シリフ霊殿
Schild von Leiden

泣くのが嫌いなのは、弱いところを君に見せたくないから
 新幹線を降りると、懐かしい顔が二つ並んであたしを待っていた。
「別に新幹線の駅まで迎えに来なくても良かったのに」
 実家のある駅へ向かう電車の中で、吊り革に掴まったまま言うあたし。
「いいじゃねえか、駅っつったってそう遠い訳でもねえんだしよ」
   背が高いので吊り革どころかその上の鉄棒に掴まって笑う幼馴染その1。
「我は参考書の買出しに出たついでだ。この能天気と一緒にするな」
 何時の間にかちゃっかり座席をキープして本を読んでいる幼馴染その2。
 その1の名前は元親、その2の名前は元就という。
「あんた相変わらずちっとも可愛くないね」
「其方も相変わらず無駄に明るいな」
「無駄には余計でしょ」
「人より余計に五月蝿いのだ、余計に言って何が悪い」
「むむむむむむっ……!」
 言い返せないで唸るあたしと平然と本を読み続ける元就を見て、
 最初の一言以来ずっと黙っていた元親がいきなりくつくつと笑い出した。
「二年振りだってのに、お前らホント相変わらずだな」
 きょとんと元親の方を見るあたし達の反応は、図らずも同じタイミングだった。
 そうだ、これ二年振りだったんだね。



 家が近所で、家族が知り合い。
 必然的にあたし達三人は生まれた時から一緒だった。
 幼稚園も小学校も中学校も、高校までずっと。
 高校の卒業式の日の、涙をボロボロ流して泣く元親の姿を今でも覚えている。
 ずっと一緒だったのに、これで皆バラバラだなって。
 元就が地元の有名私立、元親はぎりぎり滑り止め、そしてあたしは京都の公立。
 (まあ、高校時代の成績からこれはある程度予想できてたんだけどね)
 バラバラになんかならない、絶対また戻って来るからって約束して別れたのに、
 帰って来れたのは結局それから二年も経ってからだった。
「ごめんね、中々帰って来れなくて」
「気にすんなって。向こうでも忙しかったんだろ?」
「まぁ、うん……色々あってねー。大学生活って忙しいの。休日まで予定いっぱい」
 あたしが遊び呆けてるだけなのかもしれないけど。
「でも、出発の日に『絶対帰って来いよー』ってプラットホームで号泣してた元親を思い出したから帰ってきた」
「ばっ……お前、そういう事は忘れろよ!」
「いやいやあれは忘れらんないっしょ。もー顔が涙と鼻水でぐっちゃぐちゃで……
 あ、写真とか残ってないかな?確か元親んとこのおばちゃん撮ってたよね」
「マジかよ……ぜってー捨ててやる」
「捨てない捨てない、大事な思い出だって。話のネタにもなるし」
「……何処まで行くつもりだ貴様らは」
 元就が外からガラス越しにツッコミを入れるまで気がつかなかった。
 危うく乗り越す所だった。





 よく小説なんかで久しぶりの故郷がすっかり変わっていたなんて事があるけど、
 改札を出た先は何て事ない、生まれた時から親しんできた町そのままだった。
 馬鹿話をしながらでも足は勝手に家の方に向かう。
 例えば古ぼけたポストが塗り替えられてたくらいでは立ち止まったりしない。
 まあたまに建物が変わってて「ああ、そこ去年工事したんだ」なんて言われると、
 やっぱり何となく疎外感を感じてしまう訳なんだけれど。
 歩きついた先の元親の家は変わってなかったし。
 お向かいの元就の家も変わってないし。
 その隣にあるあたしの家も多分変わってないんだろう。
 実家より先に友達の家に帰るっていうの、これも故郷ならではなのかなー。
「おっじゃまっしまーす。そしてただいま、おばちゃん!」
 靴を脱ぎながら遠慮なくあがって、台所にいた元親のおばちゃんに声をかける。
「……ホント変わってねえなあいつ」
「ああ、十年ほど前からな」
 とか何とか後ろから失礼な台詞が聞こえてきたけど軽やかに無視。
 台所から出てきたおばちゃんにあたしが浴びせた第一声は、
「おばちゃん、元親がプラットホームでお見送りした時に泣いてた写真ある?」
 だった。
「あるよー、そこの不良息子が顔ぐちゃぐちゃにして泣いた時のが!」
「やっぱし?見しておばちゃん!」
「マジで撮ってたのかよ!つーか不良はねえだろお袋」
「何言ってんだい、元就君に比べりゃあんた十分不良だろ。
 大学入っても相変わらずで、その辺の不良どもにアニキなんて呼ばしてさ」
「うわーすごい相変わらず」
「うるせえな、昔と一緒にすんなよ!俺だってやるときゃ真面目に……」
「そういえば元親、昨日メールでレポート終わんねえとか嘆いてたけどあれどうなった?
 さっさと終わらして今日は夜通し遊ぶんでしょ?」
「いや、あ、あれは量多かったから#奈々が帰った後で元就とやろうかと……」
「元就と?元就もレポート抱えてたの?」
「我は昨日で終わらせた」
「ひっで!お前裏切りやがったな!」
「裏切るも何も、我は早めに終わらせて夜更かしするという話しか聞いておらぬぞ。
 精々#奈々が寝てしまわぬ内にレポートを片付けるのだな」
 相変わらずのやりとりをおばちゃんと笑って聞きながら、
 それでもあたしはやっぱり、一人取り残された気がして少し寂しかった。





