シリフ霊殿
Schild von Leiden

無意識下飴と鞭
 かれこれ数度目の訂正である。
「ティエリア・アーデ」
「ち……ちぇにゃーで」
「……」
 あからさまに顔を顰める彼に、堪え切れなくなったロックオンが隣で盛大に吹き出した。
「ま、子供の滑舌じゃ精々そんなもんだろ」
「……馬鹿にされている気分だ」
「そうカッカしなさんなって。人見知りされないだけ良しとしとけよ」
 窘められてもティエリアは少女に不機嫌な表情を向けるのを止めなかった。
 エージェントから報告を受けた、幼いが不思議な才を持つという子供。
 機械のエラー箇所を言い当てるという。殆ど勘のようだがこれがよく当たる。
 親はテロで他界し本人も行方不明扱いだから、本人の了承さえ取れればトレミーへ連れて帰っても構わないと。
 それがまさかこんな、人の名前すら碌に言えないような幼児だとは。





 いーい#ナナちゃん、このお兄さんの名前は?
「せつな」
 こっちの茶髪のお兄さんは?
「ろ、ろくお」
 こっちの背が高いお兄さんは?
「あれぅや」
 じゃあ今貴女を抱っこしてる眼鏡のお兄さんは?
「ち……ち、ちぇーにゃ!」
「やっぱりティエリアだけ飛び抜けて難しいのねぇ」
 相変わらず難しい表情の彼を尻目に、質問役のスメラギが苦笑して肩をすくめる。
 隣で刹那が何やら真面目腐った表情で考え込んでいるが、
 彼の事だ、まっとうな解決策など提示してくれるとは余り思えない。
「ティエとリアが発音し辛いのか……」
「刹那、それってつまり全部だよね?」
 案の定。
 眉間の皺を深くしたティエリアに危機感を感じたロックオンが釘をさした。
「おい、怒る前に#ナナこっちに渡せよ?
 若いお父さんですねとか言われながら連れて来たの俺なんだから」
「誰も体罰を加えるなどとは言っていない」
 非道扱いしないで下さい、と深紅の瞳が眼鏡の向こうから睨み付ける。
「教え込むだけです。
 幼児に物事を教える際は、失敗が無くなるまで繰り返し教え込む事が推奨されている」
「いや、お前さんの場合大事な何かが足んねえからな」
 そう例えば加減とか、容赦とか、笑顔とか、そんなものが。
 効率はどうあれそんな表情で淡々と物事を教え込まれる事が、この年頃の子供にとってどれ程の負担になるものか。
 恐らく彼は理解していないだろう。それが一番の問題だった。
 たかが名前、と終わらせる事も出来る筈なのに、完璧主義な彼はそれを許さない。
「ティエリア」
「ちぇーにゃ」
「ティエリア」
「ち、ちぇーにゃ」
 腕に抱き抱えたまま、満足のいくまで自らの名を言い続ける。
 子供の方でも自分の発音が好ましく思われていないという事は分かるらしく、
 気迫に押されて半泣きになりつつも彼の言葉を繰り返していた。
「ティエリア」
「ちぇーにゃ」
「ティエリア」
「ちえーにゃ」
「ティエリア」
「ちえーにあ」
「お、おいティエリア、もうその辺に……」
 際限無く繰り返される問答に周囲の空気が徐々に冷めていく。
 たまりかねたロックオンが止めさせようと彼の肩に手をかけた時だった。
「ち……て、てーりあ!」
「お、少しまともになっ……」



 次の瞬間腕の中の子供を抱きしめたティエリアの表情は、
 その場の誰一人として忘れられない程美しく穏やかであったという。



不愛想キャラを幼女と絡ませるのが好きです
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