シリフ霊殿
Schild von Leiden

螺旋の虎
 人間、闇雲に走り回りたくなったり、何処かへ消えてしまいたいと思う事がある。
 主として現実逃避に。
 彼は恐らくそれ程の精神ダメージを受けてこちらへ来たのでは無いだろうか。


 かつての私の様に。





 隣から聞こえてくる物音で目が覚めた。
 眠れないのか何度も寝返りをうつ音と、心なしか荒い息遣い。
 額に手をやってみると、案の定熱い。
「……やっぱりな」
 呟いて、氷水を取りに台所へ向かう。
 ついでに解熱剤の一つでも取ってこようかと思ったけれど、これには多分効かないだろうから止めた。



「……#奈々殿?」
 水で濡らしたタオルを額に当ててやると、目を覚ましたらしくこちらを見てきた。
 その目が潤んでいるのは、果たして熱のせいだけなのだろうか。
「幸村、訊き難い事を訊いてもいいかい?」
「はい」
「君のお館様とやらに、何かあったんだね」
 君がこちらに来る直前に。
「……はい」
 幸村は何かに耐えるように目を閉じた。
「先日何者かに不意打ちを食らい、深手を負われた。
 何処の手の者かは分からぬが……某は、あの男にやられたのだと信じて疑わぬ」
「……」
「医者に明日をも知れぬ身と言われた途端に、気が遠くなって……」
「それで、気がついたらここか」
「はい」
 そう言って幸村は自嘲的に笑った。
「凄いな#奈々殿は、他心通でいらしたか。某の思いを全て読んでしまわれるとは」
「他心通?」
 ああ、テレパシーの事か。
「私にはそんな特殊能力は無いよ。ただ、君と同じ思いをした事があるだけだ」
「#奈々殿が?」
 返事はせずに、汗ばんだその額をただ撫でてやる。


「私の両親も、殺されたようなものだからね」


 自動車事故、と言ってもこの少年には判るまい。
 だからこれ以上は何も言わない。
「不思議だとは思わなかったかい?女一人暮らしなのに布団が二つある。
 今君が寝ているのは、私の父親が昔使っていた布団だよ」
 幸村は驚いたように自分の寝ている布団を見た。
「父親は即死だった。母親は私を庇って死んだ。
 世間的にはただの事故なんだろうけどね、私には殺されたようにしか見えなかった」
 酔っ払い運転とかいう暴走車が急に突っ込んできて。
 母さんは私を庇うように抱いたまま、車外へ放り出された。
 通夜と告別式の済んだ晩、私は高熱を出して寝込んだ。
 丁度、この少年と同じように。
「……まあ、私には君のように異世界へ逃避するような技量は無かった訳なんだが」
 叔母に看病してもらって、その時に両親が死んでから初めて泣いた。
 一晩、止まらなかった。
「一晩泣いて、熱を下げた」
 起きたら大分ふっきれていた。とは、今は言わないでおこうか。
 涙と睡眠は傷付いた精神にとって無くてはならないものなのだとその時知った。
「だから君には少し近いものを感じるね。きっと君も少し泣く羽目になるだろう」
「しっしかし某は……!」
「人は城、人は石垣、人は堀。情けは味方、仇は敵なり」
「っ」
「とりあえず泣け。少々疲れるが心は落ち着く。
 ……何、身体が弱った時は心も弱るものだからね。熱のせいにしてしまえる」
 こんな無邪気そうな少年に何をくどくど悩む事があるものか。
 全くもって馬鹿にしていなかったと言えば嘘になる。



 少しして幸村は、はた迷惑な程の大声で泣き喚き始めた。
 ……ああ、泣くがいいよ。



元は乱世乱舞を読んで書いたものなのでお館様がいません
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