奥から甘い匂いがする。
ここの屋敷の調理場は広い。
毎日三度の食事を作る場所とティータイムに出るスイーツを作る場所が繋がっているからだ。
食堂に近い方には光秀の居る食事用の厨房があり、
少し奥へ行くとスイーツを焼くオーブンを始め数多の菓子作りの道具が並ぶ場所へ出る。
漂ってくる甘い匂い、今日のスイーツはクッキーだろうか。
オーブンの前では、小十郎がクッキーの焼き具合を見ていた。
少し傍まで寄ると、小十郎は私の気配に気付いたらしくこちらを向いた。
「お嬢様……申し訳ございません、本日のスイーツはまだ」
「いいのよ、暇だったから来ただけ」
小十郎はそうですか、と言ってまたオーブンの方を向いた。
ここまで良い匂いがしているなら、焼きあがるのはもうじきだろう。
そういえば小十郎がスイーツを作っているのを実際に見るのは初めてだった。
「また幸村を叱ったみたいね」
「ええ、食堂のテーブルクロスを皺だらけにしましたので」
小十郎はオーブンの方に目をやったまま答えた。
「随分怯えていたわよ。もう少し控えて頂戴」
「しかし、お嬢様のお世話を任されるからにはやはりそれなりの者でなくてはなりません。
今は辛くとも、その為の修行と思えば真田の気苦労も薄れましょう」
「それは分かるのだけれど、叱るのならもう少し声量を落としてもらいたいわ。
屋敷中に響くのだもの。昨日も勉強に集中できずに元就に叱られてしまったじゃない」
言ってから随分な八つ当たりだとは思ったけれど、
小十郎が律儀に申し訳ございません、と返してきたので言い直せなくなってしまった。
「さて、そろそろか」
小十郎がオーブンを開けると、クッキーの良い匂いが一層強くなった。
狐色のクッキーが天板の上に行儀良く並んでいる。
小十郎はその中から一際良い色をした一枚を摘み上げると、
「内緒ですよ」
私の手の上に乗せてくれた。
「知れると煩い輩も居るんでね。毛利なんぞにまた説教を食らいませぬように」
「あら、気にしていたの」
思わずそう言うと、小十郎は眉間に皺を寄せてそれなりに、と言った。
手の上のクッキーはまだ湯気を立てるほど暖かい。
私は苦笑してありがとう、と言った。
「クッキー一枚のカロリーを考えると、食後の紅茶の……」
小十郎が面倒な計算を始めたのが分かったので、クッキーは急いで口に運ぶ事にした。
家事担当:片倉小十郎