シリフ霊殿
Schild von Leiden

元親君の光源氏観察日記
 水無月某日 元就の容態が心配なので安芸へ赴く。





「何の用だ」
 来るなり眉間に皺を寄せて睨まれた。
 来るなりという事は俺が来るまで皺は無かったという事で、つまりは心配する必要は無いって事だ。
 その直後の台詞が「用が無いなら帰れ」だったからむしろ心配して損した。
「随分と機嫌悪そうだなぁ」
「悪いか」
「#奈々がびびっちまうぜ」
 笑いながら言うと、元就は煩いと言ってまた文机の方を向いた。
 実際の所、こいつの機嫌が悪い理由は思いつかなくも無い。
 ここんところずっと雨続きで、大好きなお天道さんが拝めてないせいだ。
 ……あと、#奈々の特訓が満足に出来ないってのもあるかもな。
 この間の様子を見るに、こいつ結構#奈々を鍛える事に力入れてるみてえだし。



「んで、その#奈々は何処だ?」
「外だ」
「あ?」
「先日庭先を這っていた蝸牛をえらく気に入ってな。ここの所は毎日外へ出て、大量に捕まえては帰って来る」
 言いながら元就は文机の上に並んでいた椀の一つをぐいと傾けた。
 椀から出ようとしていた蝸牛が一匹、傾けられて再び椀の中へ戻っていく。
 どうも窮屈そうに作業してると思ったら、椀が机を占領してる所為か。
「……これ全部あいつが採って来たのか?」
「先日、そろそろ食事用の椀が無くなると言って勝手方に怒られた」
「怒られたのお前なのかよ」
「一応は我が面倒を看ている状態だからな」
 個人的に、こいつが部下に怒られてる姿ってのが想像出来ねぇんだが……

「そういえば貴様、物を作るのは得手であったな」
「あ?ああ、まぁな」
「ならば丁度良い、これらを収める箱を作れ。このままではろくに政務が出来ぬ」
「……まぁ良いけどよ……」
「蓋は餌を差し入れられる程度の大きさ、側面には網を張り中が覗けるようにせよ」
「おい待て片っ端から何様だお前」
「#奈々の為ぞ」
「へいへい」



 材料を提供して貰って、渋々手を動かす。
 最初は持ち運べる大きさの心算だったんだが、また何匹持ち込むか分からないというので結局かなり大きなものになった。
「……流石にでかすぎねぇ?」
「梅雨が終わるまでどれだけ集めてくるかも分からぬ。大きいに越した事は無い」
「あんまり拾ってくるようなら逃がすとかすりゃ良いだろ」
「拾って来た数を一々数えて覚えておるのだ。以前一匹逃がしたら泣き喚かれた」
「そりゃ一椀に一匹じゃ数えやすいしな。そうじゃなくてもっと……」
「哥々!」
 縁側から響く元気な声。
 振り向くと小さな傘を差した#奈々が、全身泥まみれになって立っていた。
 傘を持っていない方の手に、新しく捕まえてきたらしい蝸牛を数匹握っている。
「また採って来たのか」
 全く、と言いながら元就が立ち上がった。
 その辺の布を掴んで縁側へ向かい、座敷に上がろうとしていた#奈々を押し止める。
「上がるならせめて足を拭いてからだ。先日畳を張り替えたばかりでは無いか」
 #奈々の足を捕まえて、持っていた布でごしごしと泥を拭う。
 甘えて抱きつかれる所為で元就の服にも泥が飛ぶが一向にお構い無しだ。
 両足を拭かれ終わった所で、#奈々が手に持っていた一匹を元就の方に差し出す。
 元就は何の気無しにそれに目をやって、それから少しだけ表情を緩めた。
 ……一瞬元就が微笑ったような気がしたんだが、流石に気の所為だろうか。
「ほう、これは貝の巻きが逆なのだな。これだけは別にしておくと良いぞ」
「好!」
 にっこり笑う#奈々に軽く頷くと、泥に塗れた着物を素早く脱がせる。
「そのままでは風邪を引く。これは我が仕舞っておくゆえ、まずは湯を浴びて来い」
 ばたばたと素っ裸のまま駆け出して行く#奈々。
 元就も預かった蝸牛は素早く俺に押し付け、また何事も無かったかのように着物やら傘やらを片付けにかかっている。
 何だ、もはや日常茶飯事か。



「つーか普通に別にしておけっつったけど、それってもう一個作れって事だよな?」
「何か問題でもあるのか?」
「……無ぇよ」



女の子の遊びじゃないような気がしないでもないですが
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