シリフ霊殿
Schild von Leiden

あなたへ、
 京の都は夜でも眠る事は無い。
 月が出れば男はいそいそと女の下へ牛車を向かわせ、
 それが望月であれば縁側で月を眺めつつ歌の一つでも詠んでみたりするし、
 また月が出ようと出まいと日が暮れれば妖達は得たりとばかりにうろつき始める。
 うっかり護符も持たず外出してそんな彼らの餌食となる人間も居たりするのだが、それはさておいて。
 夜である。
 夜なので空には星が瞬き月明かりが仄かに差し込んでいたりもするのだが、今回は余り関係が無い。
 刻限は直に丑の刻。妖の活性化する刻限である。
 しかし既に牛車もそれぞれ目当ての相手の屋敷に収まり、人通りは少ない。
 縁起の悪い方角のしかも陰陽師の屋敷ともなれば、人が来ないのは尚更だ。
 故に昼であろうが夜であろうが、この式神使いの屋敷は平和である。
 少々騒がしい事を除けば。





「貴様ら、主を知らぬか!?」
 珍しく慌てた様子の元就が部屋に飛び込んで来た。
 どたたたばたん、などという彼らしくない擬音つきで。
「えーご主人様?知らないけど」
 佐助が水干を繕う手を止めて言った。居合わせた幸村、元親も首を振る。
 元就の後から入ってきた政宗だけが、話の内容を知らずにきょとんとしていた。
「Hey、元就さん、Masterの護衛どうしたんだ?分身でもしてんのか?」
「護衛……だと……」
 ゆらり、と元就が政宗の方を振り向く。
「だってMaster、さっき禊に行くっつって出てったぜ。元就がついてるからって」
 しばしの沈黙の後。
「……あの、馬鹿主がっ!」
 元就が主君を罵るのを初めて聞いたような気がした。
 苛立ちが収まらないのか、傍の柱に拳を叩きつけて怒りに震えている。
「ま、まぁまぁ、落ち着きなよ九尾の旦那。
 ご主人様が勝手に出かけちゃうのなんて今に始まったことじゃないし……」
「今に始まった事では無いから困るのであろうが」
「まぁそりゃそーなんだけどさー。
 九尾の旦那ならご主人様の行きそうな所くらい大体分かるんじゃないの?」
 佐助に宥められて、元就はようやく矛を納めたらしい。
 怒りを吐き出すように、深い溜息を一つ吐いた。
「佐助」
「何?」
「付いて来い」
「……いきなりだねぇ」
 それでも年長者の言葉には従うのが暗黙の了解である。
 元就が珍しく焦ったような表情で自分を見つめているとなれば尚更だった。
「行き先は知っている。我が外出の支度をしている間に勝手に出て行ったのだ」
「あ、じゃあ簡単じゃん」
「主の行き先は糺の森だ」
「……え」
 賀茂川のほとり、神社の裏手に小さな森がある。
 罪人を裁く場としても良く使われる場所だ。
 糺(ただす)の森という名称で呼ばれるその森は地中深くに水源を持ち、
 それがそこかしこに湧き出しては清流を成している。
 古来より此処で禊をすれば霊力が高まるとの言い伝えがあり、
 神事の前には神社の巫女なども禊にやって来る。
 が。
「えーあの辺、最近性質の良くない妖がうろついてるとか、噂なかった……?」
 僅かに顔をひきつらせる佐助に、元就は眉間に皺を寄せる事で応えた。
「だから貴様に付いて来いと言っている」
「あーはいはい」
 しょーがないねぇ、と溜息を吐きつつ佐助は腰を上げる。
 主人が危険と聞いて、残り三人も後ろをぞろぞろとついて来るのは自明の理。





 けして広いとは言えない面積の森には、既に妖の気配が満ちていた。
 満ちすぎていて、逆に本体の居所が定め難い。
「佐助、やれ」
 元就が短く命じる。
「……やっていいの?」
「良くなければやれとは言わぬ」
「ご主人様も居るよ?」
「主は我が守るゆえ心配は要らぬ。
 少々驚きはするであろうが、勝手に外出した報いとでも思って貰え」
「へいへい」
 佐助がすっと右手を上げると、何処からか数条の雷が森のあちこちを直撃した。
「はにゃぁ!?」
「あ、ご主人様居た」
 元就の宣言通り、驚きはしたが実際雷の被害を被った訳では無さそうだ。
 代わりに少し離れた所でぎゃっと動物の断末魔のような鳴き声が上がる。
 恐らくあれが燻り出そうとしていた本命だろう。
「はい残念、逃げられないからね〜」
「つか、何で雷なんか使ってんだよ」
「いや〜この辺俺様の縄張りですから。ちょっと本気をね」
 賀茂川には二つの大きな神社が存在する。
 片方の祭神賀茂建角身命は八咫烏として人々の前に降り立つという伝承を持ち、
 もう片方の祭神賀茂別雷命はその孫で、雷によって厄を祓う力を持つ。
「俺様八咫烏だから、この近く限定でならこういう事ができるって訳」
「そーかよ……」
 妖力を得て生き生きしている佐助とは反対に、お株を奪われた政宗は少々げんなりしている。
 が、その直後ふっと感じた違和感に、思わず佐助の服を引っ張って止めた。
「おい佐助、その辺にしとけ」
「え?」
「逃げたぞ、あいつ」
「げ、嘘」



