生徒達が帰った後、あたしはまた少し眠っていたらしい。
しかも扉は生徒達が開け放してったままで。(合鍵持ってんだから閉めてけ!)
幸いにも空き巣は入らなかったようだけれども、
「#奈々……体は大丈夫?」
「うわぉぉぉぉ!」
代わりに少しばかり恐ろしい目覚め方をする羽目になった。
「な、何だいっちゃんか。びっくりしたぁ」
「気にしないで……顔を覗き込んでいた市が悪いの……」
ぷちホラーの正体はお隣のいっちゃんだった。
本名は市、理事長の妹さんだ。
何でそんな如何にもお金持ちそうな家の子がこんな安アパートに居るかというと、
結婚して旦那さんと二人暮らしする為に家を出て行ったからなのだった。
よくあの兄さん説き伏せたなぁと思う。
「大家さんからのお裾分け……#奈々にも持ってきたの」
「あ、ありがとう」
「中身……かまぼこだって」
「ああ、あの人小田原出身つってたしねーって箱でか!」
ちなみに大家さんは名前を北条さんといって、もうかなりのじいちゃんだけど元気な人だ。
腰痛持ちだけど命に別状は無さそうだし。
というか最近知ったんだけど、うちのクラスの小太郎もこのアパートにいたらしい。
今でも北条さんの世話やら看病やらしに時々訪ねて来てるそうだ。
しかし過去形なのか。とすると今は一体何処に……
いいや。話戻そう。
北条さんからのお裾分けだというかまぼこ(小田原名産)は思ったより大量で、
でかい段ボール箱一箱分もあった。
ちょっ、こんな一杯賞味期限までに平らげろとか無理なんだけど。
……まぁいいや。後で見舞いのお礼と称して皆に分けよう。
「それにしてもいっちゃん、こんな重いのよく運んできたねー。疲れたでしょ」
「気にしないで……長政様に運んでもらったから」
「ああ、長政さんね……」
長政さんていうのはいっちゃんの旦那様。本名、浅井長政。
例の、あの理事長に打ち勝った類稀なる人だ。
実際は打ち勝ったというより拝み倒して許可を貰ったに近いらしいけど。
ともあれいっちゃんをゲットして、現在は新婚生活を満喫中。
しかし何ていうかな……どめすてぃっくばいおれんす……まではいかないけど、
何かいっちゃんて微妙に長政さんの扱い酷いんだよね。
ぱっと見だと一歩下がって旦那の影を踏まずというまさに大和撫子なんだけど、
時々パシリっぽく扱ってるような節がちらほら。
かかあ天下って案外こんな感じの事を言うのかもしれない。
「重くて持てないって言ったら私が運んでやるから市は座ってろって……優しいよね……ふふ……」
悪女……ここに悪女がいるよ……!
「市、もう一箱はどうする?」
不意に開いたままの扉から長政さんが顔を出した。
って、もう一箱あるんですかこのでかいかまぼこ箱詰め。
「おお、目覚めたのか!体の調子はどうだ?」
そのまま部屋に入ってきて、ベッドに体を起こしたあたしの肩を叩く長政さん。
「養生しろ。お前は兄者の気に入りだからな」
「あ、はあ、どうも」
「長政様……邪魔」
「……すまん」
いっちゃん……!(弱え、弱えよ旦那!)
話の途中に首突っ込まれたら腹立つのは判るけどあんた、相手は仮にも惚れて一緒になった旦那様でしょうが。
「あ、あー……その一箱はいっちゃん達がもらっちゃっていいよ!
あたしみたいな一人暮らしがそんな沢山もらっても食べきれないし」
ていうか、この一箱を食べきれるかどうかすら怪しいし。
(ただでさえ元就が買ってきた檸檬が台所に山と残っている)
「いいの……?」
「うんうん。あたしの心配料だと思って、もらっといてよ」
「ありがとう……#奈々は優しいのね」
いっちゃんはそう言ってにっこり笑った。
この子は普段薄幸そうなだけに、笑うと本当に可愛い。というか、綺麗だ。
「じゃあ長政様、これまた持って行って……くれる?」
「うむ、任せておけ!」
……(ほろり。)
ぐっとベッドの上で伸びをする。
睡眠と皆の手厚い看病(?)のお陰で、大分体力も戻ってきたらしい。
「うっし、また頑張るぞ!」
まぁ、多分すぐに体力使う事になるんだろうけどね……
延期した海でのクラス会とか(もう日付もしっかり決定済み)、
『おっ、おい市?私の夕食にかまぼこが入ってないぞ?』
『これは#奈々からもらったものだもの……
長政様の分はちゃんとスーパーで買った分が入っているでしょう?』
「……」
お隣から壁越しに聞こえてくる夫婦の会話とか。
あたしは溜息をついて、復活後最初のお仕事へ向かった。
「いっちゃん、旦那様いじめも程々にしなさいってば!長政さん可哀想でしょー」
「#奈々……長政様の肩を持つの……」
「……いやそういう訳じゃないけどさぁ」
早くも今日の分の体力を使い切りそうな予感。
お隣さん