シリフ霊殿
Schild von Leiden

患者を労われる医療マニュアル
 朝っぱらから「殿がお呼びです」と連絡を受けた。
「何やら風邪気味だからと」
 まぁ近い内にそんな事になるだろうなとは思っていたので、
 あーはいと適当に返事をしつつ持って行く薬を棚から物色する。
 傷薬と、熱さましと、化膿止め。
 呼びにきた小姓が怪訝な顔をしたので、念の為ですと誤魔化しつつ風邪薬も。
「さ、参りましょうか」
 ちなみに多分この風邪薬は使われない。経験上。





「元就様、#奈々が参りました」
 襖を開ければこの殿様は自称風邪気味だというのに羽織も着ずに執務をしている。
 相変わらず部下を心配でおろおろさせるのが得意な人だ。
 まぁ実際はそもそも風邪なんてひいてないんだろうけど。
「大儀であった。下がれ」
「はっ」
 小姓が退出してしまうと、部屋の中にはあたしと元就様の二人だけになる。
 この人と二人きりになるのは実はそう珍しくも無い。
 いつからか忘れたけど、事ある毎にこうして部屋へ呼び出されている。
 主に大きな戦が終わってからちょっとした頃……
 ああ、ちょっと前に戦場で倒れたこの人の手当てをしてからだ。相当荒療治のを。
 思えばあの時にいきなり侍医になんて任命されたんだった。
 ……あ、やばい、急にこの場に居辛くなった。
 まぁあれから主治医として城に仕えるようにはなったけど、
 他にはこれといって何か特別な事がある訳でも無いもんね。考えすぎだよね。
 気にしなくて良し良し。うん。
「さて」
 あたしは薬箱を開いて包帯と傷薬を取り出した。
「元就様、今回のお怪我は何処です?」
 風邪と言って呼んだに違いないのに、黙って着物の合わせを緩める元就様。
 うんうん、持って来ておいて良かったよ。



 体調を崩すほど酷い怪我をした時。
 当然家臣に言うなんて事をしないこの人は、風邪と偽ってあたしを呼ぶ。
 本当に風邪だったらどうする気だ、とか言われるかもしれないけど、
 実は見た目に反してこの人身体そのものは割と丈夫。日光浴びてるせいかなぁ。
 そして呼ばれたあたしは風邪の治療をしますといって怪我の治療をする訳だ。
 うーん、何という共犯関係だろう。
「……相変わらず準備が良いな」
 手当てされながら元就様がぽつんと言った。
 濡れ手拭用に用意された水で傷口を洗い、薬を塗って包帯を巻く。
 風邪用のものなんかこれっぽっちも使われていない。
「慣れましたので」
 化膿止めの薬湯を煎じながら答えるあたし。
 実際最初に呼ばれた時は完全に風邪だと思ってて、薬箱に入ってたなけなしの傷薬で治療したりしてましたよ。実は。
 真面目に傷薬準備するようになったのは確か三回目ぐらいからかなー。
 今では大体呼び出されそうな時期まで予想する事が出来ます。
 いやそれどころか、
「はい、薬湯煎じてる間にその右手のも治療しますから袖抜いて下さい」
「……何故分かった」
「先刻筆を持っていた時、若干持ち方が変わってました」
 元就様が言わない程度の怪我まで察する事が出来るようになった。
 例え見た目が軽傷で、初期に治療すれば何て事の無い怪我でも、
 限界まで溜め込む元就様にかかればあっという間に雑菌の温床だ。
「良いですか?戦で浅手を負ったでも猫に引っかかれたでも餅食べ過ぎたでも、
 何かちょっとでも身体が万全で無い事があったら絶対あたしに言って下さいね」
「そう頻繁に侍医を呼べるか。体調が芳しくないと思われたらどうする」
「今更じゃないですか?」
 戦の後は体調を崩す事が多いようですねくらいには思われてると思いますが。
 元就様は黙って右手にあった先の戦の傷と、それから髪で隠していた額の流れ弾の掠めた跡も差し出して来た。
 あっ、そこは気付かなかった。
「……以前はこのような傷、隠し通せていたものを」
 薬が沁みるのか少し顔を顰めながら呟くのが聞こえる。
 確かに、全員の前で倒れたあの時より前にも傷は沢山作っていただろう。
 実際治療の為に着物を脱いで貰うと、随所に古い傷跡を見つける事が出来る。
「それで寿命縮んじゃ意味が無いじゃないですか」
 毛利軍がどれだけこの人を頼りにしているのかもあの時思い知ったし。
「貴様の所為ぞ」
「濡れ衣です」
「隠してもどうせ貴様が手当てするのだと思うと、隠すのが急に不得手になった」
「……ええと」
 それは濡れ衣というか、何というか。
 手当てを始める前の居心地の悪さが急に蘇って来るというか。
 この人は割とこういう事をさらっと言ってのけるから困る。
「家臣に世話は掛けられぬ。これからも全て貴様が引き受けよ」
「ええまぁ、それは、構わないですけど」
 その内もっとすごい事を言い出されそうな気が、しないでもない。



リクエストをいただいて続きを書いたらクーデレになったでござるの巻
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