「使えぬ者めが」
 地に降り主人の元に向かった佐助達を出迎えたのは仏頂面の元就だった。
 ごめんなさいと頭を下げる以外に無い。
 元就の腕の中の#奈々は恐怖でか少し震えていたが、襲われた様子は無い。
「ともあれ主殿は無事でござるゆえ、一度屋敷に戻ってもよろしいのでは?」
「いや、そうもいかねえ」
 佐助のフォローをしようとした幸村の意見を元親が打ち消す。
「さっきの攻撃で、敵さんがどんな奴かは大体分かったぜ。あの手の妖はしつけえ。
 おまけに闇に紛れて気配を消せる能力の持ち主ときたもんだ」
「いつ隙を突かれるか分からぬし、屋敷までつけて来られると厄介だ。
 何より主を狙っておるというのに放っておく訳にはいくまい」
「出たよ、ご主人様大好き節」
 佐助が軽口を叩いて肩をすくめた。
「でも、じゃあどうする?もっぺんどうにかしておびき出さないといけないよ?」
 一度痛い目にあっているのだ、雷には向こうも警戒しているだろう。
 しかし、かといって他の方法となると、これがすぐには思いつかない。
 一同の間にきまずい沈黙が流れた。
「……ねぇ」
 元就に隠れるようにして立っていた#奈々が恐る恐る言葉を発した。
「元就、ちょっと、手外して」
 もう一度いなくなられては敵わないと思ったのか、
 元就は#奈々の手首をしっかりと掴んだままなのである。
「いや、もう本当に勝手にどっか行かないから!ちょっとだけ離して、ね」
「……」
「良いだろ元就、この森の中じゃ逃げるったってたかが知れてる」
 渋々元就が手を離すと#奈々は即座に踵を返し、何を思ったのかいきなり近くの湧き水の中に飛び込んだ。
「ちょっと、何やってんのご主人様!」
「……ちべたい」
「当たり前だろうがこの馬鹿!」
 幸いというべきか、湧き水は浅く溺れるには至らない。
 尻餅をついたがそれも精々腰までだ。
「主殿、お怪我は!」 
「ねーだろ、自分から転んだんだから」
 政宗と幸村が両方から手を掴んで助け起こす。
 言葉通り、衣服が濡れただけで怪我と呼べるような怪我は無かった。
「つか、ホントいきなり何しでかすんだあんたは……」
「いやーこれで出てくるかなって……くしっ」
「言い訳は良い。体調を崩す前に早く身体を拭……っ」
 ぞくり、と背筋をえも言われぬ感覚が走る。
 妖気のようで妖気でないもの。悪寒とも快感ともつかないもの。
 謎の感覚に身体を振るわせた直後、背後の闇がはっきりと分かる程に揺れた。
 先刻まで隠していた気配を剥き出しにして、今にも#奈々に飛び掛ろうとしている。





 討伐するのに時間はかからなかった。
 #奈々の手柄といえば、手柄である。
「この森の川にはね、霊的な力を高める効果があるの。
 少しは陰陽師稼業の足しになるかと思ってたんだけど、もしかしたらと思って」
 妖を惹きつけ惑わせる天性の『力』。
 それを川の水を浴びる事によって増幅させ、興奮した妖をおびき出したのだ。
「……うん、まぁね。助かったけどさ」
「?」
「今度からいっぺん考え直すか十数えるかしてから行動してくんねぇか、Master」
 ただしこの方法を用いる際には、式神も立派な妖である事を事前に考慮に入れておく必要がある。
 普段から傍に居て慣れているとはいえ、いきなりの事で油断していたらしく、
 全員が増幅した力の余波をまともに食らってしまった。
「ちょっとマジ……Sorry、立ち直るまで待ってろよ」
「あー……ヤベェ、モロに喰らったなこりゃ」
「くらくらするでござるー……」
 力の種類は魅了の能力。妖によって与える効果には多少の差があるが、
 大抵は異常な興奮、思考力低下、術者への攻撃願望、もしくは欲情である。
「貴様ら……主に襲い掛かりでもしたら殺すぞ」
「いや、今の所その可能性が一番高いのは旦那だからね」
 魂が同化している身には余波もきつかっただろう。
 四匹の式神達はこっそりこの九尾に同情した。
 例え当人が面と向かって辛いと言わなくとも、
 力の限り爪を立てられ傷だらけになった樹木が全てを物語っている。
 持ち直すには時間がかかるが、先に帰っていろとも言えないのが辛い所だ。



「とりあえず、ご主人様……禊ならと思って布持って来てあるから、身体拭いて」
「あっ、うん」
「帰ったら元就の説教覚悟しとけよー」
「えぇぇぇぇ何でぇ!?」



禊川
前<< 戻る >>次