シリフ霊殿
Schild von Leiden

夫婦の条件
 うららかな光のどけき春の日でございます。
 しづ心なく花の散るらむ、という歌もございますが、城の庭の桜はとうに散って、
 夏近しと言わんばかりに緑色の葉を茂らせております。
 それでもその日に日に青々としていく葉桜を見上げて、縁側に座った#奈々様はそれは楽しそうに微笑まれました。
 日々すくすくと成長していかれるお子様達に重ねていらっしゃるのでしょうか。
 部屋の中からは子供たちの遊び騒ぐ声、どたどたと走る足音。
 #奈々様の至福のひとときでございました。



 足音が少しずつ大きくなって止まり、がらりと乱暴に襖を開けました。
 あらまあ、振り返った#奈々様は小さな小さな声でそう呟かれました。
 扉を開けたのは子供達ではなく大の大人、

 この屋敷の主にして#奈々様の夫である毛利元就様だったのでございます。
 冷静沈着で知られる元就様が足音を響かせるなど珍しい事。
 しかも何処から走って来られたものやら肩を弾ませ、常に無く鋭い目で#奈々様を睨んでおいでです。
 元就様はそのまま真っ直ぐ#奈々様の所までいらっしゃると、不機嫌なお顔を崩さないままに#奈々、とお声をかけられました。
「我の家臣と密通しておるというのは真か?」
「あんた三人も子供作っといて今更何言ってんの?」
 元就様にしては珍しく余りにも唐突なご質問でございましたが、
 #奈々様は一歩も引かず真っ向からそうお答えになりました。
 そのようにきっぱり言われてしまっては、問うた方の肩身が狭くなるというもの。
 言葉に詰まってしまわれた元就様の傍らに、部屋で遊んでいた子供達がぱたぱたと近寄って参りました。
 口々に父親の名を呼ばわりながら、元就様に飛びつき、背に登ろうとなさいます。
「こら、父は話があるのだ。離れよ」
 幼子と格闘なさる元就様をご覧になって、#奈々様はまたお笑いになりました。
「親がどうあれ、この子達はあんたを父親だと思ってるみたいだけどね?」
 #奈々様は本当に平和そうに笑っていらっしゃるのですが、
 元就様ははぐらかされたようで面白くないようでございました。
 そもそもこのお方にとって自分の子とはいずれ毛利の長となるべき人間、
 やはりしかるべき人間の血を継いでいなければならないのでしょう。
 #奈々様のように形が整っていれば良いとは中々お考えになれないのです。
「……ふん、子は親に似るというからな。誤魔化しもさぞ上手いのであろう」
 さぁ、これには#奈々様が眉を顰められました。
 元就様の言い様では、不義を犯したと決め付けられたようでございますから。
「……じゃあ、確かめてみれば良いじゃない」
 ぽつりと零れた声にははっきりと怒りが込められておりました。
 いつの間にか、#奈々様はその手に短刀を持っておられます。
 参星の紋の入ったそれは、護身用にと平素から懐に忍ばせておいでのもの。
「お望みならたった今ここで腹掻っ捌いてやるから、腹の子がきちんとあんたに似てるか確かめれば良いよ!」
 あっという間も無く、それをご自分の腹に突き立てようとなさる#奈々様。
 誰よりも早く動いたのは元就様でございました。
 咄嗟に#奈々様の手から短刀を奪い取り、今までよりずっと鋭い目で#奈々様を見据えられます。
「……いっそ見上げた程の度胸だな貴様は!」
「あんたの嫁ですから」
 余程慌てたのか息を荒くして怒鳴る元就様を、#奈々様は平然と見返します。
 しばらくその場は、水を打ったように静かでございました。



「……良い」
 最初に沈黙を破られたのは元就様でした。
 手にした短刀を鞘に納め、ご自分の袂に仕舞われ、
「どうせ我の子であろう」
「分かれば良しっ」
 #奈々様も満足そうに頷かれました。
「……貴様まさか全て謀ったのではあるまいな?」
「そんなまさか、稀代の策士様を相手に」
「……まぁ良い」
「で?あたしにあらぬ疑いをかけた謝罪は無し?」
「……」
 ちらり、と元就様の視線がこちらへ向きました。
 逆に#奈々様はこちらなど一向に気にせず、さぁ早くと急かしておいでです。
「あの、私は失礼した方が」
「いーのいーの、きちんと謝った所を見ていて貰わないと」
「はぁ……」
 #奈々様が譲らないので、元就様も覚悟をされたようでした。
 そっと腕を伸ばし、#奈々様を包むように抱き締められます。
 元就様がこのように積極的になられる所を見るのは、失礼ではございますが初めてでした。
「……すまぬ」
「うん」
「其方が我以外に身体を開いているのかと思うと、耐えられなくなって」
「……ばーか」
 #奈々様がこっそり手で合図をされたので、
 私は今度こそその場を失礼する事にいたしました。



 うららかな春の日でございます。



元ネタがちびのマルコちゃんだとは今更言えない空気
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