シリフ霊殿
Schild von Leiden

天は廻る
 ふと、昔を思い出してみたくなる時がある。
 それは例えば自分の髪を撫で付けた時や、綺麗な清流に手を浸してみた時や、
 今日の様に血飛沫の舞う青空を見上げた時。
 特にこれといって切欠がある訳でもなく、ふと思いを巡らせる時がある。
 (私は如何してここにいるのだろう)
 過去の自分が何かをしたからこそ、今の自分はここにいる。
 それを、思い出しているのである。
 過去を後悔する事はない。懐古趣味に浸りたい訳でもない。
 ただ時々、思い出してみたくなる。

 私は如何してこの男の傍にいるのだろう、と。



 彼に会う切欠は天界である。
「龍神が転生?」
 多分、驚きはしなかったろう。
 地上好きの変わり者が起こした愚行の数々は、数えれば確実に両手に余る。
 天界に住む身でありながら人間を愛し守ると言って憚らず、
 人として転生を繰り返しながら意地でも地上に留まろうとする。
 (人間なんぞの何処が愛しいものか。愚かなだけの猿であろうに)
 いつだったかそう言って酷く怒らせた事もあった。
「そんな事を態々言いに来たという事は……あれに何かあったな」
「……はい」
「如何した。まかり間違って女の身体に生まれたか。
 それとも、地上遊びが過ぎて仕置きに左の眼までも潰されたか?」
 使者は黙って首を振った。
「転生されたのは男の身体、右眼は変わらず盲いておられますが左眼は無事で御座いました」
「なら何だ」
「それが……」
「早く言え」
「龍神殿は、こちらでの記憶を、一切失くされておいででした」
「は!」
 口をついて出たのは驚愕の叫びか、侮蔑の嘲笑か。
 それすらもう忘れてしまった。
 両方だったかもしれない。どうでもいい。
 (そういえば腹を抱えて笑っていた記憶がある)
「あの馬鹿が、いつかはやるんじゃないかと思ってたんだ。まさか本当に……
 転生を繰り返し続けるのは止せとあれ程言っておいたのに……ああ、可笑しい」
「#奈々様、笑い事では御座いませぬぞ」
「馬鹿を嗤わないで誰を嗤えと言うんだ馬鹿。大方転生の繰り返しで魂が擦り切れたのだろうよ。
 ああ、可笑しい。ちょっと観て来る」
「#奈々様!」
 側近の制止を振り切り、人の姿をとって地上へ降りてきた。
 多分、間抜けな竜の姿を一目見て、笑ってやる心算だったのだろう。



「あれが……何年前だったかな。十と、もう少し……十四、五年前か」
「Ah?何だ、どうした#奈々」
 記憶を辿っていると、横に居た青年が怪訝そうに声を掛けてきた。
 手に持つ刀は爪の代わり、纏う鎧は鱗の代わり。見えない右眼は眼帯に覆われている。
「お前は何年経っても馬鹿だなという話だ」
「上等だ表に出ろコラ」
「合戦場の只中で表も裏もあるまいよ。だからお前は馬鹿なんだこの馬鹿竜」
「うっウルセェ!こんな雑魚共さっさと片付けて……」
 言いながら、背後に迫っていた雑兵を何人か斬り捨てる。
「さっさと?そう言いながら何刻経った?流石の私も痺れを切らすぞ」
「Ha!よく言うぜ、切らした事なんざねぇ癖によ」
「お前が意地を張るから切れたと言えんだけだ。
 お前こそ、餓鬼の時分からそうして虚勢を張るのだけは得意だったな」



「母上が来る、お前は木の向こうにでも隠れておれ。見つかると事だぞ」
 お前、人ではないのであろう。
 言われた時は確か、少し驚いた。
 見つけ出した『龍神』は五つにもならぬ子供であったけれども、
 聞いた通り己の事も#奈々の事も何一つ覚えていなかったけれども、
 (成程魂は龍のままなのか)
 一目で人ならざる者を見抜き、気配で他者の近づくのを察した。
「梵天丸、何をしていたのです」
「蛙と遊んでいました、母上」
「そうですか。やはりお前は畜生と戯れておるのが似合いです。醜い、一つ目の鬼が」
「母……」
「お退きなさい。お前の顔など見たくも無い。行きますよ竺丸」
 産みの母にいくら謗りを受けようとも、黙って立っているばかりであったから、
 その母が見えなくなってしまうまで、本当に顔を合わせようともしなかったから、
「もう、出て来てもよいぞ」
「言われなくても出ている。ただの人間に、私の姿が見える訳が無いだろう」
「……#奈々、といったか」
「人間が気安く呼んでいい名では無いがな」
「のう、#奈々」
「お前言ってる傍から……」
「母上は、もう梵天を愛しては下さらぬのだろうか?」
 これは竜である前にただの子供なのだと悟るのに時間がかかってしまった。
 今日初めて会った筈の女の着物を掴んで、それでも必死に涙を堪えている。
「梵天はもう……いらぬ子なのだろうか?」

 (ああ、思い出した)
 ここだ。
 ここでこの子供がこんなにも泣くから、#奈々は今こうしてここにいる。

「泣くな、みっともない。伊達家の次期頭領ともあろう者が、これしきで泣くか」
 自分が何を思ったかなぞ覚えてはいない。
 ただ、過去の事実さえ分かれば現在の因果が分かる。
 少なくともこの時の自分は、自分が最も良かれと思う判断を下したのだ。
「愛されたいなら私が愛してやろう。必要とされたいなら私がしてやろう。
 誰かに傍に居て欲しくば、父でも母でもなく私が傍に居てやろう」
 ならば#奈々に後悔はない。
 これの傍に居てやることを自分は望んだ。
「人間如きに何も望むな。お前が望む分だけ、この#奈々がくれてやろうぞ」
 それを幸せとする事に決めた。



「つーかお前、ホントに傍にいるだけだよな。俺が苦戦してんのに助太刀の一つもしやがらねェ」
「代わりに毒も刃も鏃も遠ざけてやっているだろう。
 後先考えず突っ走るお前が怪我一つしないのは、半分は私のお陰だぞ」
「Um……まァ確かにそうなんだけどよ」
「それに何時だったか気まぐれで一度だけ雷を落として見せてやったら、恐ろしい止めよと泣いて縋られたのでな」
「なっ……何時の話だテメェ!」
「さて、確かまだ十にもならん頃だったか」
「Damn!これだからテメェは腹立つんだ!
 俺が何度もProposeしてるってのに一回だって色好い返事もらえた事ねーし!」
「当たり前だろう。何故私が人間なんぞと添い遂げねばならん」
「俺が望んだ分だけくれてやるっつったのは何処の誰だよ!」
「誰であろうな」
「Liar……!!」
「ほれほれ、あんまり吠えると兵が怯えるぞ筆頭殿」
 ぎゃんぎゃんと竜が吠える。
 けらけらと楽しそうに#奈々は笑う。
「あと数十年もすれば死んで魂は私の同類に戻れるぞ。いいじゃないか、それからで」
「I can hardly wait!」
「我慢が足りんぞ若造!」


 後悔なぞしていない。



初書きバサラ。筆頭はおこちゃまなのが良いと思います
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