「理由はどうあれ、しばらくこちらを離れていたのだ。仕方の無い事であろう」
「……そっかな」
 宣言通り夜更かしをする事数時間。
 元親はまだ隣の部屋でレポートをやっている。
「暮らす場所を変えた事によってその人間の側面が少し変わった、それだけの事。其方の本質は昔から変わらぬ」
 元就は相変わらず慰めてくれてるのかそうでないのか解らない口調で言って、残り少なかったらしい缶の中身を飲み干した。
 この間やっと法的に飲酒が許可されたばかりの元就は、
 酒の種類が分からないと言ってコンビニにあったお酒を片っ端から買ってきた。
 アルコール度数10%が強いのか弱いのかも解らなかったらしい。
 何でだろうなぁ、理科は得意だった筈なのに。
 仕方無くあたしが一々お酒の種類から教授する羽目になったのだけれど、元就は一々感心しながら熱心に聞いていた。
 自分の知らない事には子供みたいな好奇心を示す所、昔から変わってない。
 何だかそれで、ちょっと救われた気分になった。
「#奈々は大学を卒業したらこちらに戻ってくると言ったな」
「うん。今の所そう考えてるけど」
「ならば問題は無かろう。また記憶を共有するようになれば、自ずと戻る」
「……そっか。ですよね」
「そうだ。大体我が何年其方の面倒を見ていると思っている。其方はそう簡単には変わらぬ」
「最後の、慰めてんの?けなしてんの?」
「さて」
 からかうように言って、元就は少し笑った。
 顔が赤いのはお酒のせいか、もしかすると照れているのかもしれない。
 でも、なあんだ、と思った。
「……もとなり」
「何だ」
「……っ」
 何か、何か言おうとしたんだけど言葉が出なくて、代わりにぼろぼろ出て来たのは涙だった。
 あたしは、元就が大学で何をやってるのかは知らない。
 高校の得意科目は知っていても、そういえば専攻も聞いてないんだ。
 もしかしたら大学でも話をする人間の一人や二人出来てるのかもしれない。
 それは元親にだって言える事。特にあっちは人懐っこいから余計に。
 それでもこの二人は、あたしのためにとっときの場所を残しておいてくれた。
 何考えてるのか自分でも良く解らない。でも、そんな気がした。
「ありがとぉ……」
「何の事か良く解らぬが」
「るさいっ……言いたかったんだもん……」
「……何故泣く」
「っ知らない……っ」
 お酒のせいで感情が高ぶってるのかもしれない。
 缶チューハイを持ったまま、あたしはぼろぼろ涙を零していた。
「仕方の無い奴だ」
 元就は空になった缶を床に置いて立ち上がると、あたしの肩をそっと抱いた。
 昔から、あたしがびーびー泣く度にしてくれた慰め方だ。
「少しは落ち着いたか?」
「……うん」
 そういえばあたしは元就が泣いたのを見た事が無い。
 元就が泣きそうな場面でだって泣くのはいつもあたしで、元就は慰める側。
 まるで元就の分まで泣いてるみたいに泣くあたしを、
 元就は不思議そうにちょっと困ったように見て、そしてこうして慰めてくれた。
「やっぱ元就がいてくれなきゃ駄目だ、あたし」
 涙を拭いながらあたしは笑う。
「できるだけ早く戻ってくるから、そしたらまたずっと一緒にいようね」
 元就は何も言わずにあたしの頭をぽんぽんと叩いた。
「もうすぐあの馬鹿もレポートが一段落する頃であろう。酒を買い足して来てくれ」
「え」
 見れば元就が買い込んできたお酒は大分減っていて、代わりに床には空き缶と空き瓶が山のように散らかっていた。
 あたしと元就がそれぞれどれだけ飲んだのかも解らない。
 とりあえず、随分飲んじゃったんだなって事くらい。
 ……元就って案外ザルなのかな。



