シリフ霊殿
Schild von Leiden

あなたへ、
「よう」
 数百年ぶりに会った知人は、そう言って軽く片手をあげた。
「久し振りだな」
「何故貴様がここにいる」
「うわ、第一声がそれかよ」
 相変わらずだな、と笑うその向かい側で、元就はただ憮然としている。
 死んだとは思っていなかった。
 曲がりなりにも鬼であるこの男が、あれしきの事で死ぬ筈がない。
 左目は無骨な眼帯で覆われているが、それだけだ。他は五体満足なのだろう。
 ただ、今ここに彼がいる理由が理解できない。
「鬼が人間如きと馴れ合うか」
 妖など自分達以外にいない人間ばかりの地で、その人間達の長となる。
 元来人間と関わり合いになる事を良しとしない元就にはそれが不思議だった。
 何より、あんな目に遭ったのはその人間の為だというのに。
「そりゃこっちの台詞だぜ、九尾のお狐さんよ。人間は嫌いだったんだろ?」
 そっちこそ何でここにいる、と言外に問うて来る。
 元就は僅かに視線を伏せながら、自分に言い聞かせるようにして答えた。
「……これも全て、主の為よ」
「は!」
 返って来たのは笑いだった。
 嘲笑というよりも、呆れや苦笑に近い。
「何が可笑しい」
「悪ぃ悪ぃ、いや、その妙な所もマジで相変わらずだなと思ってよ。
 人間嫌いの筈が人間に仕えてるなんざ、そもそも普通ありえねえだろ?」
「それは、……そうかもしれぬな」
「だろ?大体いつ何処で見初めたんだよ。やっぱ垣根越しにか?」
 妖狐の口から珍しく殊勝な言葉が出た事に驚きつつも更に問うと、元就は顔を上げて不機嫌そうに元親を睨んだ。
「色香目当ての様な言い方をするでない、愚劣な」
「え、違うの?」
「当たり前であろう」
 即答した後、元就は少し遠い眼をした。
「……実際の所、我にも良く解らぬのだ」
 何故、このような契約などする気になってしまったのか。
 力に屈した訳でもなく、契約を交わした所でこちらが何か得る訳でも無い。
 ただ主人が死ぬまで使い走りにされるだけ。
「いや、解らないってお前」
「最初は確かに目的があったのだ。我が契約を交わす気になる程のものが。
 だが主の下に居る内に少しずつ薄れていって、分からなくなってしまった」
 目を閉じると、あの時の情景が浮かんで来る。
 不思議そうな顔をした少女の前に、自分から望んで膝をついたのだ。
「……なぁお前それってさぁやっぱ、」
「さて、どうであろうな」
 少なくとも色香目当てでは無かった筈だ。
 そもそも懸想をしたから主に選んだのだとは思っていない。
 まさか彼の人の境遇に同情したという事も無いだろう。
 ただこの娘に己を預けてみようと思っただけ。
 傍に居て、あの花のように綻ぶ顔を見ていられればそれで良い。
 あの笑顔を見る為ならば、死すらも厭わない。
 ただ、それだけ、と

「……思えば我も、あの娘に魅了されたに過ぎぬのかもしれぬな」
 あのような小娘に己の命運を託すなど、なんと愚かな。



「無駄口が過ぎたな」
 下らない戯言は、これで終わりだ。
 今は、主の命を果たすのみ。
 それが一番楽だ。命令に従っている間は、余計な事を考えずに済む。
 大体あの時は色々と考え込みすぎたのだ。
「海賊風情に長々と話して聞かせるものではなかった」
 言いながら、手に持った輪刀を相手に向けて突きつける。
 呼応するように、元親も手にした槍を元就の方へ向けた。
 そう、自分達は戦の最中であったのだ。
「覚悟を致せ、長曾我部元親」
「はっは!何だあ?それも『主』の命令、ってか?」
「死にゆく貴様には関係なかろう」
 戦のない世で、平和に暮らしたい。
 数百年ぶりに受けた主からの命はとても簡潔で、とても難しかった。
「なあ、元就」
「何だ」
「今は、毛利って呼んだ方が良いのか?」
「……好きにせよ」


 時は室町の末、戦国乱世である。



悔悟
前<< 戻る >>次