シリフ霊殿
Schild von Leiden

厳島の秘宝と女海賊
 断続的に飛んでくる矢を避けながら、船から船へ飛び移るようにして移動する。
 昔山の中で遊んだ頃を思い出して懐かしくも楽しくなったけど、流石にそこまで不真面目にはしてられない。
 だってこれは戦だから。
『今度の敵は毛利水軍だ。一筋縄でいく相手じゃねえ、皆気合入れてけよ!』
 戦の前、元親兄貴はあたし達に向けてそう言った。
 だからあたしは今こうして単身敵陣に切り込んでいる。
 例えどんなに強力な水軍持ってたって、大将がやられれば烏合の何とやらだ。
 討ち取る事が出来なくても、注意をこっちに逸らせれば時間稼ぎにはなる。
「よっと」
 一際大きい、大将が乗っていそうな船に飛び降り、大きく息を吸う。
 大きく吐き出して、また吸う。
 大丈夫、落ち着けあたし。
 智将っていうのは大抵腕っ節には自信が無いもんなんだ。
 落ち着いて戦えば、必ず勝てる。
 自慢じゃないけど女にしては腕っ節は強い方なんだから。
 少なくとも、兄貴や皆が来るまで時間稼ぎは出来る。皆が来れば、何とかなる。
 大きく息を吐きながら声を張り上げる。
「たのもー、毛利元就!長曾我部国親が娘・#奈々、お相手願う!」
 だだっ広い海に、あたしの声がわわんわわんと響いて消えた。
 返事は、ない。
 道すがらあたしにのされた兵達の呻き声が聞こえるばっかりだ。
「何だよぅ、総大将はあたしみたいな小娘は相手にする気ないって事?」
「あの、#奈々アネゴ」
 あたしに追いついたらしいうちの軍の一人が息を切らしながら声をかけてきた。
「あ?何?」
「アネゴの怒鳴ってる毛利ってのは、そいつの事じゃねえスか」
「え、どれ」
「アネゴの足の下で呻いてる」
「……え?」
 あたしの足の下、甲板の上で、上等な緑の鎧を着た武将が一人、


 あたしに踏んづけられて伸びていた。



 うん、ごめん、真面目にやってたつもりだったけど不真面目すぎたみたいだ。
「だははははははは!んじゃ何か、毛利の軍が一気に崩れたのはお前が総大将踏んづけたからだってのか?」
「っ……不覚……!」
「……すいません」
 もはや謝るしかない。(ええ、そりゃあ不覚でしょうとも!)
 勝ち戦の後、兄貴達に盛大に笑われたあたしは随分恥ずかしい思いをしたけど、
 その輪の真ん中、兄貴とあたしの前に引きずり出されてる毛利はきっともっと恥ずかしい思いをしてるんだろう。
「でも、だってしょーがないじゃん、まさか飛び降りた所にいるとか思わないよ!」
「踏んだ時点で気付け」
 あう。
「い、いやあの、もやしみたいに細かったから気付かなかったんだよ!」
「誰がもやしだ!貴様、我を愚弄するか!」
 あたしの言い訳に一々律儀に反応しては、周りの子分達に押さえつけられてる。
 何だ、智将っていうから硬派なイメージあったけど結構面白い奴じゃないか。
「で、どうすんだ、もやしの智将さんよ」
 元親兄貴が笑いすぎて目尻に滲んだ涙を拭いながら言った。
「あまりの恥ずかしさに腹を切りてえってんなら、介錯ぐらいはしてやるぜ?」
 多分兄貴なりの気遣いだったんだろうけど、毛利は鼻で笑っただけだった。
「これ以上の辱めは御免だ。無意味に貴様らの手を煩わせるのは好まぬ」
「……あーあー、判ったよ。お前ホント俺の事嫌いなんだな」
「敵を憎まずして誰を憎めというのだ」
「ま、そりゃそうなんだけどよ」
「これも敗者の定め、好きにするが良い」
 毛利はそう言って兄貴とあたしの前に首を突き出した。
 まるで、さあ切れ、と言わんばかりに。
 元親兄貴はしょうがねえな、と言って頭を掻いた。
 やめろとは言わない。戦乱の世ではこれくらい常識の範疇だ。
 でもあたしは何だかその行為が酷く気に食わなかった。
「兄貴」
 ので、兄貴の服の裾を軽く引っ張って、妥協案。
「何だ?」
「総大将倒したのあたしなんだけど。恩賞とか無い訳?」
「おう、そうだな。欲しい物何でも言ってみろ」
「やった」
 軽く小躍りしてから、考える仕草。
 勿論、何をもらうかなんてもう決めてある。
「何だ、こないだ俺が作ったミニチュア木騎か?」
「んなもんいらねえ。そうだな……これ」
 大事な場面で何を言い出すかとかまたごねられない内に、びしりと人差し指で毛利を指差す。
 案の定、元親兄貴と毛利の目が同時に点になった。
「この子結構面白そうだから気に入ったの。あたしの配下か傍仕えに欲しい」
「あ、あー……」
 兄貴は完全に予想外といった顔つきで、あたしと毛利を交互に見てる。
 毛利に至っては予想外すぎて声も無い。
「……まあ……#奈々がそれでいいってんならいいけどよ」
「うっし!」
 あたしはすぐに毛利の縄を解いた。
 そして、まだよく状況が飲み込めてないらしいその手をとって、立たせる。
「んじゃいこっか、毛利!あ、もうそんな呼び方しない方がいいな、元就!」
「な、何なのだ一体」
「何って元就の着替え探しに行くんだよ。その服戦のせいでボロっちくなってるからさ」
「そうではない!」
「んじゃ何?敬語なら使わなくていいよ、元大将がいきなり敬語はきついっしょ。
 気にしなくても、うちの軍は皆そんなもんまともに使えないのばっかだからさ」
 これ以上質問はなし、とばかりに腕を引っ張って強引に部屋へ連れて行く。
 抵抗されるかと思ったけど、実際されたけど、結構簡単に引きずってこれた。
 やっぱ智将は体力ないっての本当なんだなあ。