 元親が何を飲むのか解らなかったから、とりあえず適当に買ってきてみた。
 ものすごく人の事言えないなと思った。
 (けどまあ、どうせ元就とあたしであらかたの種類飲んじゃうよね!)
 部屋の戸を開けると元就の姿は見えなかったけど、隣の部屋から話し声がしていたから居場所はすぐに解った。
「元就、お酒買ってき……あれ」
 元親の部屋には勉強机がない。元親本人が机に向かうのが苦手だからだ。
 小さい頃からずっと、元親は床の上にちゃぶ台を置いて勉強していた。
 元就と二人、貧乏臭いと随分からかったのを覚えている。
 けど今、そのちゃぶ台の上にはやり終わったレポートの山しかなくて、
「何してんの二人共」
 当の元親は元就とベッドの上で取っ組み合いをしていた。
 というか、構図的にあたしには元親が元就を押し倒しているようにしか見えない。
「げ、#奈々」
 元親があたしに気付いて言った。
 元就はまだ気付いてないらしく、元親の腕から逃れようと必死になっている。
「元親……元就の事そんな風に思ってたなら、あたしだって相談に乗ったのに」
「ち、違う!待て、話聞け!」
 勿論あたしの台詞は冗談だったんだけど、元親の反応が面白かったからしばらく訂正しない事にした。



 そんな訳で誤解が解けたのは数分後、
 暴れたせいで酔いが回った元就が元親の腕の中で熟睡した後の事だった。
「お前、さっきまで元就と何話してたんだ?」
 飲み終わったビールの缶を握り潰しながら元親があたしに聞いてきた。
「何って?」
「いや、何かかなり様子がアレだったからな」
「酔ったんじゃないの?」
「けど、#奈々とは普通に話ししてたんだろ」
 押さえるの苦労したんだぜ、と元親。
 元就はやせてる割に結構力が強い。プラス、今回は酔っ払って加減が出来ない分もか。
「そんなに?さー……」
 思い返してみても、それらしい節はない。
 あえて言うなら、話しながら大量にお酒を飲んだせい?
 だってあたしが……あんまり思い出したくないけどあんなになったくらいだし。
 とりあえず二人の会話を覚えてるだけ、元親に話してみた。
 あんまり話したくないけどあった事もあたしの言葉も全部。
 話し終わって思い返すと元就の事しか話してなかった。まぁ仕方無いけど。
 元親は新しいビールを開けながら、しばらく黙って考え込んでいた。
「お前さ」
「うん?」
 珍しく真面目な声だったので、あたしは何となく姿勢を正した。
「その台詞、どういう気持ちで言った?」
「どの台詞?」
「できるだけ早く戻ってくるとか、そのへん」
「え」
 そんな妙な所つっこまれるとは思ってなかった。
 大体そんな反射的に発した台詞、どういう気持ちでなんていちいち覚えてないよ。
 そういうと元親は盛大に溜息をついた。
 何、その「お前解ってねえなあ」って言いたそうな表情。
「お前解ってねえなあ」
 ほら言った。
「ま、解ってねえのがお前らしいのか」
「ひど!」
「あいつも解り辛くしてるみたいだしな」
「ねえちょっとさっきから何の話してるの」
 元親はあたしの言葉には答えずに手元のビールを一気に飲み干し、
 ベッドで寝てる元就をちらりと見てから、またあたしの方を向いた。
「お前さ」
「うん」
 また改まった声。
「元就の泣き顔、見たいか?」
「は?」
 何言ってんのとか言いたかったけど、元親の目が真面目だったから止めた。
 あたしは一体それに何て答えたのか、
 残念ながらその直後に飲んだ一口がきっかけで記憶が飛んでて覚えてない。
 気がついたらあたしと元親と元就、三人揃って朝まで眠りこけていた。
 半開きのカーテンから入ってくる朝日が妙に眩しかった気がする。
 元就が喜びそうなお日様だと思ったけど、  何だか随分と幸せそうな顔して寝てたから起こすのはやめた。





