シリフ霊殿
Schild von Leiden

右へ左へ地へ月へ・没案
「……あの」
 そりゃ、能でも観たらどうですかと進言したのはあたしですよ。
 最近戦続きだし、少しは気分転換になるかなって。
 けどね。


「何でお二方とも、あたし挟んで座るんですか?」


 高級そうな木材と高級そうな布で作られた高級そうな能舞台。
 観ている人も一様に身分の高そうな方々ばかり。
 除く、あたし。
 重圧に耐え切れずに右を向いても、
「お茶はいかがですか?淹れたてですよ」
 左を向いても、
「いざよい、こちらにおちゃうけがありますよ」
 身分の高そうなっていうか実際高い方々ばかり。
 (かすが様は忍びだけどほら、謙信様直属だし信頼も厚いし)
 ただの下働き、根っからの平民なあたしにとってこの空間は恐れ多いだけだ。
 かすが様の淹れてくれた玉露のお茶は緊張と貧乏で味わう暇も無い。
 だって玉露のお茶なんて飲んだ事も無いんだもん、お茶の味だなんて思えない。
 そもそも一番煎じを飲む事自体少ない。
 我が家ではお茶っ葉は三十回使いまわすのが常識だ。
 三十番目くらいが一番美味しかったりするあたしの舌なんだから。
 ふぅふぅと湯呑みを吹きつつ、やけに味の濃いお茶を喉に流し込む。
 謙信様が目の前に差し出してくれたお茶請けもまた高級品。
 この世に砂糖菓子というものが存在するらしい事は知っていたけれど、
 それがこんな花だの川だのの形を模した豪勢な物だという事は知らなかった。
 恐る恐る口に運ぶと、今まで味わった事の無い不思議な味がする。
 うん、不味くはない、けど。
 これが甘いというものなのか。今知った。
「くちにはあいますか?」
「あっ、え、は、はい」
「そなたのきにいるようにとあがなわせたものです。いくつたべてもよいのですよ」

「……えっと、あ、ありがとうございます」
 アガナウってどういう意味だったっけ。えーと、購う、だから、買うだ。うん。
 いや、あの、ぶっちゃけ、貧乏慣れしたあたしの舌には合わないんですけどね。
 断るという事自体がそもそも恐れ多くて出来ないのでありまして。
「といいますかあの謙信様、何であたしの名前十六夜なんですか」
 あたしの名前そんな無意味に雅な名前じゃありません。
 別にパッド入れてる訳でもナイフ投げる訳でも時間止められる訳でも無いです。
 あ、でも家事は職業柄得意だけど。
「そらにうかぶつきはつかめぬもの……つかもうとのぞんではならぬものです」
「はぁ……あの、それで何で十六夜」
「いざよいはいざよう、ためらうといういみです。
 もちづきのごときすがたでひとをまどわせ、しかしなかなかそのすがたをみせようとはしない……
 ゆえに、そなたはいざよいにふさわしいのですよ」
 すみません誰か変換キー。出来れば誤変換はナシの方向で。
 ええと、つまりあれですよね。
 十六夜の月って満月よりも少し出てくるのが遅いんだそうです。
 だから「躊躇う」という意味の「いざよう」を転じて「いざよい」と言うんだと。
 それであたしの事を十六夜と呼ぶんだそうですなるほどー。
 ……すみません、やっぱり何で十六夜なのかさっぱり分かりません謙信様。
 あたしはあたしとして今ここに居ます。いざよってはいません。



相互さんへ差し上げたもの没案。ここから書けなくなった
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