シリフ霊殿
Schild von Leiden

日は夜を知らず月は昼を知らず
「長曾我部様、これを」
 戦の為に城を出ようとする時、世話になった同盟先の室にそう言って渡された。
 今しがた作られたと一目で分かる、未だ温もりを残した握り飯。
「戦場にふさわしいものでは無いかもしれませんが、腹が減ってはとも申しますから」
 よろしければ我が殿と二人でお召し上がり下さいませ。
 そんな言い方をすると言う事は、初めから二人で食べると丁度良い量を作ってあるのだろう。
 けれどもにっこり笑ってそんな事を言う姿に違和感を禁じえない。
「あんたの旦那だろ。直接あいつにも渡してやったら良いじゃねえか」
「戦の前に女子を近付けるのはご法度でございましょう」
「そりゃそうだけどよ」
 定期的に血を流す女は、戦の場では忌むべき存在とされる。
 大仰な輩にもなると、戦の三日前から女を鎧に近付けさせない程だ。
 幸いにして握り飯を受け取った男はそんな事まるで気にも掛けぬ不信心者だったのだが。
「長曾我部様はお気になさらないかもしれませんが、元就様は信心深い方でございますから」
「いや、それにしたって自分の嫁だろ。全く嬉しくないって事は無いと思うぜ」
「ご冗談を」
 笑顔で、しかしきっぱりと彼女は言い切った。
「元より他人に情を抱くのをよしとされない方ですし、ましてや」
 政略の為、世継ぎの為だけに娶らされた女に情などございませんでしょう。
 己の思考に何の疑いも見せぬその様がかえって哀れに見えた。





 本陣で握り飯を差し出すと、同盟相手はまず訝しげな目を男と握り飯に注いだ。
「城を出る時に渡された。腹が減ってはって言うだろ」
「……#奈々か」
 少し躊躇ってから元就は竹皮の包みを受け取った。
 口へ運ぶかと思いきや、その前に近習の毒見を経ている。食す様も実に機械的な動作だった。
「……あのなあ」
 我慢出来ずに口を開く。
「何だ」
「お前の嫁が作った飯だろ?何か思う事とかねえのかよ」
 握り飯を頬張りながら元就は軽く鼻を鳴らした。何を言うかとでも言いたげである。
「食事は摂らねば動けぬが、摂りすぎてもまた動けぬ。良い塩梅を見定める能力はあるようだな」
「そういう事じゃねえ」
「我がそれ以上の感慨を持つとでも思うておるのか」
 思いたかった、が持たないであろう事も予想が付いていた。
 図星ととられるのを承知で口を噤む。
「下世話な解釈をしたい貴様の性根は分からぬでも無いが、あれにはそのような心根はあるまい」
「……何で分かんだよ」
 元就は直ぐには返事をせず、黙って茶を喉へ流し込んだ。
「豊臣の軍師が言うておったな。毛利軍は我を失えば容易く降るであろうと」
 毛利水軍の長は冷酷非道、氷のような無情者。
 たとえ事実がどうであれ、それが世間の評判である。
「そのような男に嫁がされた女が、情など抱くと思うか」
 室と全く同じ様子で同じ事を言ってのけたこの男が殊更哀れであった。



「……なあ」
「何だ」
「帰ったら、適当でいいから礼言っとけよ」
「貴様、我の話を聞いていたのか」
「ああ聞いてた、全部聞いてた。だから言っとけ」



デレをなるべく表に出さないように心がけました
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