シリフ霊殿
Schild von Leiden

あなたへ、
 雨が降ってきたので蔀を下ろそうかと思ったが、立ち上がる訳にもいかないので止めた。
 小雨の日特有の、湿った生温い空気が頬に触れる。
「どうかした?」
 不意に足元から声がした。
 足元に寝転がった主が、その閉じていた目を開いてこちらを見つめている。
 午睡中であったのに、起きてしまったらしい。
「起きたのか、主」
「起きてたよー目ぇ閉じてただけで」
 主はそう言うと、寝ていた枕に自らの頭を擦り付けた。
「うふふ、ふかふか」
 声を立てて笑いながら、鞠にじゃれる猫のように枕と戯れる。
 少し、いや、大分、くすぐったい。
「主、それは」
「いや。だってふかふかなんだもん」
 言いながらも顔を埋めたり指で撫で付けたり逆撫でたり、戯れは止まらない。
「主」
「なあに」
 少し咎めるように呼んでみたが効果はなし。思わず溜め息が漏れた。
「我の尾で遊ぶのがそんなに楽しいのか?」
「うん」
 肯定されてしまった。
 にっこり、満面の笑みで言い返されてしまって少し言葉に詰まる。
 その間に主は彼の九本ある尾の内の三本を腕に抱き、
 残りの六本を枕にして、完全に寝直す体勢に入ってしまった。
「雨の日は髪が湿って纏まらないものなのに、元就の尻尾はいつも柔らかい。
 これもやっぱり妖だからなのかなぁ」
「日輪のご加護であろう」
 晴れた日には必ず日輪に当てるようにしているくらいだ。
 当人としてはそのくらいしか思いつかないのだが、主は不満そうだった。
「それに、今日は雨ではないぞ」
 開いたままの蔀から、日光と小雨が同時に注ぎ込んでくる。
 雨は先刻より少し弱まっていた。恐らく、もう半刻もしない内に止むだろう。
「狐の嫁入り」
 主が呟くのが聞こえたので、頷く事で答えた。
「元就」
「何だ」
「元就の知り合い?」
「何の事だ?」
「今、嫁に行くの」
 ああ、そういう事か。
 少し首を傾げてみせると、頭の上の三角の耳も一緒に揺れた。
「こればかりは行列を見ねば我にも判らぬ。我は主の傍を離れられぬ故、そうそう参列もできぬからな」
 手のかかる主、といったつもりで、枕にされていた一本で頬をくすぐり返しながら言ったのだが、
 不思議な事に主からは返事が返ってこなかった。
「主?」
 代わりに、ぎゅっと強く尾を抱きしめられる感触がする。
「ごめんね」
 突然の謝罪に思わずもう一度首を傾げて、しばらく経ってから理解した。
「主の式になった事を後悔している訳ではない。
 我は参列する事よりも主の傍にいる事を選んだ。それだけだ」
 歳を経て手に入れた人間の指で、主を優しく撫でる。
 再び寝息が聞こえてくる頃には、雨も止んでいた。





「たっだいまー……あれ、ご主人様お休み中?」
「ああ」
 使いを終えて帰ってきた八咫烏に、起こすなと言い添える。
「今日嫁入りの列があったの知ってる?綺麗だったよー旦那の妹さん」
「主と一緒に眺めた」
「勿体無いなー。行けば良かったのに」
「馬鹿を言うな。皆が使いで居らぬのに、我なくして誰が主の護衛をするのだ」
「……相変わらずご主人様大っ好きだねえ、九尾の旦那は」
「佐助」
 縁側に腰掛けた濡羽色を一睨みして黙らせる。
「我には主がいる。それで十分だ」
 ただ、主。
 あえて言うならば、早く尾から退いてくれないと日光浴ができない。



俄雨
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