シリフ霊殿
Schild von Leiden

あなたへ、
 如月、桃の盛りである。
 時折東風が吹き、その度に強い桃の香りをその身に乗せて運んできた。
 また時には香りと共に、幾許かの花弁も散らして連れて来る。
 風に舞う花弁を目を細めて見つめていた#奈々は、
 同じ花から散った五枚の花弁を見て、何かを思いついたらしくふっと笑った。
「たまには、いいよね」
 懐から扇を取り出し、風に乗った五枚をふわりと仰ぐ。
 仰がれた花弁は一瞬浮き上がり、風の流れに逆らって何処かへと飛んでいった。
 一枚は街へ、一枚は上空へ。
 #奈々はそれを目を細めて眺めていた。





 人里を歩くのは、好きだ。
 妖の中には人嫌いも居れば人などただの餌と言い切るような輩まで様々だが、
 少なくとも元親はこうして人に化け人と触れ合うのは嫌いでは無い。
 そもそも鬼は人に近しい妖である。
 人の波をぬうようにして市を歩き、出会う人間と親しい会話を交わす。
 都での元親の楽しみの一つだった。
「……ん、どした?」
 道を往く子供達がしきりに自分に視線を送ってくるのを見て首を傾げる。
 どうやら頭を指差しているようだ。
 髪でも跳ねているのかと手をやると、柔らかい感触のものが指に当たった。
 淡い色をした花弁である。
 見回してみても、周囲に花が咲いている様子は無い。



 大木の枝に寝そべって、政宗は杯を傾けていた。
 宙に投げ出された尾がゆらゆらと揺れている。
 政宗は春が好きである。特に花の咲き始めるこの季節が一番好きだ。
 理由は花見の名目で酒が飲めるからという真にけしからんものではあるけれど。
 恐らく、雪見酒が飲めるという理由で冬も好きなのに違いない。
 ともあれ、春である。春なのですなわち大っぴらに酒が飲める。
 幾度目かの杯を傾けようとした所で、一枚の花弁がその水面に降って来た。
「……Wow」
 政宗の居る桜の木は、ようやく蕾を膨らませた所である。



 くるくると天を仰いで幸村は回る。
 天に向かって手を伸ばしながら笑って、回る。
 捕らえようとしているのは花弁である。
 傍から見れば花弁にじゃれる仔犬以外の何物でもない。
「主殿の匂いがするでござる」
 ようやく手の内に納めた花弁にそっと鼻を寄せ、残り香を確かめる。
 桃の甘い香りに混じって、微かにこの文の送り主の香がするのだ。
 香りだけで味などしないのだが、試しに口に咥えてみる。
 甘い香りが口の中にも広がった気がした。
「……さて」
 この文が何処から送られてきたのか、風を嗅げば分かるだろうか。
 幸村はもう一度天を仰いだ。



 雲にも届きそうなこんな上空に、風に煽られただけの花弁が飛んでくる事などまずあるまい。
 まして、翼を羽ばたかせて飛ぶ自分に追いつきそうな速さでなど。
「はいはい、お呼び出しね」
 軽く肩をすくめて、佐助は目の前まで飛んできた花弁を受け取った。
 大人しく手の平に収まる様子が、何だか急かしているようにもとれる。
「すぐ行くから、ちょっと待ってて」
 花弁を大事そうに懐にしまう。
 ただの文としての役割しか持っていないものだ。用事が済めばただのモノである。
 それでも主君からもらったというだけで何だか特別なもののような気がして、捨てられそうに無かった。



 桃の花を見た時、ふと思い出した。
 思わず見つめていると、目の前でふわりと静止する。
 まるで受け取ってもらうのを待っているかのようだ。
 手の平を出すと、花弁は踊るようにその上に降りてきた。 
「……何だ、出来るようになったのか」
 この術を主に教えたのは自分だ。
 何か陰陽師らしい術が使いたいとせがまれ、なるべく簡単そうなものを選んで教えたのである。
 当然作法を語って聞かせただけで出来るようになる訳もなく、
 しばらくはそこら中に花吹雪を作りながら出来ないとべそをかいていた気がする。
 それも何年前の事か。月日の流れを改めて感じた。





 式神を呼び出すのに半刻もかからない。
 呼んでいる事に気付きさえすれば、妖の足の速いのは知っている。
 ただ今回は少々面倒な事をしたので、呼んでいる事に気付くのに少しかかるだろうと予想をつけていた。
 予想より随分と早く来てくれた事が何となく嬉しかった。
「ご主人様、お呼び?」
「うん、およびー」
「随分とCoolな事してくれたじゃねェか」
「でしょ?たまにはね」
「まさか覚えていたとはな」
「失礼な、あたしもういくつだと思ってんの元就は」
「して、今回は何の御用で?」
「ああうん、えっとねー……」



 如月、桃の盛りである。



桃花
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