この二人に付き合うのは気苦労が絶えない。
障子の向こうから聞こえてくる会話を聞きながら、佐助は盛大に溜息を吐いた。
「も、元就……駄目だよ、止めてっ……」
「止めるな主、我はもはや我慢がならぬ!」
「や、駄目だってば、ちょっ……誰かぁ!」
御大臣からの秘密裏の依頼を受ける話が、どうしてこんな事になるものか。
「元就殿!昼間から破廉恥であるぞ!」
勘違いしている者が若干名居るようなので付け足しておくと、決してやましい行為に及ぼうとしている訳ではない。
むしろそちらであれば堂々と止めに入れる分気が楽であったかもしれない。
「元就!誰か、誰か止めて……っ佐助!幸村!政宗!元親ぁ!」
何故ならこのような状況下で止めに入らされるのはまず自分なのだから。
陰陽師の仕事は幅広い。
表立っては天候予測や吉凶の判断など穏便なものが多いが、今回の様に貴族達から秘密裏に依頼を受ける事もある。
そんな内密の依頼で屋敷を訪れた者を持て成すのも式神の立派な役目だった。
ただしこの役目は人間の従者の振りをしなくてはならない為、『人に溶け込む事が出来る者のみ』という条件がつく。
そして不幸な事に、彼等の中でその役目が果たせるものはそう多くないのだった。
耳や尾を残すのならばともかく、完全に人に化けるのにはかなり力を使う。
しかも化けるだけでなく、話の間中#奈々の傍らに控えていなければならない。
故にこの時点で年若く人に化けるのが苦手な政宗と幸村が脱落、
主の体面を崩さぬ程度に礼儀正しくという時点で堅苦しいのが苦手な元親が音を上げた。
仕方なく普段は佐助と元就が交代で出ているのだが、元就にも重大な懸念がある事をすっかり失念していた。
#奈々の事になると容赦が無くなる点である。
当の主人の為とはいえ、元就が大人しく耐えている保障など何処にも無かった。
今回遂にその懸念が当たってしまったのだろう。
「……しょーがないなぁ」
溜息一つ、背中に生やしていた翼を消し、完全な人の姿を取ると、覚悟を決めてそっと障子を開ける。
瞬間飛び込んできた予想通りの展開に再び溜息が漏れた。
腰を抜かして畳の上に座り込んでいる依頼人らしい男と、すさまじい形相でその男の顔面を踏みつけている九尾。
主人は従者を止めようとして止められずにただおろおろしている。
(さーて今度は何やったのかなー)
踏みつけにされている男の顔には見覚えがある。
幾度か主人の護衛として宮中に参内している時に見かけたのだ。
やけに馴れ馴れしい男だという印象はあったが、それだけで元就がここまで立腹する筈が無い。
恐らく依頼のついでに下世話な話でも持ち出して来たのだろう。
佐助自身この男に良い感情は持っていなかったので良い気味だとは思うが、
だからといってまさかこのまま放置しておく訳にもいかない。
「はいはい旦那、とりあえずご主人様困ってるからそこまでねー」
障子の隙間から部屋に入り込み、元就を背後から羽交い絞めにする。
下半身は拘束出来ていないので、彼の足は相変わらず依頼人の顔面の上だ。
「放せ佐助!この男は言わせておけば主を稚児などと……制裁の一つもくれてやらねば我の気が済まぬ!」
よりにもよってそんな発言をこの九尾の前でかましたのか。
ご愁傷様としか言葉が出て来ない。
「済まなくてもいいから止めなさいって。一応相手お大臣様なんだしさ」
「ふん、人間如きの位など我は知らぬ。我が頭を垂れるはこの世で主だけぞ」
「うん知ってる、知ってるからとりあえず止めて」
「止めぬ!大体貴様は主が穢されたというのに腹は立たぬのか!」
「腹は立つけどさぁ……分かってないなぁもー。旦那死んじゃうよ?」
主人とその命は、式神にとって絶対だ。背けば代償として身体の一部を失う。
この九尾の契約対象は魂だと以前聞いた。
本当にそんなものを対象に出来るのかは知らないが、そうだとすれば尚一層元就は#奈々に逆らう事は出来ない筈だ。
魂を失えば肉体は粉々に砕け散って、後には欠片も残らない。
寿命の無い妖が滅びる数少ない手段である。
「死そうとも構わぬ!主の為に死ぬるなら、この元就本望よ!」
「ああそうだよねアンタは絶対そう言うだろうと思ってたよ!」
しかしその割に元就はよく#奈々に我侭を通す。
このような暴挙も、主人が彼女でなければ許されないだろう。
主人に絶対、という大前提が何処かで揺らいでいる。
理由は予想が付くのだ。付くからこそ無性に腹が立つ。
「旦那」
「くどいぞ」
「ご主人様が悲しむよ」
「……」
「だから、ね、今度だけ」
押さえる腕の力を緩めて言うと、元就はやっと依頼人の顔から足を退けた。
退け際に思い切り蹴飛ばしていった気がするが、その程度は仕方が無いだろう。 少なくとも彼の自制が聞かなくなる程度の事は仕出かしたのだから。
「次に主に近付く事があれば、その時は容赦はせぬ。良いな」
依頼人を睨んでそう言い捨てると、さっさと部屋を後にする。
何処まで近付いたら近付いた事になるのか明言しない辺りが彼らしい。
「……佐助」
元就の後姿を心配そうに見ていた#奈々が、そっと佐助に声を掛けた。
「ごめん、あたしちょっと元就見てくる」
「はいはい」
ぱたぱたと後を追う姿を見ながら溜息を吐く。
全く妬ける事この上無い。
「な、何なのだあの者は」
やっと助け起こされた依頼人は開口一番そう言った。
話し相手の後ろに控えてた従者がいきなり掴みかかってくれば普通は驚くだろう。
「すいません、あの人過保護なもんで」
実際は過保護の域をとっくに超えているのだが、一応そう言い訳してみる。
「そうじゃない!わ、儂を突き飛ばした時に見たんだが、眼が」
「眼?」
「人の眼ではなかった、あれは、化生の者の眼だ、獣の、妖の、」
「はあ、まあ一応陰陽師の従者ですからねえ」
どうやらもう一つ問題を起こしていったらしい。
露骨にやれば主人が気付く。だから分からないように脅していったのだ。
溜息を吐くが、愚痴を零す事はしない。
むしろよくやった、と言ってやりたい気分だ。
「俺とか後ろに居る奴の同類ってだけですので、ご心配なく」
主人を愚弄されれば腹が立つのは、彼でなくとも同じ。
彼女の声を聞きつけて飛んできたらしい三人も同様だろう。
全員牙やら爪やら出しっぱなしなのをもう隠そうともしていない。
そして佐助も笑いながら背中にばさりと翼を生やしてみせる。
「皆ご主人様が大好きってだけの、ただの妖です」
だからお前今の内にちょっと鉄槌くらっとけ。
制裁