シリフ霊殿
Schild von Leiden
あなたへ、
朝起きたら頭が痛かった。
(あ、元就に怒られる)
真っ先に浮かんだ言葉がそれか、と我ながらツッコミたくなったが、
不思議と彼には#奈々の変調がすぐ分かる。
例えば少し眠いとか頭が痛い程度でも仕草から察するし、一度変装してみた時もあっさりと見抜かれた。
そして隠そうとしてもしなくても、結局はお説教を喰らう羽目になるのだ。
何故分かるのかと尋ねれば、『魂を捧げた主の事が分からぬ筈はない』と一言。
それでは#奈々には分からない。
聞きたかった答えとは微妙にずれている気がする。
ともあれ朝なのだ。起きなければ。
「風邪だ。寝ていろ、主」
起きる前に元就に注意をくらった。
眉間に三割増皺が寄っていた。
(とりあえずごめんなさいと謝っておいた)
「あっ主殿ぉぉぉ!」
「煩瑣い黙れ!主の身体に障るであろう!」
「旦那旦那、旦那も充分うるさいから」
式神達の何でも無い会話が、今日はがんがんと頭に響く。
どうやら本格的に風邪を貰ってきてしまったらしい。
そしてそれに追い討ちをかけるように、枕元で元就が滔々と説教をたれている。
眉間の皺は相変わらず三割増だ。
「日輪が落ちてから外出をするのは控えよと言った筈だが」
「うー……だってあの霊草は夜の内しか摘めないんだもん」
「そのような時のために我らが居るのだ。主自ら危険の方へ赴いてどうする」
「だって、それで皆が風邪ひいちゃったらやだし」
「妖は人間ほど柔ではない。寝込んだ主の世話をする方が何倍も大変だ」
「あううう……」
布団を頭まで被って頭痛に苛まれているを部屋の隅で四人が気の毒そうに見ている。
式神の長とも言うべき元就に、中々口を挟めないのだ。
「まあまあ九尾の旦那、お説教なら治ってからでも出来るんだから」
見かねた佐助が止めに入り、はようやく元就の説教から解放された。
「それでご主人様、具合はどうなの?」
「どうというか……頭が痛い」
「どれどれ」
額に当てられた佐助の手が心地良い。
「うっわ、熱あるじゃん。もー何で早く俺らに言わないの!」
「……ごめん」
だって、自分じゃ熱あるかどうかなんて中々分からないんだもん。
布団に更に顔を埋めながら言うと、佐助は苦笑して溜息を吐いた。
同じような反応しても元就とはやっぱり雲泥の差だなぁ、と何となく思う。
「じゃあ、俺様ちょっと出かけてくるから」
「え」
「ご主人様、いい?」
「いい……けど、何処行くの?」
「ちょっとね。すぐ戻るから安心して」
言うが早いか佐助は背中の羽根を羽ばたかせて飛んで行ってしまった。
布団の中から目で後を追うと、もう大きな烏の姿になっている。
足は三本。佐助の本性の八咫烏だ。
何処に行くんだろうかと首を傾げる#奈々の枕元で、元親も腰をあげた。
「俺もちっと出かけさせてもらうぜ」
「そうだな、俺も行くか。Master、すぐ戻ってくるからな」
「え」
元親に呼応するように、政宗も縁側を蹴って何処かへ飛び立つ。
「し、しからば某も」
最後に慌てて追いかける形の幸村が続いた。
一瞬の、沈黙。
「も、元就は?どっか行かないの?」
「我はここに居る」
「……そっか」
とはいえ元就は相変わらず眉間に皺を寄せたままなので、とても気まずい。
「……元就」
「何だ」
「ごめんね、その……風邪ひいちゃって」
「もう気にしておらぬ。済んだ事をくどくどと言っても詮無かろう」
嘘だ。だってそんな機嫌悪そうな妙な顔ばっかしてるのに。
面と向かって言う事は出来ないけれど、確信は持てる。
いつものように護衛して貰っているだけの筈なのに、何かが違う。
こんな厳しそうな顔の元就は見た事が無い。
せめていつもみたいに尻尾枕にさせてくれるくらいには機嫌直してくれないかな。
ぼんやり考えながら、#奈々は布団の中でうとうととし始めていた。
冷たい、額の冷たい感触で目が覚める。
「あ、ごめんね。起こしちゃった?」
目を開くと、先刻出て行った筈の佐助の顔があった。
「あれ佐助、出かけたんじゃ……」
「帰ってきたの。言ったでしょ、すぐ戻るって」
開け放した縁側から日が差している。うとうとしていたのはほんの半刻程らしい。
「大急ぎで分けてもらってきたんだ、これだけ」
そう言って佐助は#奈々の額を指差した。
正確に言うと額の上にある、冷たい何かを。
布団から手を出して触ってみる。少し湿った布の感触がした。
「何、これ?」
「氷」
大きな氷の塊を、小さく砕いて布に包んであるらしい。
「知り合いに式神やってる奴がいるんだけど、そいつのご主人様が氷使いでね」
頼んで作ってもらったの、と言って、佐助はふにゃりと笑った。
「希代の陰陽師・#奈々殿の一大事って言ったら、快く作ってくれたよ」
「一大事って……大袈裟だよ。別に希代って程でもないし……」
「大袈裟じゃないって、俺様達にとっては一大事だし。九尾の旦那もそうでしょ?」
「……何故我に話を振る」
「だって、この半刻ずっと一人で護衛してたんでしょ?