「じゃ、また今度……いつになるんだ?」
「うーんとね、春の休みはこれで終わりだから、次は夏かな」
「やっぱゴールデンウィークは空かねえか」
「そうだね、ちょっと難しいかな」
 数日前に再会したホームで、別れの会話。
 結局夜通しの飲酒がたたって、あたし達はしばらく揃って寝込む羽目になった。
 元親のおばちゃんには笑われて、うちの親には説教食らったけど、
 そんな事よりあたしが一番気にしてるのはあの夜の元親の台詞だった。
「元親」
「あん?」
「こないだの夜のさ、」
 あたしが話を切り出した途端、元親は妙に焦った様子であたしを電車に押し込んだ。
「あーあれか!ま、後でな!」
「ちょっと、まだあたし何も言ってな」
「そろそろ発車時刻だ。早く乗れ、#奈々」
「……うん」
 気にはなるけど、けどこれは多分気にしても仕方無い事だ。
 もしかすると酔っ払った元親の冗談だったのかもしれないし。
 ……それに多分あたしは、元就が泣く訳ないじゃんって頭のどっかで思ってる。
 何でだろう。やっぱり見た事が無いからなのかな。
 見れば少しは考えも変わるかもしれない。
 今度帰ってきたら何とかして泣かせてみようとか考えながら電車に乗った。
 乗るとすぐにベルが鳴って、ドアが閉まる。
「元就!それからえーと、ついでに元親!」
 窓越しに声を少し張り上げて、見送り組に呼びかける。
 ついでって何だ!と元親がわめいた(んだと思う)。
「こないだの夜はありがと!大好きだよ!」
 精一杯の笑顔で言って、手を振って。
 電車がゆっくりとホームを離れた。



「……はぁ」
 二人の姿が見えなくなった辺りで気が抜けて、座席に座り込む。
 二年振りの故郷は相変わらずだった。
 やっぱり色々変わってる所もあったけど、一番大事な人たちが変わってなかったから、まあいいや。
 あたし達の家が近くなのも変わらない、おばちゃん達も変わらない、
 元就は相変わらずあたしの保護者だったし元親は相変わらずお馬鹿だった。
 ていうかあれだ、二人には今回ちょっと大事な事教わった気がするんだ。
 苦笑しながら携帯を取り出す。
 昨日三人で撮った写真を待ち受けにする為だ。
 元親のおばちゃんに携帯を持っててもらって、写真が苦手な元就を元親と二人で押さえつけて撮った。
 これしばらくあっちで話のタネにしよう、と思いながらボタンを操作する。
 待ち受けにし終わった途端、携帯が震えた。
 メールの送り主は元親。ご丁寧な事に画像ファイル付きだ。
 タイトルはなく、本文には一言『約束のヤツ』と書いてある。
 画像に写っていたのは元就。ついさっきあたしが出て行ったホームに立っている。
 アップになってるからよく解らないけど、視線は多分電車が出て行った方向。
 そして、

「……え」



 頬には一筋、涙の流れた跡。



 思わず固まったあたしの手の中で、また携帯が震えた。
 今度は電話。元就からだ。
「はいもしも」
『#奈々!今のメールは開けるでないぞ!』
 ……こんな取り乱してる元就初めてだ。
「開けるなも何もたった今添付画像見て固まってたトコだけど」
 デッキに出ながらそう答えると、電話の向こうの元就が絶句したのが解った。
 そしてしばらく取っ組み合いのような音がして、よう、と元親の声が聞こえた。
 元就から奪い取ったらしい。
『どうだった、約束のアレは?』
「すっごいびっくりした」
 色んな意味で。
『何だあ?感想それだけかよ』
「他に何かあった方が良かった?」
『あった方が良いに決まってんだろ!例えば何で元就は泣いてんだとか、
 俺の前だとこんなにあっさり泣く元就がどうしてお前の前では泣かないのかとか』
『元親!』
 ぼぐっ、とか何とか、元就が元親を殴ったらしい音が響いた。
 いつもの照れ隠しにしては、かなり容赦のない殴り方。
「元就」
 取り戻した携帯を耳に当てているだろう元就に呼びかける。
 返事は何も返ってこないけど、鮮やかに思い浮かべる事が出来る。
 昔からの、何か言いかけては結局無言であたしの頭をぽんぽんやる仕草。
 こないだは見れなかったけど、その度に浮かべる奇妙な表情。
「相変わらずだね」
『……#奈々』
 やっと、それだけ聞こえた。
「元就、やっぱあたしゴールデンウィークにも帰るわ。スケジュール調整して」
 元親にも後で言っといて、と小声で言い添える。
「全部その時に聞く。あたしもそれまでに考えまとめとく」
『……解った』
「それまでに、元就も好きなお酒とか考えといてね。また一緒に飲もう」
『ああ』
 通話を切っても、あたしは自分の顔が緩むのを抑えられなかった。
 会わなかった二年間、二人はあたしの為に自分達の隣を残しといてくれてたけど、
 元就はそれとは別に、もっと大事な所も残しといてくれてたみたいだ。
 もしかしたらもう何年も前から、ずっと。



 デッキから自分の座席に戻ったあたしは、
 京都駅に着くまでの何時間かを元就の事を考えるのに費やす事に決めた。




企画サイト様へ
前<< 戻る >>次