シリフ霊殿
Schild von Leiden

せなのてつはう
「おーおーヘコんでんなぁ」
 戦の前、同盟国の本陣に入った元親の第一声はそれだった。
 声をかけられた本人は、こちらを面倒臭そうに見ただけで返事もしない。
「……本当に不調かよ。まさか、策が浮かばなかったとかそんなんじゃねぇだろうな」
 今回が大一番だってのに要のあんたの策が不調じゃ困るぜ。
 そう言うと元就はようやく馬鹿を申すな、と短く返事をした。
「策はいつになく良い出来だ。敵軍を一人残らず討ち滅ぼしてくれる」
「そっか、まぁそんならいいんだけどよ」
「……」
 何があった、とは改めては聞かない。
 元就がこうして目に見えて不調を表わすのは、誰かに相談に乗って欲しい時。
 わざと不調を表に出して、自分に話しかけやすいように仕向けているらしい。
 といっても毛利の兵の中で元就と堂々と話が出来る人間は稀なので、
 肝心の話しかけ話に乗る役目は必然的に元親に回ってくる。
「今度は何だ?」
 過去幾度か発した事のある台詞を今回も口にする。
 元就は少しの間黙ってから、呟くように話しだした。
「兵の動きは読めても、兵の心は読めぬ」
「あん?どういう意味だ、そりゃ」
「文を出しても返りが無い場合は、嫌われているのだと思った方が良いのだろうか。
 或いは戦の間の女共というのはこちらの想像以上に忙しいものなのか……」
「待て待て、順を追って話せ」
 話について行けないので、元親は元就の肩を甲冑の上から揺さぶって黙らせた。

「つまりお前は誰かに文を出したんだな」
「うむ」
「で、それに未だに返事が来ねぇから悩んでると」
「そういう事だ」
「誰に出したんだ?てか、城内宛てに何て書いたんだ?」
「……」
「何でそこで黙るんだよ」
 おい、と尚も肩を揺すってみるが、今度こそ何の反応も無い。
 ここまで頑なだと、逆に想像が容易になる。
「……もしかして、#奈々に出したのか?」
「っ……き、貴様、何故それを知っている!」
「いや、勘だけど」
「〜……」
 図星を指されると、元就は目に見えて狼狽するのですぐに分かる。
「そっかそっか、うちの#奈々にわざわざ文をなぁ。で、何て書いたんだ?」
「……貴様には関係なかろう」
「関係なくはねぇだろ。餓鬼の頃から俺が手塩にかけて育てたんだからな」
 #奈々は中国と四国が同盟を組んだ時に、人質として毛利に嫁いだ娘だ。
 血縁関係としては元親の従妹にあたる。
 昔から妹のように可愛がってきた#奈々を人質に出す時はかなり心配もしたが、
 中々どうして睦まじくやっているようなので、元親としては喜ばしい限りなのだ。「なぁ、言えよ。何て書いたんだよ」
「知らぬ」
「知らぬじゃねぇよ、自分で書いた文だろ」
「貴様などに誰が教えるものか」
「そーかそーか、内容が分かりゃあ俺が理由考え付くかもしれねぇのになあ?」
「うっ……」
 あの手この手で文の内容を聞きだそうとする元親だが、
 その理由は同盟相手と従妹の恋愛を見守るというよりも単なる野次馬に近い。
 同盟相手の心配事がどうこうというよりも元就が自分の新妻にどのような手紙を書いたのかという好奇心が勝っている。
 何しろ氷の眼と恐れられた男が、内容を話すのを憚るような文を書いているのだ。
 (……こいつの氷も、少しは融けてきたって事かぁ?)
 気にならない訳が無かった。



 なぁ、と更に迫ると、元就は根負けしたらしく一枚の紙を元親に向けて差し出した。
「紙が汚れたので書き直したものだ。出したものと内容は変わらぬ」
 流石に自分の口から話す勇気はなかったらしい。
 手紙は形式通りに時候の挨拶から始まり、戦の状況や相手への気づかいなどが作法に基づいて書かれている。
 ただ最後の部分だけが、墨を塗りたくったように黒くなっていて読み取れない。
 墨は塗ったというよりも、筆を叩き付けでもしたかのように飛び散っている。
「おい、肝心な部分読めねぇんだけど」
「汚れていると言ったであろう」
 しゃあしゃあと言ってのける元就。
「ここ分かんねぇと俺も答えの出しようがねぇよ」
「自分で考えろ」
「お前なぁ……この期に及んで何諦めの悪ぃ事してんだよ」
 そんなに恥ずかしい事書いたのかお前、とぼやきながら元就の方を向くと、元就の目線が先刻とは違う方向を向いている。
 目線の先を追ってみると、見張りの兵が持つ一丁の種子島に注がれていた。
「……もしかして」
 文面を見直すと、『できるだけ早く……を望む』までは何とか読み取れる。
 問題は何を望んでいるかだが、
「お前、もしかして……」
「何だ」
「もしかして、背中の鉄砲って書いたか?」
 元就は無言で視線を種子島と元親から逸らした。
 背中の鉄砲。背負って放つことから『負うて放つ』。
 『逢うて話す』逢って話がしたい、に通じる大和言葉である。
 文人の間では一定の知名度がある上、文に掛詞を使うのは習慣のようなものだ。
 大抵の女ならば口説き文句だと一発で気付くだろう、が。
「悪ぃ……それ、あいつ多分意味分かってねぇんだわ」
 船の上で海ばかり眺めて暮らしてきた海賊の娘ともなれば話は別である。
 筆にも墨にも紙にも金輪際疎い従妹の顔を思い浮かべて、元親は苦笑した。
 文字は読めなくとも侍女に読んでもらえるが、解釈までは難しいだろう。
 案外謎々の一種だと思って首を傾げているかも知れない。
「会いてぇなら、回りくどい言い方せずに素直にそう書いた方が良いぜ?」
「……出来るのなら、とうにそうしておる」
「ま、そうだろうな」
 掛詞にこんだけ躊躇してんだからな、と染みだらけの紙を畳んで元就に返す。
「ま、#奈々も貰った文に返事書く事も知らねぇ奴じゃねぇよ。
 忙しいか返事の内容考えてるか、どっちかだろ。あんま落ち込むな」
「……うむ」





「元就様!」
 陣幕の外がにわかに騒がしくなる。
 見張りに立たせていた兵の一人が血相を変えて飛び込んできた。
「何事だ」
「それがその、お方様が……」
「あ、いたいた元就様ー。#奈々、ただいま参上つかまつりましたっ!」
 能天気な声が本陣に響く。
 城を出る時見送ってくれた筈の室がいつもの小袖を脱ぎ、目の前に立っている。
 身に着けている服は長曾我部の船に乗っていた時に日常的に着ていたものだ。
「#奈々……一体何用だ」
「? 元就様直々のお呼び出しではないのですか?」
 戸惑う元就と、首を傾げる#奈々。
 元親には何となく#奈々がここに来た理由の察しがついた。
「背中の鉄砲と申されましたので、背後を守る鉄砲隊が欲しいという意味かと……」
「なっ、」
「それならばとこうしてやって参りました!
 この#奈々、賤しくも海賊の娘なれば、種子島の扱いは重々心得てございまする!」
 ご出陣の際には何なりとご命令を、そう言って#奈々はにこりと笑ってみせた。
 もはや言葉も無い元就の肩を元親がぽんと軽く叩く。
「良かったじゃねぇか、とりあえず会って話は出来たぜ?」



元就は和歌苦手だったとかいう史実に突っ込んだら負け
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