身体弱ってるのに、ご主人様に敵が来たら大変だから」
「佐助」
「おっと、怖いねえ」
今の台詞、身体が弱っているのは#奈々か、元就か。
元就だとして、それは何故なのか。
元就の一睨みで佐助が黙ってしまったのでよく判らない。
順当に考えて前者だろう、と#奈々は思った。
そうだとすれば少しだけ気は楽だ。
少なくとも自分を見捨てようとする程、元就は怒ってはいない。
「あの夜雀はどうであった」
元就はその式神をやっているらしい妖の方に話をそらした。
「かすが?元気も元気、相変わらずご主人様大好きよ。俺様驚かれちゃった」
「驚かれた?」
「お前が主を持つなんてらしくない、って」
佐助が肩をすくめた所で、戸口で何か重い物を落とすような音が聞こえた。
「え、な、何?」
「今度は竜の旦那だね」
佐助は戸口の方を見もしないでそう言った。
「Master」
その言葉の通り、部屋に飛び込んできたのは政宗である。
少し息を切らしているのは、先刻の重い物をここまで担いできたからだろう。
「知り合いの山童に米分けてもらってきた。後で粥作ってやるからな」
「米って、旦那まさかここまで米俵担いで来たの?」
「Of course。Masterの危機に比べたら軽いぜ」
「また大袈裟な……たかが風邪だってば」
けほん、と咳をしながら言うと、政宗は思いきり眉間に皺を寄せた。
政宗だけでは無く佐助も、丁度帰って来て戸口で今の台詞を聞いたらしい元親も。
元就は相変わらず眉間に皺を寄せっぱなしで良く判らない。
「ちょっと九尾の旦那、まさかご主人様に何も教えてないの?」
「何の事だ」
「あーこれ絶対教えてないね全く……ご主人様が風邪引いたらどうなるかって事!」
「主が知る必要はない」
「ちょっと皆何の事話して」
「主殿!」
呼ぶ声に縁側の方に顔を向けると、黒い狼が一匹立っていた。
尾は二本。幸村だ。口に何かを銜えている。
狼はそのまま縁側に上がり、いつもの耳と尾だけ残した人型に変化した。
「病に良いという木の実を見つけましたぞ!」
周囲の雰囲気などお構い無しに、幸村は手にしたそれを#奈々に差し出す。
手の平の上で光っているのは、赤い小さな木の実。
#奈々以外の四人の目付きが、一気に驚いた時のそれに変わった。
「お前、それ……どっから取ってきた?」
「山の向こうでござる」
「山って……二つ三つ越えたくらいの所にゃねえぞこんな実!」
「噂で存在は聞いた事あるけど……あれーこれって基本大陸のもんじゃなかった?」
「半刻でそんな所まで行って帰ってきたのかお前は……」
幸村は政宗よりもずっと息を切らしていた。
切らしながらそれでも、それが何か?と言いたげに首を傾げている。
「主殿、これを食べて精をつけて下され!」
「……うん、ありがとう」
そう笑ってみせると、幸村もにっと元気そうに笑った。
そんな#奈々の目の前に、湯気を立てた湯呑みが差し出される。
「そんじゃ、こいつは俺からだ」
「元親……何、これ」
「卵酒だ。苦労したんだぜ、良質の酒手に入れんの」
酒は苦いと言って滅多に飲まない彼女。
飲みやすいように、わざわざ苦味の少ないものを探してきたのだろうか。
くっと湯呑みを傾けて一口飲んでみる。
酒は難なく喉を通っていった。かすかに卵の風味がする。
おいしい、と思わず呟くと、元親も満足そうに笑った。
「飲んだら寝ろよ。俺もちっと寝るわ」
「はーい」
元親の横で、幸村も欠伸をしながら立ち上がる。
「……某も山道で少々草臥れてしまいましたゆえ、休ませていただいてもよろしいか」
「うん。わざわざご苦労様」
主の許しを貰った幸村は心なしかふらつく足取りで踵を返し、
そして次の瞬間派手な音を立てて倒れ込んだ。
「幸村!?」
全員が幸村の名前を叫ぶが、幸村は床に突っ伏したままぴくりともしない。
「……寝てんな、こりゃ」
政宗が幸村の頭を一つ小突いてから言った。
「馬鹿が、体力落ちてるってのに無理しやがって」
「二尾の力が弱まってる時に山越えなんて、きつかっただろうにねえ」
佐助が幸村の身体を、肩を貸して支える。
「ま、でも、大事な主人の為だ、これくらい軽ぃだろ」
もう片方の肩を元親が支えた。
「そうだねぇ。妖力にしろ体力にしろ、ご主人様が治れば回復するんだから」
ね、と佐助が#奈々と元就の方を見て微笑む。
やけに意味深だった。
佐助達が部屋を出て行って(政宗は後で粥作るからな、と言い残していった)、
部屋は再び#奈々と元就の二人きりになった。
