陰陽師と契約を結んだ妖の事を特別に式神と呼ぶ。
契約は妖が己の身体の一部を陰陽師に渡す事によって成立し、渡した部位を共有する事で陰陽師にその力を与える。
妖の側が契約に反する行動をとった場合即座に契約は破棄され、その代償は契約した部位を全て失うという形で現れる。
故に契約の際には相手が己の主になり得べき存在であるかどうかをよく見極め、
契約の暁にはその全身全霊を以て主君に尽くさなければならない。
「って、お前いっつも俺らに耳にタコが出来るほど説教してんじゃねえか!
何で真っ先に踵返してんだよ!捧げた代償の分キッチリ働くんだろ!」
「煩瑣い黙れ下賎の鬼めが!貴様こそその左目の分しっかり主に仕えぬか!」
「ちょっとちょっと二人共、こんな時に言い争いしてる場合じゃないでしょ?」
「うっせんだよ佐助!つーか飛ぶのは反則だろ、政宗も!」
「あのねえ、烏が地面走って逃げれる訳ないでしょーが。竜だって地面這ってる生き物じゃないんだし」
「つーか、文句ならまずあそこの全力疾走してるDoggyに言ったらどうだ?」
「あっテメエコラ幸村!」
明かりも灯されない山の中は暗い。
人間ならばあっという間に方角を見失い、道に迷う所だろう。
そんな山の中、雑木を掻き分けて疾走する一団があった。
暗中でも正確に獣道を見極めて進んでいるのは、彼らが人ならざる力を持つ証。
先頭をきって走るのが狼、残りの四人は一見普通の人間の様に見える。
耳や翼を生やしていたり、額から角が覗いていたりしなければの話だが。
「敵前逃亡など……主殿にあわせる顔がないでござる……!」
先頭の狼がが絞り出すような声で叫んだ。
彼の言葉が示す通り、彼らは目下逃亡中である。
追っているのは、その背後の黒い肉塊。目を凝らせば生物に見えない事も無い。
「ならば今からでも引き返して戦え!」
集団の後方に居た狐耳の男が間髪容れずに怒鳴り返す。
「主を誘惑した罪は許しがたいが、今回だけは貴様に殲滅させてやる。遠慮はいらぬぞ、行け!」
「嫌でござるー!ここはいつものように元就殿が!」
「断る!あれを我の半径五尺以内に近付けるな!」
元就と呼ばれた狐はそう言い捨てて逃げる速度を更に速めた。
やはり人間の足で山道は走り辛いのか、逃げ足も他者よりかなり遅れている。
彼が獣の姿に戻らないのは、一つには最年少である狼と同じ手を使うのが躊躇われるという事、
もう一つには雑木の立ち並ぶ中で元に戻ると尾を枝に引っ掛けかねないからだった。
何しろ金色に輝く美しい尾を九本も携えているのだ。
人に近い形を保っている今でも、着物の裾から小さめの尾がきちんと覗いている。
走りながら元就はふいと後ろを見やった。
黒い山のようなものの正体は、自分達と同じ妖。
海の向こうから来たというので本来ならば別の呼び方をするべきなのだろうが、生憎彼は異国のものに対する知識が薄かった。
そもそもこんな変態から逃げるのに、一々種族など特定しては居られない。
「オーウ、ワタシのタクティシャン、どうして逃げるノ?
ザビーはただ、タクティシャンと#奈々チャンの愛を知りたいだけヨ!」
「誰が貴様のものだ!それから主を気安く呼ぶな!」
一応怒鳴り返す事だけは忘れない。
相手の認識はどうあれ、今の自分は主の所有物だ。
その主を真名で、しかも大声で呼ばわるなど無礼極まりない。そこは正しておかねば。
主張するのに隙など構っていられないらしいが、この場でするべきでは無かった。
「つーかまーえタ!」
「〜……っ!」
ふっさりとした尾を大きな手の平でしっかりと掴まれてしまった。
咄嗟に変化の要領で尻尾を消す事で何とか逃れる。
手応えを失くした敵が首を傾げている所に、竜の作り出した竜巻が襲いかかった。
この国には珍しい暴風。巻き込まれて生還する者は少ない。
追ってこなくなったのを確認してから、その場に座り込んで大きく息を吐く。
平素自慢にしている彼の九尾も、この時ばかりは邪魔で仕方が無い。
五、六本隠しておいても問題は無さそうだが、それをしないのが彼の矜持だった。
彼女がこの尾を好きだと言ってくれるのもあるかも知れない。
「おい、大丈夫か元就」
鬼が心配そうに差し出してきた手を振り切って立ち上がる。
「……礼は言わぬぞ」
同じく傍に降りてきた竜に不機嫌を隠さず言うと、彼は期待してねぇよと肩をすくめて笑った。
左手にはまだ逃げ続けようとしている狼の尾をしっかりと掴んでいる。
彼が素直に礼を言わないのはいつもの事なのだ。
「で、どうする?しばらくここで回復してくか?」
元就は息を切らしながらも首を振った。
「主を残してきたのが心配だ。あれが居なくなった以上、また何か集まっているやもしれぬ」
彼らの使える主『月影の君』には、少しばかり特殊な事情がある。
まず、男子の振りをして昇殿しているが、本来の性別は女であるということ。
陰陽師という特殊な職に就く為にそれを隠さなくてはならないこと。
