シリフ霊殿
Schild von Leiden

明日ハレの日、ケの昨日
「古来より日本にはハレの世界とケの世界がありましてね」
 国語担当のカナリアインコはそう言ってぴ、と右翼を上げた。
 羽が一本だけ天を向く。人間ならば指を一本立てた形にでもなろうか。
 イワシャコは興味なさげに視線を逸らしながら、パソコンで過去の実験データをいじっている。
「ケは日常、ハレは非日常です。晴着なんてものはその名の通り本来はハレの時にだけ着るものなんですよ。しかし現代の我々は家からちょっと買い物に出るのにさえ気を使う。晴着を着てお粧しせねばならない。そうして考えると、都会というものは悉くハレの世界なんですねえ」
「生憎と私は、貴女の研究分野には興味が無いのですが」
「分かりました、では貴方にも興味のある話をいたしましょう。例えばそう、恋とか」
「尚更興味がありませんね」
「恋とは何も繁殖欲に則った異性間のそれに限りません。他者が他者へ向ける異質に高ぶった感情全てが恋と形容し得るのですよ」
「……」
 岩峰はこの雌が少々苦手だ。理系の岩峰と違って彼女はストレートに結論を述べる事をしない。いつも何処か回りくどいのだ。お陰で此処へ来た目的一つ知るのに、長々と講釈を聞かねばならない。
 まあその内結論に辿り着くだろうと、話半分に聞き流しつつ自らの作業に没頭する。
「あこがれるという言葉がありますが、元は『あくがれる』心が何処かへ行ってしまう状態を指すものです。我々はケの世界に暮らしているが、恋というのは本来ハレの領域にある。恋のあの興奮は、祭りの熱狂感や、或いは狂気、神がかりというのに近い状態な訳ですね。だからこそ人間は古くから恋は人を狂わせるとも申すもので、いやはや」
 ばさ、と気配でインコが再び羽を広げたのが分かる。
「ですから恋をしている者は、我々よりもハレの世界に近い所にいる訳なのです。日常の事は手に着かず、夢の如き非日常に溺れる。ここで結婚などという安定した位置を探そうものなら、自らをケの世界へと引き戻さなくてはならない。結婚してしまえば、そこにはハレの恋の熱狂はもはや存在しないのです。私としてはこれはもはや恋愛においての敗北ではないかとさえ思ってしまいます」
 ばさばさばさ。話に興味の無い岩峰には、彼女が何をしているのかも視界に入っていない。
「ではハレの世界で恋をし続けるにはどうすれば良いか。簡単です、逆にケの世界を捨ててしまえばいい。例えばそう、どちらかが死ぬとか。或いは心中、狂ってしまうというのもいいですね。いずれにせよ日常にいられなくなれば良いのです。永遠に輝き続ける恋、素晴らしいとは思いませんか?この感覚があるからこそ我々は滅び行くものを愛さずにはいられないのでしょうね」
「……貴女の話は少々長いですね。結論だけ仰って頂けますか?」
「いいや、何」
 私が狂うのと貴方が死ぬの、どちらが美しいかと思ったまでですよ。




古代文学の授業聞きながら
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