シリフ霊殿
Schild von Leiden

だいたいそんなかんじ
「#奈々、ポニョ見に行こうぜ、ポニョ」
 そんな可愛らしい固有名詞が彼の口から出てくるのを初めて聞いた。
 にも拘らずその手にはチケットが二枚。断られるという考えは無いらしい。
「あ?何だっけ、股の下のぽにょ?」
「ひっ酷いっ!女の子がそんな下品な言葉を使うなんてお父さん許しませんよっ!」
「あんたを父親に持ったのはあたしの人生最大の屈辱だよ」
 エンジニアといえば最近の子供の憧れの職業になってるらしいけど、少なくとも家ではただの機械オタクだ。
 子供の頃からガンダムだのエヴァだの語られた弟はすっかりこれの同族だが、
 残念ながらあたしのそっち方面の趣向は母親に似たらしい。
「どうせ映画行くなら毛利さんと行きたいな、毛利さんと。あの人と話してると面白いから」
「毛利ぃ!?」
「何、何か問題でもある?」
「お前あんな奴のお嫁さんになりたいとか言うなよ!後悔すんぞ!」
「少なくともあんたの嫁になるよりは後悔しないよ」
 馬鹿親父こと長曾我部元親が泣いて部屋から飛び出すまで残り三秒。二、一、



「わーん#奈々が反抗期ーっ!」
 台所からは今頃何言ってんの、と冷笑が返って来た。





「相手をして貰えるだけましと思え。昨今の娘は父親の下着を箸で摘むというぞ」
「だってよぅ、挙句の果てに『毛利さんの方があんたより人間出来てる』だぜ?」
「事実ではないか」
「もうりぃぃぃぃぃ」
 親父は情けない声を上げてウイスキーのロックをあおった。
 毛利さんは並んだ酒に目もくれずに、おつまみのピーナツを摘んでいる。
 酒嫌いで甘党なのは知ってるけど、綺麗に柿の種を避けているのが可愛い。
 こんなに面白い人なのにどうしてこの年まで嫁の貰い手……
 間違えた、嫁の来手が無いんだろう。
 こんなだからいっそあたしがゲフゴフとか思っちゃうのか。そうなのか。
「しかしこやつの阿呆さは否定せぬが、其方も少し言葉を選ぶ事を覚えた方が良い。
 普段から慎まねば、いざ礼儀を尽くさねばならぬ時に粗相をするぞ」
「はぁい」
「てめっ、俺が同じ事言っても鼻で笑う癖に!」
「尊敬する人の忠言は耳に痛いものです」
「#奈々てめぇぇぇぇ!」
「喧しい」
 ごつ、と頭を殴られて床に沈む親父。
 この構図は二人の学生時代から変わってないんだそうだ。情報ソース、母親。
 ついでに「毛利君ってあの頃から年取ったように見えないのよねえ」とも言われた。
 何処かで日本人は欧米人から見ると年齢が止まったように見えると聞いたけど、
 日本人のあたしがどう頑張って見てもやっぱり二十代後半以降に見えない。
 何だろう、いい男は年を取らないもんなんだろうか。
 それとも実は妖精さんでしたなんてオチが ある訳ないか。
 まぁこの恋愛結婚十ン年に言わせれば、「元親も十分いい男」なんだろうけど。



「それで、映画だったか?」
 ウイスキーの代わりに麦茶を飲みながら毛利さんが聞いてきた。
 実は話の細かい所までしっかり聞いていたらしい。
「あーまぁ……別にチケット勿体無いから行こうかってだけですけどね」
「だから#奈々、俺と行こうぜって」
「嫌だっつってんだろーが」
 我ながら素晴らしいまでの手の平の返し方だ。
「本当は子供向けのじゃなくてもう少し別なの見ても良かったんですけどね」
「見たいものがあるならそれを見れば良かろう」
「たまには童心に返ってみたい気分になるんですよ」
 勿論嘘だ。
 チケットが勿体無いし新しく買うとお金がかかるし、
 折角一緒に映画だというのにあたしの我侭で毛利さんに負担をかけるのは悪い。
 何よりあたし子供向けアニメ映画で泣いた人って毛利さんしか知らないんだよね。
 子供の頃に一度両親が用事で忙しかった頃について来てもらったら、
 あたしにばれないように必死で目頭押さえてるの見てかなりびっくりした。
 最近はガキんちょだって映画なんかで反応しない程スレてきてるっていうのに。
 ……あれをね、もう一回見れないかなーとか思っちゃったりしてる訳でして。
 いや、あたしは一体毛利さんに何を期待してるんだろう。