元就の眉間の皺は相変わらず深いが、朝に比べれば大分柔らかくなっている。
と、思う。
皆がよってたかって色々言ったせいかもしれない。
「……もとなりー」
「何だ」
ふと、先刻浮かんだ疑問をぶつけてみる。
「皆が言ってた、あたしが風邪引いたら……ってどういう事?」
元就は深く重く溜息を吐いて黙り込む。
彼が#奈々の命令に従うのにこれ程躊躇するのは珍しい。
しばらくして、元就は言いにくそうに口を開いた。
「……式神は契約の際、主に己の身体の一部を差し出す」
「うん、知ってる」
「それが式神にとって重要な部位であればあるほど陰陽師の得る通力は大きく、
同時に式神の忠誠も、主への依存度も増す」
「それも知ってる」
「式神もまた差し出した部位を通じて、主から力を貰う事が出来る。
つまり、主と身体の一部を共有している事になる」
「それも知ってる……あれ?」
「故に主の不調は式神にも影響する。代償が大きいほど受ける影響も大きい」
#奈々は思わずまじまじと元就を見た。
顔色が悪いように思えるのは、今の話を聞いたからだろうか。
「元就……まさか」
「式神を操る陰陽師の心得ぞ。分かったならもう少し身体を労れ。
我も大分妖力が落ちている。このままでは主の護衛もままならぬ」
守っていて、くれたのだろうか。
病の床の主の為に何かを手に入れる人脈も、体力も、元就には無かったから。
布団の中でも懐に入れている守り袋をそっと握り締める。
手放すと式神を使役しにくくなるので、#奈々はこれを肌身離さない。
まるで身体の一部のように。
「幸村達……元気そうだったのに」
「あやつらの体力が尋常ではないだけだ。
そもそも本来の妖狼は山の十や二十越えたとて息切れはせぬ」
「そう、無理してくれたんだね、皆……元就も」
彼らが自分と契約してくれた時の事を思った。
皆、驚くほど大切なものを、惜しげもなく自分に渡してくれた。
そしてそれは全部、今#奈々が握っている守り袋の中にある。
ただ一つを除いて。
「元就……元就も、辛い?」
元就がくれた魂が何処にあるのかは分からない。
契約の時にもそういえば見なかった。
そもそもそんな形の無いものをどうやって渡す事が出来たのか。
疑問に思っていると、元就は#奈々の胸の辺りを指差しながら説明してくれた。
「魂や妖力など実体の無いものの場合は、契約時に直接主に吸収される。
見えずとも、我の魂は常に主と共にある。同化しているに近しい」
「……えっと」
それはつまり、主人の不調は、殆ど同じだけ元就に影響するという事だ。
元就の方を見ると、元就もこちらを見て、少し自嘲するように笑った。
何だかものすごく、何かを言いたかった。
それであたしの事すぐ分かるんだ、とか、元就はそれで苦しくないの、とか、
色んな事が頭を駆け巡っては消えたけれど、
「元就」
少ししてどうでもよくなって(頭が痛いのに難しい事は考えたくない)、
布団の少し横の部分をぽんぽんと叩く。
「主?」
元就はきょとんとして首を傾げている。
「寝よう、元就。辛いんでしょ。だったら楽になるまでここで一緒に寝よう」
「しかし、我は主の護衛をせねば」
「元就が傍に居たら寄って来ないよ。だから、ね?」
元就はそれでもしばらく渋っていたが、
#奈々がもう一度布団を叩くと、観念したようにそこに寝転がった。
「この姿勢だと尾が枕に出来ぬが、良いのか?」
「いいよ別に。いいから元就もうちょっとこっち来て」
「……病の時は人恋しくなるというからな」
溜息と共に、頭の下に腕が差し込まれる。
尻尾の代わりに腕枕をしてくれるという事らしい。
もう片方の手は、午睡をする時のように背中を優しく叩いてくれている。
「ふふ」
嬉しくて、目の前の身体にぎゅっと抱きつく。
温かい。熱にうなされる身体に彼の体温が心地良かった。
「こら、寝るのではなかったのか」
「寝るよーもうちょっとしたら」
「早う寝よ。治るものも治らぬぞ」
「はぁい」
答えながらも離れないでいると、頭の上から元就の眠そうな溜息が降ってきた。
「まこと、主の世話は手がかかる」
「……あー」
「どうした?」
「竜の旦那、やっぱお粥作んのもう少し後にしようか」
「何だ、俺の渡した酒が回ったか?」
「それもあるかもね。とにかくご主人様、今すっごい可愛い顔で寝てるからさ。
目が覚めるまでは邪魔すんの止めとこうと思って」
「I see。起きてから、そいつの木の実と一緒に持って行ってやろうぜ」
「あるじどのー……zz」
「いやー羨ましいねえ、九尾の旦那。ご主人様に看病してもらえて」