朝は嫌いだ。
眠いから、という理由では無い。
確かに元々朝は得意な方ではないが、それでも日の出前には起きて日輪を拝むのは幼い頃からの習慣だった。
それが終われば直ぐに身支度を整え、隣の家へ向かわなくてはならない。
隣の家に住む、自分よりもずっと朝に弱い幼馴染を起こす為だ。
台所に立つ彼女の母親に軽く挨拶をして二階へ向かう。
勝手知ったる何とやらだ。
「#奈々」
「むー……」
今日も相変わらず、朝が来たというのに幼馴染は布団の中で唸っている。
自分も朝に弱い自覚はあるが、この女も大概だ。
子供のような睡眠時間を必要とする上に、一度寝たら中々起きない。
今も数個の目覚ましを鳴らし続けたまま布団を引き剥がしたというのに、
敷布団の上に座り込んだまま虚ろな目で空を見ている。
「……起きよ」
軽く肩を揺さぶってみるが反応は無い。
焦れて頭ががくがくと揺れるほど力を入れてみたが結果は同じだった。
「#奈々」
「むー」
「頬を叩かれるまで起きぬか?」
「むー」
「……」
流石に階下に家族も居る状況下で目を覚ますほど強く頬を殴るのも忍びないし、
かといってこのままでは登校時間が過ぎてしまう。
仕方が無いのでタオルを濡らして来て思い切り顔に押し付けた。
(勿論窒息はしない程度に加減をして)
「ぶ!」
濡れた感触が嫌なのか、獣のように顔を振って水気を飛ばそうとする。
「起きたか?」
「んー……あー、おはよぉ」
相変わらず焦点は定まらないままだが、先刻よりはまともな反応が返ってきた。
「おはよぉ……今日もきれーねぇ」
「世辞は要らぬ。起きよ」
「セガール」
「誰だ。」
どうやら夢の中の妖精か何かと会話をしているらしい。
「クリスティーヌどぉしたの〜喧嘩?あははははあたしなんかねぇ〜」
「〜っ」
結局頭を一発殴って起こした。
「うぅ〜痛い……元就のいぢわる、馬鹿になったらどうすんのさ」
「それなら案ずるな、貴様は既に阿呆の極みだ」
「てゆーか、着替えてんですけどどっか行っててよ。えっち」
「後ろを向いていてやるだけ有り難いと思え」
大体この女は気を抜くと下着姿で立ったまま眠っていたりするのだ。
それをいちいち揺り起こしている事を考えれば、羞恥など覚えている暇も無い。
着替えが終われば手を引いて一階に誘導し、朝食が並んだテーブルに着かせる。
いつも悪いわねぇと謝る母親にいいえ、と返しつつ、ぼんやりしている口に強引にトーストを突っ込む。
「むが」
「寝るな」
「んむー……ぐむぐむぐ」
呑気なものだ、と思う。
(全く、我が貴様を起こすのにどれだけ苦労していると……)
漏れてきた欠伸を何とか噛み殺した。
登校途中電柱に二、三度頭をぶつけ、#奈々はようやく目を覚ます。
「元就……いつもごめんね」
起きれば少しは殊勝になるようで、謝罪の言葉も口をついて出たりする。
「別に、これしきの事は我にとっては苦でも無い」
本当を言うとこの場で眠り込んでしまいたいくらいには眠いのだが、
ずっと隣で詫びる#奈々を見ていると軽い優越感を感じる。
明日もまた起こしに行くのだろうと、諦めにも似た気持で思ってしまう。
「そう思うのなら少しは自分で起きる努力をしたらどうだ」
「え〜?そりゃ努力はしたいけど、あたしもう元就の声聞かないと起きられないようになってるからな〜……」
「……ふん」
この奇妙な優越感が、好きだった。
我ながら随分と安いものだと思う。
それでも結局こうして毎朝起こしに行っているのだから救いようが無い。
「……またか」
今日は既に布団の上に身を起こしているだけましかもしれないが。
こちらに気付いているのかいないのか、虚ろな瞳でぼそぼそと何事か呟いている。
「あらおはよぉセガール」
「貴様、好い加減に……」
「あのねぇもーすぐ元就が起こしに来るからねぇ」
「!?」
「眠いのに頑張って来てくれてるから、あたしが起きない訳にいかないのー……」
「……っ」
へらへらと笑う寝惚け顔に、何故だか無性に腹が立った。
おそらくこちらを知覚していないであろう彼女に非が無いことは百も承知だが、
「我はそのような戯言に付き合っている暇は無いっ!」
「うあぁはいっ!?」
驚いて飛び上がった相手を見て少々は溜飲を下げたが、一度胸の内に生まれた激情はそう簡単におさめられよう筈も無い。
かといっておどおどしている#奈々を正面から睨みつける事も出来ず、怒りに震える身体を抑えながら俯く。
「ど、どうしたの元就?」
「……嫌い、だ」
「え?」
嫌いだ、お前など。
布団の上で首を傾げている#奈々をそのままに、無言で踵を返す。
「元就?」
「……明日からは他の人間に起こしてもらえ」
「えっそんな、元就」
「邪魔をしたな」
「元就!」
あれの事だからしばらく呆然としているものだと思っていたのだが、
思いの外素早く腕が伸びて来て、制服の背を掴まれた。
「元就」
「……」
放せ、と言いたいのに。
弱々しくすがってくるこの手を振り解くだけの力がどうしても出ない。
どうかすると先刻この女に酷く腹を立てた事さえ忘れてしまいそうになる。
「我でなくとも……代わりはいくらでも居るであろう」
「いないよそんなの!
だってあたしにこんな事してくれたのなんて、昔からずっと、元就だけ、で」
「……」
眠いのに無理をして来ていると言えば、人の良い彼女が気を遣ってくれない訳がない。
それは分かっていた。
なのにそれを言わなかったという事は、つまり自分はそれをしたくなかったのだ。
ただあの奇妙な優越感を味わっていたいが為だけに。
(これでは我が、只の道化者ではないか)
「……優しく起こしてなどやれぬぞ」
「今更でしょう?」
「また昨日のような事をされても良いのか?」
「うん、それでも」
「……早う支度をせよ」
そしてそれでも、自分は明日またきっと隣家の扉をくぐっているのだろうと思う。
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