「出かけようか」
#奈々が唐突に外出の準備をしながら言った。
「おお!して、今日は誰をお連れに?」
幸村が嬉々として尻尾を振る。
主の外出の時には、式神の中から誰か一人が護衛につくのが暗黙の了解だ。
「うーん、今日は皆で行こうと思ってるんだ。元就か、幸村か……幸村に頼もうかな。車ひいてよ」
「かしこまってござる!」
幸村が大張り切りで車をひいてきた。佐助が烏に変化してその屋根に止まる。
元就は車に乗った#奈々の膝の上に、政宗も蛇に化けてその袂に潜り込んだ。
そして最後に可愛らしく着飾った女の童……の姿をした元親。
しずしずと牛車に乗り込み、一同の顔を見てにっこりと笑う。
「それでは参りましょう、#奈々様」
「ぶっ!」
元親を除く式神全員が吹き出したのは言うまでもない。
#奈々だけはにこにこと笑って眺めている。
「んだよお前ら、陰陽師が術の依代に女童連れてんのは普通なんだぜ?」
頭の簪を振り乱して抗議する元親。
獣に化ける事が出来ない鬼は、代わりに色々な人間の姿をとる事が出来る。
普段のような男の姿から老人、女、小坊主などになる事もある。
勿論女童にも化けられるし、陰陽師についていくのならそれが一番自然だろう。
「頼む、せめて俺らの前では喋り元に戻せ……Please……」
が、本性を知ってる彼らには笑いの種でしかない。
政宗が手も足も無い蛇の姿で身を捩って笑う。
元就も笑っているらしく、#奈々の服の布越しに小刻みな振動が伝わってきた。
「あーっ、元就まで!ったく……これなら文句ねえんだな?」
「声も戻せー!」
狼の牽く牛車はゆっくりと夜の都を往く。
政宗には主が何処へ向かおうとしているのか見当もつかなかったが、
人の気配が減っているので、少なくとも都から遠ざかっているのは分かる。
「で、何処行くんだ、Master?」
袂の中から尋ねると、んー、と間延びした返事が返ってきた。
「山」
「はあ?」
「山というと、あの山か?」
「うん、あの山」
元就には話が通じているらしい。
一口に山といってもこの都一帯山に囲まれてるようなものなので、
政宗には山の名前などそれこそ山のように思いついて特定できない。
「なぁ、山って何処の山だよ」
「向こうの山」
「分かんねっつの」
「元就がね、前に治めてた山」
「あ?何だよ元就さんそんな事やってたのか」
「悪いか」
途端に不機嫌な声で返事が返って来た。
ここ数年の付き合いで馴れたが、元就にとって主と会う前の事は鬼門らしい。
思い出したくない、という事だろうか。
全く話題に出さない訳でもない代わりに、話す時は妙に不機嫌になる。
「その山って結構広くてね、しかも妖が多いから人間は滅多に入らないんだって。
元就なら顔が利くらしいから、久し振りに思いっきり遊ばせてあげようかなって」
がこんと音がして牛車が大きく揺れた。都を抜けて山道に入ったのだろう。
簾の隙間から月光が差し込んでいた。
着いた先の山は成程確かに妖の気配が強くしたが、
突如現れた牛車を遠巻きに見ていた妖達は、車から降りた元就が周囲を一睨みするとあっという間に姿を消した。
「すげえ、尊敬されてんなぁ」
続いて降りて来た元親が口笛を吹く。
「今の長は我の親族だ。長の一族の者に敬意を払うのは当然の事であろう」
しゃあしゃあと答えてはいるが、彼の妖気を恐れて逃げたのは明らかだ。
もしくはかつて彼が長であった頃、逃げたくなるほどに恐ろしい思いをしたのか。
元就ならありえない話でも無い。
むしろ皆に慕われる長であったと想像する方が難しいだろう。
長の座を捨てた今ですら、主以外には一切の容赦をしない男だ。
そうさせる程の何があの少女に存在しているのか、時々疑問に思う事さえある。
「何だ皆、遊びに行かないの?」
隣で平和そうに首を傾げている彼女には確かに求心力はあるのだが、
肝心の主としての格がどうにも無いように思われるのだ。
傍に居る事はやぶさかではないが、あの九尾ほど忠誠を尽くす気にもなれない。
「元就も行かなくていいの?懐かしい顔とかいない?」
「我に会いたければ、知らせを受けて向こうから尋ねて来るであろう」
「そりゃそうかもしれないけどさ……」
その場に座り込んで手近な草を弄っている#奈々と、その傍に立ったままの元就。
幸村は元就に怯えて逃げた小物をふざけて追いかけて、早々に姿を消している。
主の言葉に促されるようにして、佐助と元親も何処かに消えた。
その場に残っているのは彼らと政宗だけ。
それが何故か悔しくて、政宗もあまり遠くへ行かずにその辺をうろうろしている事にした。
「それにしても主、我がここの長であったとよく知っていたな」
教えた覚えは無いが、と元就が隣の主人を見やる。
#奈々は相変わらず座り込んだまま、草を千切ったり編んだりして遊んでいる。
「だって、元就と会ったのこの山だったじゃない。怪我してたのをあたしが連れて帰って手当てしたの」
「……そういえばそうだな」
「Ah?何だ元就さん、覚えてなかったのか」
口を挟みかけて元就に無言で睨まれた。
事情があるから黙っていろという事か。
「九本も尻尾あるのにその辺の狐だと思わないじゃない。
妖に関しての知識は少しはあったから、きっと妖なんだろうなって」
「……我が主は要らぬ所にばかり鋭くて困る」
元就がこっそりと溜息を吐いた。少しばかり嘘臭く感じられる。
