耳がぴくりと反応する。
 (これは、ひょっとしなくても私の幻覚かい?)
「君にいつまでも父さんの似合わない服を着せ続ける訳にはいかないからね。
 連れて行って服を見ようと思っていたから、鍋もついでに買ってくればいい」
「え、某も……?」
「私に重い鍋を家まで抱えて帰って来いと言うのかい?自慢だが私は体力なんて無いに等しいぞ」
 これは恥ずかしながら事実。
 スーパーの袋を抱えて道端で膝をついた事も何度となくある。



「お供致しまする#奈々殿!」
「ああ、ありがとう」



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