 何を着ていこうかなんて気の早い事を考えていると、傍からほろ酔い加減の声が聞こえた。
「お前頭固いからなぁ。ガキと映画行ったってつまんねえだろ」
 黙れ馬鹿親余計な事を。思わず見えないように拳を握る。
「別に、嫌いでは無いが?」
「マジかよ!前に伊達が洋画のチケットくれた時興味ねえっつってたじゃねェか!」
「貴様等のように異国に妙な憧れがある訳でも無いのでな」
「……邦画なら見るってのかよ」
「歌手が演劇をするようなものをわざわざ見たいとは思わぬ」
「じゃあ何で……!」
「#奈々が見たいと言って居るからな」
 ……あ、今ちょっとキュンときた。
「子供が見るものが一番純粋で良い」
 その直後の言葉で後悔したけど。
 毛利さんその言い方だとまるであたしが小学生みたいです。
 あたし高校生です父親を平気で罵倒出来る程度にはスレてる年齢なんです。
「そんなら前に俺が、」
「我は貴様の言う機械だの萌えだのに興味は無いぞ」
 しかしぷちトリビア入手。
 それで子供嫌いそうなこの人があっさり映画の付き添いなんて引き受けたのか。
 ……今でも家引っ掻き回せば何かビデオ残ってるかなー。
 しかしこの父親、あの某ロボット映画に弟と一緒に毛利さんまで誘ってたとは。
「大体、好きだと言っても機会があれば行く程度だからな」
 ああ、確かに大の男一人じゃ悪目立ちしますもんね。その点子供連れなら……
 すいません、女子高生と大の男の二人組も相当目立つと思います。
 言わないけど。
「あっ、じゃあ、折角だしついでに何か食べに行きましょうよ!
 最近映画館の傍にケーキバイキングが出来たんです、美味しいって評判で」
 情報提供、友人。感謝。
 正直小遣い日前の財布には痛手だけど、毛利さん甘党だから良し!
「何だよ#奈々、行きたかったなら俺が連れてって……」
 そうだこいつも甘党だった!
 即座に卓袱台を乗り越えて父親に飛び掛り、胸倉を掴む。
『折角お膳立て頑張ってんだから、邪魔を、するな、糞親父!』
 こっそりと毛利さんに聞こえない程度の音量でドスを聞かせ、
 はいと返事が返ってくるのを確認してから笑顔で対岸に戻って来た。
「……何の話をしていたのだ?」
「父さん最近メタボ気味だからそういうの控えなきゃ駄目でしょって」
「親の身体を気遣えるか。良い娘になったな」
「えへへ」
 勝手に体脂肪率を改竄された父親が何やら睨んできてるけど無視だ無視。
 何、俺の体脂肪率は一桁だ?腹筋も六つに割れてる?へーそう。
 悪いけどあたし今毛利さんフィールド展開してるから何も聞こえないから。
「そういえば入学祝いもしていなかったな。途中で良い店があれば寄ると良い」
「えっそんなー悪いですよぅ」
「我が買ってやりたいだけだ。ただし、本人に品物を選んで貰わねばならぬが」
「えっと……じゃあ、出かけた帰りに少し見てみる事に……」
「毛利ぃぃぃ!お前人の娘に手ぇ出したらただじゃおかねェからな!」


 よ し 、 あ の 父 親 後 で 半 殺 し に し よ う 。


 そんな言い方されたら『出さない』って言うしか無いじゃん!
 良いじゃん別に小さい頃から面倒見てくれた人とくっついたって!
 お兄ちゃんとかととさまとか、少女漫画なら結構常識だと思うんだけどなー。
 ……あ、でも流石に『毛利のおじちゃん』は中々無いか……



「貴様、自分の娘を何だと思って居る」
 急に部屋中に毛利さんの声が響いた。……いや、フィールド効果でなく。
 またいつもの親父からかいかと思ったけどその表情はやけに真面目で。
「いつまでも親の言いなりになる子供でもあるまい。誰の嫁になるかなど、#奈々自身が決めれば良い事」
「だってよぅ……」
「誰しも親離れの時期はある。これを機に嫌がられぬ父親を目指したらどうだ」
 黙り込んだ親父を一瞥した後、毛利さんはあたしに向き直って頭を一つ撫でてくれた。
「案ずるな、貴様の前では#奈々も未だ年端の行かぬ娘であろう。
 ただ、その娘も家の外へ出れば立派な一人の女であるという事を心得ておけ」
 これは、あれですよね。
 うちの糞親父の戯言を得意の策で黙らせて下さったんですよね。
 そして暗に父親の居ない所なら手を出すぞという宣言をして下さったんですよね!
 いえ例え違ったとしてもそうだと信じておきますから。
「もっ毛利さ、」
「時に#奈々、入学祝は何が良い?本か、それとも菓子か?」
「え」
「言っておくが氷菓子は禁止だぞ。其方は昔からよくそれで腹を下すからな」
 ……あの毛利さん、あたしの事を本気で何歳だと思ってるんでしょう。



ギャグ漫画日和〜♪
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