 引っかき傷やら血の染みやらでボロボロになってる服を脱がせて、
 お宝という名の戦利品の山から適当に引っ張り出した着物を取り出して着せる。
 随分抵抗されたけどやっぱ智将は体力(以下同文)。
「……情けをかけたつもりか?」
 取っ組み合いの末に着物に袖を通した元就が、肩を弾ませながら聞いてくる。
「いや、別に?」
 暴れたせいで散らかった部屋を簡単に片付けながら答える。
 ……お、一升瓶みっけ。兄貴め、こんな所に秘蔵の酒隠してたな。
「ならば何故我を助けた」
「言わなかったっけ、面白そうだから」
「嘘を吐け、それ以外にも理由があるだろう」
「さあねー。自分が何を思ってるか完全に把握できる程あたし賢くないしさ」
 なおも探ると杯がいくつか出てきた。
 なーるほど、時々夜中に消えるのはこういう訳か。
「死なせたくないと思ったかったんだよ。そして思ったとおりに行動しただけ。
 あんたはそのとばっちり受けただけ。ま、敗将の定めだと思って諦めて」
 後ろで元就が盛大に溜息を吐くのが聞こえた。
「何故我はこのような女に負けたのだ……」
「さあ、何ででしょ。運じゃん?」
 言いながらなるべく埃を被ってない杯を二つほど選び出して、一升瓶と共に元就の目の前に出す。
 元就は案の定顔をしかめた。
「何の真似だ」
「別に誰の真似もしてないけど。飲みませんか。勝ち戦のお祝いに」
 日の暮れ始めた外、船の上の方では男達の喚声が聞こえ始めている。
 多分、恒例の宴会でも始めたんだろう。
 だったら別にあたしらも飲み始めたっていいじゃないか。
 ……酒は、兄貴秘蔵のお宝だけど。
「我は敗将ぞ。何故祝い酒など」
「まーまー、一応この船は勝った事になってんだからさ、便乗しとこうよ」
「……我は酒を好まぬ」
「あれ、そうなの?なら一杯だけ」
 無理矢理杯を持たせて、上司手ずから注いでやれば、律儀な元就には断れない。
 しばらく眉間に皺を寄せて杯とその中身を睨んでいたけど、
 やがて覚悟を決めたのかぐっと一気に喉に流し込んだ。
「おーいい飲みっぷり」
 飲んだ直後にかっと赤くなったのに笑いながら、あたしも手酌で一杯飲む。
 そんなに強い酒じゃないのに、一杯でふらふらになってる元就はやっぱり面白い。
「美味しー。流石妹にも秘蔵にするだけあって上物だわ」
 お代わりしようとすると、元就が自分の杯を置いてお酌をしてくれた。
 ……うん、手元気をつけてね。大分ふらついてるから。
「其方、兄が居るのか」
 瓶を置いた元就がぽつりと言った。
「へ?ああうん、長曾我部元親はあたしの兄貴だよ、一応。血の繋がった」 
 ていうか戦の時名乗らなかったっけ。ああ、元就伸びてたから聞いてないのか。
「そうか」
「何、いきなり」
「……我の兄は、酒毒で死んだ」
 唐突だった。
 思わず口に運びかけていた杯を止めてしまう。
 元就の方を見ると、相変わらず赤い顔のままぼんやりと床を見ている。
「父も母も幼い時分に死んだ。正統な毛利の血を継ぐ者は、もはや我しか居らぬ」
 今度こそ杯を床に置いた。
 無理矢理飲まされたのを怒ってるのかと思ったけど、そうでもないらしい。
 顔を覗き込んでみたけど、別に怒ってるようには見えなかったから。
 酔いが回ってきているのか、目はとろんとした感じで焦点も定まっていない。
 話はしてるけどかなり夢うつつな状態みたいだ。
 そうか、と元就はもう一度言った。
「長曾我部があのようなのは、家族がいるからか」
「あのような……って、馬鹿って事?」
 とっさにそれくらいしか思いつかなかった。兄貴にばれたら怒られるな、こりゃ。 元就はゆっくりと首を横に振った。
「其方か兄のどちらか一人でも、日輪のようだと言われた事はないか?」
 何それ。
 日輪?ああ、太陽の事か。
 太陽みたいだって言われた事?どこが?脳味噌が?能天気なあたりが?
「こちらがどのような態度に出ても、いつも底抜けに明るく笑っている。
 この軍はいつもそうだ。お陰で調子が狂う」
「ああ……そうですね。そこは否定しないわ」
 笑いすぎて時々本当に馬鹿なんじゃないかと思うよ。いやほんとに。
「そしてその笑いの中心はいつも、其方か其方の兄の下にある」
「そうですか」
 それは自覚なかったわ。
「似ているとは思っていたが、やはり家族か。血は争えぬな」
 え、それ褒めてんの貶してんの?
「……誰かに笑って手を引かれた事など何年ぶりか」
 ぐらり、と元就の身体が傾く。
「少々面食らいはしたが……う」
 う、何。
 嬉しかったのか。羨ましかったのか。恨めしかったのか。
 まあどれにしろマイナス感情から出たもんじゃなさそうだからいいんだけどさ。
 意味深に言いかけたまま、元就は完全に眠りこけてしまった。
「……あれま」
 元就ってこんなにお酒弱かったんだ。
 とりあえず床に寝かせて、近くにあった羽織を被せて布団代わりにする。
 寒い季節じゃないし、これで風邪をひくこともないだろう。
 ただ起きた時背中がちょっと痛いかもしれないけど。
「馬鹿だねこの子は」
 着ていた上着を脱いで、枕代わりに頭に宛がってやりながら一人呟く。
 うちの軍が馬鹿明るいだって?
「あんたも今日からその一員なんじゃないか」





