シリフ霊殿
Schild von Leiden

電車と揺れる心
 校門を出た所で、見知った顔と鉢合わせた。
 鉢合わせたどころか、もしかすると態々待っていたのかもしれない。
 両手にこれでもかという量の買い物袋を抱えている。
「あ、元就君」
「……此処で何をしている」
 思わず鞄を落としそうになるのを堪えて言うと、
 この能天気が身上らしい下宿の管理人は両手に紙袋を抱えたままうふふ、と笑った。
「偶然この近くで安売りがあったから、来てみちゃった」
「それで交通費をかけてまで買い物に来たのか。本末転倒だな」
「大丈夫よぉ、ちゃんと真田君の定期借りて来たもの」
「……」
 とりあえず黙って荷物を幾つか奪うと、#奈々はありがとうといってまた笑った。
 この女は実に幸せそうな笑い方をする。
 悩みが無さそうな、頭が悪そうなと表現した方が正しいかもしれない。
 何にせよこの笑顔をこのような所で見るのは悪くない、と思った。
「ところで帰りも電車に乗る心算か?そろそろラッシュだが」
「……あっ」
 実際何の悩みも無いのも頭が悪いのも困り者だが。





 帰りの車内は普段の数割増混んでいた。
 どこかの路線で事故でも起こしているのかもしれない。
 ラッシュには慣れている心算だが、ここまで来ると矢張り少々辛い。
「むぎゅう」
 脇では案の定顔面を圧迫されて呻く声が聞こえる。
 身長が低いのに加えて、顔の前に抱えた大量の紙袋が災いしているようだ。
「……こちらへ」
 手を引いて扉に凭れさせ、(幸いにも降りる駅まで扉は開かない)
 顔の横に手を置かせて貰って安全な空間を確保する。
 これで少なくとも#奈々が潰される事は無いだろう。
 しかし確保そのものは容易いが、その空間の維持に予想以上に苦戦する。
 また直ぐに反対側の扉が開き、先刻より大量の人間が流れ込んで来た。
 押されて#奈々の方に身体を押し付けてしまいそうになる。
 肩の鞄は少々押された所で支障は無いだろうが、押された所為で空間が少しばかり狭くなってしまった気がする。
 腕力の無い自分がこの時ばかりは口惜しい。
「大丈夫?」
「ああ……そちらこそ、狭くは無いか?」
「何言ってんの、元就君が頑張ってくれてるのに文句なんて言えないわよぉ」
「……」
 息が髪に当たるのが不快では無いだろうか。
 俯きがちなので、不快そうな表情をしていても分からない。
 かといって見つめ続けるのも躊躇われて、無言で顔を正面に向けた。
「有難う、元就君」
 表情は見えないが礼を言われた。
 何と返せば良いか分からず「潰れても困るからな」と視線を逸らすと、
 それでも#奈々は「そうねぇ」と言って笑ってくれた。





「お帰りー」
「お帰りなさいでござる!」
「Welcome home」
 帰り着くなり下宿人達に取り囲まれた。
 この下宿に住まう人間は皆、多少なりとも#奈々に甘い所がある。
「帰りの電車混んでたでしょ。大丈夫だった?」
 猿飛が#奈々の持っていた紙袋を台所へ運びながら尋ねた。
「ううん、毛利君が守ってくれたから」
「ばっ……」
 余計な事を言う。これだからこの女に付き合うのは苦手なのだ。
 #奈々が名前を出した途端、負の感情を含んだ視線が一斉にこちらへ向けられる。
 別に貴様らを出し抜こうとした訳ではない、と言い訳した所で通じないだろう。
 さてどう切り抜けるか、と身構えた所で、意外にも奴らはあっさりと手を引いた。
「……ま、毛利なら良いか」
「この人ならまだ何も無いっしょ」
「安全牌だしな」
 何だそれは。
 勝手に闘志を燃やされるのも煩わしいが、勝手に除外されるのも腹が立つ。
 が、口に出す訳にもいかないので、とりあえず黙って部屋に戻る事にした。
「毛利君?」
「夕飯が出来るまで復習でもしている」
「あっうん、ええと……ありがとう」
「先刻も聞いた」
 これ以上周囲の嫉妬を買わぬよう、出来るだけそっけなく返事をして階段を上る。
 そんな事より鞄の中の本が潰れていないかどうかの方が心配だった。



「毛利」
 部屋の戸を開けようとした所で隣室の男に呼び止められた。
 何時ものように左目を眼帯で覆い、手は何かの塗料らしきもので汚れている。
 性懲りも無くまた模型でも作っていたのかこの男は。
「……何だ」
「お前、#奈々に良い所見せようとしただろ」
「人聞きの悪い。弱者を守るは男子の務めぞ」
「そうかぁ?あんたが腕筋肉痛になるまで何かに励むなんざ初めて見たがな」
 ドアノブに伸ばしていた手が止まる。
 筋肉が張っているというのは制服の上から見ても分かるものなのだろうか。
 人を見るのが上手いこの男なら有り得るかもしれない。
 或いは単に鎌をかけただけかと考えた所で、男がにやりと笑うのが見えた。
「何だ、マジでそんなに頑張ったのかよ」
「……卑劣な」
「安全牌キャラ気取ってるお前ほどじゃねぇよ」
「ふん、読み切れぬあやつらが甘いのだ」
「……お前性格悪すぎだろ」
「貴様こそどういう心算だ。伊達や前田に密告でもする気か?」
「馬ぁ鹿、ンな事ぁしねぇよ。今夜のハンバーグ半分な」
 口止め料の心算らしい。
 飽くまで話さぬ事前提で取引しようとする辺りがこの男らしいと思う。
 見破られたのがこやつであっただけ良しとするか。



 どうせこの腕では復習など出来そうにないので、#奈々に夕飯に呼ばれるまではベッドに横になっている事にした。



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