シリフ霊殿
Schild von Leiden

愛を乞う
「なあ」
 執務中の筆をふと止めて、背後に向かって呼びかける。
 振り向いたとて小姓の一人も控えている訳ではない。
 ただ政宗以外には見えない、人ではない女が一人悠々と煙管をふかしている。
「なあ、#奈々」
 返事が返って来ない事に焦れて、もう一度。
 それでも反応がないので、無視して勝手に話を進める事にした。
「これ全部終わったらよ、」
「終わってから言ったらどうだ」
 ……何で言いかけた途端に反応するんだ。
「その書類の山、未処理のものはあといくらも無いだろう。
 全部片付けて小十郎のところに持って行ったら、今日の分は全部終わり。
 我侭ならその後で幾らでも言えば良い。内容によっては聞いてやらなくも」
「Shut up!」
 正論だ。文句のつけようも無いくらいに正論だ。
 正論だけれども気に食わない。
「ああ判ってるもうすぐ仕舞いだあと十枚もねェよこんなもん!
 判ってっけどいーじゃねェか話くらいしたって!」
 何も人が珍しく寂しがってる時に滔々と述べてくれなくたっていいじゃないか。
「俺が欲しがってる時に欲しいだけくれてやるっつったの誰だよ、お前だろ!
 俺は今、話をするだけでもいいからお前が欲しい。今、すぐだ。You see?」



 もう十年以上も昔、彼女にしてみればついこの間。
 政宗は、この人にあらざる女と契約を交わした。
 今にして思えば、契約とも呼べない一方的なものだったが。
『人間からなぞ何も望むな。代わりに私がお前の望むものを、望む分だけくれてやろう』
 何故彼女がこんな事を言い出したのか、政宗には判らない。

 深い思索の果てのものかもしれないし、ただの気まぐれであるのかもしれない。
 しかし心の片隅に住み始めた彼女は、少しずつ彼の中で大きさを増してゆき、
 気がつけば、この世で最も大事な存在になっていた。
『あと数十年もすれば、お前は人としての生を終えて私の同類に戻る。
 惚れた何だは、その後で考えてやろう』
 思いを告げた時、彼女は笑ってそう言った。
 そんな気の遠くなりそうな時間は待てない。
 今すぐ、目の前に、政宗が満足するだけの量を、並べて出して欲しかった。



「……ああ、困ったな」
 小さな笑い声がして振り向くと、#奈々は苦笑しながら髪を撫で付けていた。
「私は今、仕事を終わらせた褒美に何をしてやろうかと考えるのに忙しいんだが」
 先払いの方が良いか?
 にっこりと有無を言わせぬ笑みで言われて、慌てて筆を持ち直す。
 ふと、その頭に手が置かれた。
「頑張りな」
「……おう」
 俺も随分安上がりになっちまったもんだ。
 己を叱咤しながらも、今しばらくはこの手だけで満足しておく事にする。


 置かれた手は部下の誰より力強く、父親より優しく、母親よりずっと温かかった。



人外・最強系ヒロインは割と好きです
前<< 戻る >>次