そうまでして陰陽師になる理由が、彼女の特殊能力にあるということ。
妖の中では『惑鬼』と呼ばれている。
本人の意思に関わらず、妖を惹き付けてしまう能力。
その人外の者達から身を守る為にも、陰陽師になって式神を従える必要があった。
出来れば、雑魚が恐れをなして近付いて来ない程に強い式神を。
利用されていると嘆く事は元就はしない。己等が彼女にとってその程度の価値しか無い事など、承知している。
「あぁ、あいつも結構な力量あったからな。周りへの牽制にはなってただろ」
「戻るぞ」
どうにか呼吸を落ち着けて立ち上がろうとした時、
「待って、九尾の旦那」
一人だけ空中に留まって様子を窺っていた八咫烏が鋭く言った。
何だ、と尋ねれば、彼にしては珍しく真剣な表情で竜巻の方を示す。
見れば竜巻の中であの妖が全く無傷なまま、こちらを不思議そうに見ていた。
「マジかよ……俺のCRAZY STORM食らって無傷だと……?」
政宗が呆然と呟く。
その間に佐助は空を蹴って、竜巻の方へ身を乗り出した。
味方がこの場を離れるまで時間稼ぎをするつもりらしい。
「佐助!」
「鬼の旦那、九尾の旦那だけでもご主人様の所に帰して」
大丈夫だよ、といつもの飄々とした表情に戻った佐助が笑う。
「九尾の旦那さえ逃がせば、あいつもこっちに直接は攻撃してこないだろうし。旦那だって、ご主人様心配でしょ」
「貴様が囮になる必要はない」
一瞬の間の後、それでもきっぱりと元就は言いきった。佐助が苦笑する。
「言うと思った。……鬼の旦那、連れてって」
「……おう」
元就に次ぐ長寿の発言を無碍には出来ない。
鬼の力が軽々と元就を抱え上げ、都の方へと続く斜面を駆け下りてゆく。
「こら元親、放さぬか!」
「馬鹿言ってんじゃねえよ、とにかく今の内にあいつから逃げとけ」
「馬鹿は貴様だ!その三百の齢は無駄足か」
降ろせ、と言い終わるより先に、元就は身を躍らせて元親の腕から抜け出した。
「先刻ので気付いた。あれは傀儡だ」
地面に足をつけた元就が、斜面を見下ろしながら言う。
「は?」
「知らぬのか、嵐は竜の本領ぞ。竜の技は嵐を起こす事に最も秀でている。
若造の荒削りとはいえ、あれをまともに食らって無事で済む訳がない」
「……そう言やあ」
少なくとも彼がかなり力任せな技を使うのだけは元親も承知している。
「ならばあれは傀儡だ。何処か別の場所に操っている本体が居る。
幸村を使え、あやつが一番鼻が利く。傀儡を頼りに場所を嗅ぎ出すのだ」
言いながら元就は相変わらず斜面とその下にある都を見つめていた。
人家の多くからは明かりが消え、牛車の明かりだけが路地に揺らめいている。
「おい、お前は」
元就は何を今更といった顔で振り向いた。
「我は主をお守りする」
一言言い残し、そのまま崖の下へと重力に任せ落下してゆく。
慌てて下を覗き込めば、月の光に遠く、巨大な九尾が光って見えた。
「……ま、そんなこったろうと思ったがよ」
「……よーく考えるとあの野郎、Masterを守るとか言って自分だけあれから逃げたんだよな」
決して楽とは言えなかった殲滅戦の後、帰ってきた縁側で政宗がぽつりと呟いた。
部屋の中からは元就と主人のものと思しき会話が聞こえてくる。
主を危険に晒してしまったやらそんなに過保護にならなくたってやら、云々。
「言ってやんなよ、結局倒せたのはあいつの機転じゃねーか」
一応、といった調子で鬼が元就の擁護に回った。
例え面と向かって文句を言われても、彼は主人を優先するのを止めないだろう。
言うだけ無駄というものだ。
「そういえば、あやつは何故元就殿に執着していたのでござろうか」
全力疾走後の息を整えていた幸村がぽつりと言う。
「……さーな」
「んー確かね、真実の愛を探してる、んじゃなかったかな?」
「はあ?」
「九尾の旦那とご主人様の間にそれがあるんじゃないかって」
佐助の説明は「俺様もよく知らないしね」という言葉で締めくくられた。
「まあ、分からなくもねえがな」
「そうだね」
千の齢の大妖は、彼等の中で一番の長寿であると同時に一番の古株でもあった。
勿論能力も高く、主に一番信頼されているのも恐らく彼だろう。
そしてそれが理由かは知らないが、最も主への忠義があついのも彼であった。
嫉妬の数などきりが無い。
同じく#奈々を想う彼等も、一位を狙う気力は最早失せているようだ。
「旦那、ご主人様の事大好きだもんね」
「大好きっつーのか、あれは」
「大事にしてるでしょ。大好きだから大事なんだよ」
「あんまらしくねえけどな」
「言っちゃ駄目、それは」
背後では元就曰く『若造』二人組が喧嘩を始めている。
障子の向こうの九尾が怒鳴り込んでくるまであといくらもないだろう。
「煩瑣い!焼き焦がすぞ、貴様ら!」
案の定。
佐助が溜息をつきながら仲介に向かう。
それを苦笑して見守りながら、ふと元親は疑問に思った事を呟いてみた。
「……そういや、あいつ何で人間になんか仕えてんだろうな」
戦闘