 起きると背中がちょっと痛かった。
 寒い季節じゃないし風邪ひくこともないだろう事がせめてもの救い。
 いつのまにか近くにあった羽織を布団代わりにして寝ていたらしい。
 前言撤回、背中だけじゃなく頭も痛い。これはきっと二日酔いだ。
 普段はもっと飲んでも平気なのに、元就と一緒に飲んだせいだろうか。
 当の元就はまだあたしの隣で寝息をたてている訳だけれども。
 水でも取ってこようと起き上がりかけてやっぱり止める。
 もう一度床に寝転がったところで部屋の戸が開いて兄貴が顔を出した。
「よう#奈々、昨日は随分お楽しみだったみてえじゃねえか?」
 兄貴の笑いが少しひきつっている。多分、秘蔵のお宝の事だろう。
 いーじゃないか、変な所にこっそり隠しとく兄貴が悪い。
「あ、兄貴丁度良かった。着替えと水と朝ご飯と取ってきて」
「何で俺が妹にパシられなきゃなんねーんだよ」
「いいじゃん、動けないんだよ。幸せの重み」
「あん?」
「一晩かけて懐かせたんだよ」
 あたしは得意気に羽織を持ち上げて、あたしの服を掴んでる元就とその手を兄貴に見せてやった。



元就様デレデレ期
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