シリフ霊殿
Schild von Leiden

患者に優しくない医療マニュアル
「#奈々殿、元就様の治療をして頂けませぬか」
「え」
 驚いた拍子に、傷口に巻きかけの布を思い切り締め上げてしまった。
 さぞや痛かったに違いない、患者さんごめんなさい。
「珍しいですね、元就様が治療を受けにいらっしゃるなんて」
 あの人が怪我をするなんて珍しい。
 智将の癖にぐいぐい前線出てぶんぶん輪刀振り回してる人なのに。
 例え怪我をしたって素直には診させてくれなさそうな人なのに。
「戦が終わった途端倒れられまして。我等には構うなの一言で、傷も見せて下さらないのです。
 しかし、高い熱と血の気のないお顔を見ては流石に放っておく訳にもいかず」
 戸板の上に寝かされて。
 上から縄でぐるぐる巻きにされて。
「無理やり連れて来ましたので少々暴れるやもしれませぬが、何卒宜しくお願い致します」
「はあ」
 いいのかなー仮にも殿様相手にこんな事して。
「ええい降ろせ!放さぬか!」
 ……ま、いっか。
「了解しました、この際なんで完治するまでじっくり養生してもらいましょうか。
 あ、ちょっとそこの君元就様運ぶの手伝ってー命が惜しけりゃ顔は隠して」



「#奈々とやら、貴様余程首がいらぬらしいな」
「そうですねー鞭打ち起こすし寝違えるし別に無くても困らないですけど、
 切った首の上についてる部分は便利なんで手放すのはちょっと惜しいですねえ」
 傷口に塗る用の薬をごりごりとすり潰しながら答えるあたし。
 言葉から推測できる通り、まともに相手する気はゼロだ。
「ならばさっさとこの縄を解け」
「駄目ですよ、解いたら元就様暴れるか逃げるかするでしょう」
 流石にぐるぐる巻きのまま治療は出来ないので、頭上に手を上げさせた状態で両手と両足をそれぞれ戸板に固定した。
「大体怪我の治療っつったってお腹の大きな傷一つだけなんですから」
 多分、熱の原因もこれ。他のは放っとけば治るような掠り傷ばっかりだった。
 上に着ていた服を裂いて脱がせると、意外と綺麗に筋肉がついた身体が現れた。
 (破いちゃうのが勿体無いくらい上等な生地だったけど、まあ血塗れだったし)
 傷があるらしい腹部の上には、申し訳程度に布が巻かれている。
 ……これ、布に染み付いてるの血だけじゃないよな。布を剥いだらちょっとすごい事になってる予感。
「ああ、心配しなくても口開けて下されば食事はあたしが食べさせますんで」
 だから大人しくしてて下さい。
 傷口の布に手を伸ばしながら努めて笑顔で言う。
「ほら、犬とか猫だって怪我してる時には繋いどかなきゃ危険でしょ」
「愚劣な……我を畜生と一緒にするか!」
「愚劣かどうかは判らないし畜生とまで言った覚えはありませんが、
 少なくとも今のあんたは、手負いの獣、そのものです、よっと」
 言いながら腹部の布に手をかけて、思い切り剥ぐ。
 (うわ、何かべりべりとか音した今)
 元就様が声にならない悲鳴を上げた気がした。
「全く、よくこんなになるまで放っときましたね。膿んでますよ完璧に」
 膿が固まって布が剥がしにくいったら。元就様だって痛かったでしょう今の。
「研いだ刀で斬られた傷は放っといても塞がったりしますけどね、
 こういう銃弾の掠った傷なんかはきちんと治療しないと最悪そこから腐りますよ」
 化膿で済んでるのは傷が浅かったからか怪我してからまだ日が浅いからか、
 それとも元就様の身体が人並み外れて丈夫なんだろうか。(細い癖に。)
「夜も痛くて眠れなかったりしたんじゃないですか、こんな酷い傷」
 新しい布を出しながら言うと、元就様は視線を外してそっぽを向いた。
 そっぽを向いたお蔭で却って隈がよく見えた。
「……ま、いいですけどね」
 出来上がった薬を傷口に塗り、新しい布を巻きつける。
「あたしを打ち首にしたければすればいいですけど、
 するなら怪我が治って、元就様がまた元気に戦場に立てるようになってからにして下さいね」
 でないと本末転倒でしょう。
 額に手を当てて熱を測って、熱冷ましに弟切草を煎じた薬湯を飲ませる。
「どうしても今すぐ解けって言うなら、傷口タワシで擦ってからにしますからね」
 我ながら間抜けな脅し方だと思ったけれど、
 それから薬が効いて眠ってしまうまで、元就様は一言も我侭を言わなかった。





「あのう……も、元就様は」
 恐る恐る扉を開けた家臣の人に、あたしは唇に人差し指を当てる事で答えた。
 寝ている間に戸板から開放された元就様は今ここ、診療所奥の布団で熟睡中だ。
「怪我を放っておいたせいで、病が入り込んだ様です。
 病自体は軽うございますから、この熱が下がればもう心配は無いかと」
 あたしがそう言うと、その人は安心したのかその場にへなへなと座り込んだ。
「良かった……元就様にもしもの事があったら、我が毛利軍は……ッ!」
 そのままぼろぼろと涙を零して男泣きに泣きだす。
 毛利の軍は捨て駒、というあたしの認識は改められるべきなのかもしれない。
 (こんなワガママ殿慕ってる人も居るんだなぁ……)
 しかし、たかだか化膿程度にそれはちょっと大袈裟なんじゃないですか。
「お手打ち覚悟でお連れした甲斐があり申した。我ら、もはや悔いはありませぬ。
 つきましては#奈々殿だけでもお手打ちを免れますよう、元就様が回復し次第、
 我ら毛利家家臣一同己の首を賭けて元就様に進言致す所存」
 おいおい。
 一瞬血の気が引いたけれども、この殿なら本気でやるかもしれない。
 では、と頭を下げて、その人は部屋を出て行った。



「……だ、そうですが、元就様」
 枕元から、目を瞑ったままの元就様に声をかける。
 さっき家臣の人が泣き出した時、長い睫毛が少し揺れたような気がしたからだ。
「例えば弱みを見せたら軍の士気に関わるとか、そういう事は考えるだけ損だったりするんですよ」
 だって、それで自滅しちゃ元も子もないじゃないですか。
「……全く、我を何だと思っておるのだ、あの愚か者共は」
 不意にそんな元就様の声が聞こえた気がした。
 気のせいだよな、と首を傾げて、可笑しくなって少し笑う。
 それから部屋を出る為に立ち上がって元就様に背を向けた途端、
「何処へ行く」
 今度こそ気のせいでなく声が聞こえた。
 振り向くと目をぱっちり開いた元就様があたしを見つめている。
「え、何処って」
「其方を今日付けで我の侍医に任命する。許可無く我の傍を離れる事罷りならぬ」
「へ」
 何言っちゃってんのあんた。
 思わず口に出しそうになって慌てて止めた。
「あの、元就様」
「侍医では不満か」
「いやそうじゃなくてですね」
 あたし貴方の分の食事と薬湯と取りに行きたいだけなんですが。
「む、そうか。ならば退出を許す。我が十数える間に戻って来い。一」
「はやっ!?てか無理ですよ湯呑みとか運ぶんですから」
「先刻までの無礼を帳消しにしてやるのだ、これしきは易かろう。二」
「いやもういっそ一思いに首刎ねて下さいその方が楽だ色々と」
「戻って来たら添い寝をせよ。先刻の手が冷たくて心地良かった」
「……まあそれくらいならいいですけど」



ツンデレ5:5期
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