シリフ霊殿
Schild von Leiden

あなたへ、
 空からは雪も舞おうかという寒い冬の日。
「幸村」
「何でござるか?」
「ここ、来れる?」
 偶然傍を通りかかった幸村に、#奈々はにっこりと笑ってそう言った。



 理解にたっぷり数秒は要したと思う。
「こ、ここ……とは?」
「だから、ここ」
 もう一度指で示された場所は紛れもない、膝の上。
 思わず、変化した自分の姿を頭から足までまじまじと眺めてしまう。
 未だに尾と耳を綺麗に消す事は出来ないが、それを除けばれっきとした人間の男の姿だ。
 つまりこの姿のまま彼女の膝に乗れと言うのだろうか。
 それはつまり、いわゆる『膝枕』という体勢にならざるを得ない訳で。
「主殿、そ、それは……」
「あ、嫌だったらいいよ。別に#奈々として強制してる訳じゃないから」
 苦笑してそう言ってくれるのがたまらなく申し訳無い。
 出来る事ならばその願いに応えたいのだが、
「も、申し訳ござらぬ……某やはり、その……女子の膝に乗るというのは……」
 自分でも顔に体温が集中しているのが分かる。
 #奈々はやっぱりね、と言って少し笑った。
 彼がこのような事に弱いのは本人より誰より彼女が承知している。
「いいよ、元就に頼むから。元就ー」
 奥の部屋に向かって少し声を張り上げると、すぐに九尾は姿を現した。
 使いの用など言い渡されていない限り、彼は大抵主の声の届く範囲に居る。
「何用か、主」
「うんあのね、膝に乗って欲しいの」
 元就はその一言だけで大体の事情を悟ったらしくああ、と声を発した。
「寒いのか」
「うん」
「全く、我は火鉢ではないぞ」
 呟きながらも彼が主君の願いを聞き入れない事はない。
 元就は#奈々のすぐ傍まで来ると、狐の姿に戻り、その膝の上に乗った。
 見ていた幸村がああっ!と声を張り上げる。
「何、幸村?」
「膝に乗るとはその姿の事でござるか!」
「うん。え、あれ、勘違いしてた?」
「馬鹿が」
 鼻で笑われてしまった。
 確かに生き物を膝に乗せておけば、多少なりとも寒さは和らぐに違いない。
 普段彼らが昼過ぎになる度にしているような事を想像した己が恥ずかしくなった。
「主」
 幸村の心中を見透かしたように笑ってから、元就は#奈々の方を向いた。
「寒いのならば、我の中の日輪の熱を少し分けても良いぞ」
「え、元就そんな事出来るの?」
「そろそろ雪も降ろうかという頃である故、毎日日輪を浴びる時に少しずつ溜めておいたのだ」
「へー、便利だね」
「少しだけぞ。我も寒い」
「はーい」
 #奈々の返事を聞くと、元就は主の膝の上で小さく身体を震わせた。
 ふっさりとした狐の身体が、ほんの少しだけ光っているように見える。
 日輪の熱とやらを出しているのだろう。
「これでも寒いようなら幸村に言え。熱に関しては我よりも得手だ」
「え」
 #奈々の目線が幸村の方を向く。
 思わず姿勢を正してしまった。
「も、元就殿、某は確かに炎は得手でござるが、その、熱さの調整はどうも」
「戯け、誰が炎を出せと言った」
「はい?」
 元就は無言で主君の懐を顎で示した。
 懐の中には、彼女が後生大事にしている守り袋が入っている。
 式神から預かった身体の一部が入っているので、使役するのに必要なのだ。
「成程、そういう事でござるか!承知!」
 幸村は少しだけ#奈々に近付くと、懐の中にある自らの尾に熱を集中させた。
 何かに気付いたように#奈々が懐を押さえる。
「あったかい」
「幸村の術だ。守り袋の中にある尾に妖力を注いで熱を作っている」
 妖狼である事を示す二又の尾は、契約の際に主に渡した。
 今幸村の身体についているのは他の狼と同じ一本だけ。
 それでもある程度までならこうして遠隔操作が可能で、自分のものなので力加減も随分と楽に出来る。
「膝に乗る事は出来ませぬが……これくらいならば某にも出来まする」
「ふふ、ありがと」
 #奈々は笑って幸村の頭を一つ撫でた。





「……懐かしいな」
 そうして二人がかりで主殿を暖めていると、不意に元就がぽつりと呟いた。
「ん、何が?」
「幼き頃はこうして暖めてやらねば、眠る事も出来ぬような子供であったのだが……」
「へー元就にもそんな子供の頃あったんだね」
「……ああ」
 元就はしばし黙り込んだ後、遠くの方を見ながら頷く。
 獣の表情を人間が読み取るのは困難だ。
 故に彼の奇妙に歪んだ表情を垣間見る事が出来たのは幸村だけだった。
「……元就殿」
「何だ」
「某は口を噤んでおきまする」
「……ふん」



火鉢
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