無闇に自分の過去を話さない所といい、無表情でさらっと話を誤魔化す所といい、
この九尾には未だ誰にも語っていない何かがあるのでは無いだろうか。
一度本気で問い詰めてやろうかと政宗が口を開きかけた時、草むらが揺れた。
「兄様!」
飛び出してきたのは元就と同じく人型をとった妖狐の娘。ただし尻尾は八本しか無い。
娘狐は元就の前まで走って来ると、その秀麗な顔を歪めて詰るように言った。
「戻ってきたのなら如何して使いの一つも寄越して下さらなかったのです」
兄というのは恐らく元就の事なのだろう。
詰られた本人は黙って相手の顔を見つめているだけだったが、
向こうもそれで構わないと思ったのだろう、一方的に話し続けている。
「一の兄様が亡くなって、二の兄様である貴方が確かに長を継いだ筈ですのに……
今は代わって三の兄様が嫁を取って長を継いでいます。
少し前には上の姉様が嫁に行き……兄様は式にも参列して下さいませんでしたね」
「式神となった者が主を差し置いて参列など許される訳が無い。
例え参列した所で我はこの地を捨てた身、皆の爪弾きに遭って終いであろう」
「それでは何故、長の地位を捨ててまで式神になどなったのですか!」
「……」
「兄様は、変わってしまわれました。あの日、あの人間の小娘に出会ってから」
「……それ以上言うてみよ」
小娘、と聞いた途端、元就は眼をすっと細めて自分の妹を睨み付けた。
八本の尾がびくりと震えて、一瞬だけ恨み言が止まる。
「我が主を愚弄するのであれば、この元就、たとえ身内とて容赦はせぬ」
「いいえ……いいえ、そのような……」
尾を足の間に入れて、見るからに怯えているのが分かる。
小娘というのは勿論#奈々の事だが、
人間の年齢に照らし合わせるとそろそろ小娘とは呼べない年齢のような気がする。
とすれば少なくとも元就と#奈々が出会ったのは、彼女がまだ小娘と呼ぶべき年頃の頃なのだ。
恐らく契約もその前後だろう。
娘狐は恐怖のせいか声を震わせながら、それでも話すのを止めない。
「兄様がいつも何か考えていらっしゃる事は知っていました。
私にそのお考えが理解出来るなどとは到底思ってはいませんけれど、
どうしてそんな小娘相手に、命を預けるような事を……!」
「……言うたな、貴様」
「元就」
本当に実の妹に飛び掛ろうとした元就を、#奈々の一言が止めた。
相変わらず座り込んだままで、月明かりを頼りに花を摘んでは何かを編んでいる。
「事実だよ」
「しかし、主」
「妖から見れば人間はちっぽけな存在なのも事実。
元就があたしに会った事も式神になった事も、この山を出て行った事も全部事実」
編んでいたのは小さな花輪だった。
立ち上がって、編みあがったそれを八尾の娘の頭に乗せてやる。
「あたしに会う前の元就とかあたしは知らないけどさ。
尻尾がこんなになるまで一緒にいた家族がそう言うんなら間違い無いんでしょ」
花輪を知らない娘はきょとんとして、貰った花輪を弄り回している。
#奈々は黙ってその耳の生えた頭を一つ撫でた。
「心配しなくても、元就が黙ってあたしなんかに使えてる訳無いでしょ。絶対何か下心あるって。ねっ」
「……兄様」
「貴様如きに言う必要は無い」
傍で聞いてるだけでも狐の娘が哀れになってくるほどきっぱりと元就は言った。
「……今の長が我に位を譲りたいというのなら後で考える」
どれぐらい後なのかは何となく察しがつく。
八尾は一瞬だけ瞳を潤ませ、けれどすぐにそれを拭って#奈々に向き直った。
「陰陽師様。……お名前は」
「#奈々」
ためらいもせずに本名を告げると、狐の娘は真摯な表情を崩さず一言、
「では#奈々様、私は生涯お怨み申し上げます。貴女ではなく、兄様を狂わせた貴女のその力を」
そして花輪をしっかりと握り締めたまま、再び草むらの奥へと去って行った。
「……なぁ、今のって呪いっつーか祟られたんじゃねえの、Master」
「良いんじゃないの、別に」
狐に怨まれれば七代先まで祟ると言うが、#奈々は何でもないように笑っている。
「七代って言われてもあたしきっと結婚なんかしないし、それにきっと」
怨まれなくても、もうすぐ死ぬし。
ざあ、と生温い風が駆け抜けた。
「政宗今年いくつ?」
「Ah?」
「あたしと契約した時、いくつだった?」
「……さぁな。百越した時に歳数えるのは止めちまったし」
「でも、百は越してるんだよね」
「確か、な」
「人間はね、生きても三十年が限界なんだよ。
あたしが政宗と契約してから、一体何年経ってるだろうね?」
唐突すぎる、と思った。
能天気が身上のような彼女が過去を省みるなど、今までに無い事だ。
昔には余り良い思い出が無いから、と笑っていたというのに、
自嘲のような笑みを貼り付けて淡々と何かを語っている。
「皆は見えないくらい少しずつ成長していく、けどあたしは段々老いて来るんだ」
八尾に小娘と呼ばれているが実際の年は妙齢をそろそろ通り越そうかという程、
外見はそろそろ男と言い張るのも苦しい程に艶やかに成長している。
だがそれは人間の寿命の、散り行く直前の艶やかな花の時期でもあった。
「だからあたし、きっともうすぐ、いなくなるん、だよ……」
儚い笑顔のまま、ぐらり、と身体が傾いで。
「主!」
散る花を抱きとめようとする元就の声がやけに遠く響いた。
呪縛