図書室の扉を開けた左の司書カウンターには、当然のようにあの女が座っている。
聞けばほぼ毎日、後輩の仕事を肩代わりするようにして居付いて居るのだという。
仕事を進んで引き受けると言えば聞こえは良いが何の事は無い、
此処へ座って居ればどれだけ本を読み漁っても良いという下心からの行為だ。
当の本人が教室で声高々に宣言して居るのを聞いたのだから間違い無い。
現に今も何やら分厚い本を取り憑かれた様に読み耽っており、
こうして我が目の前に居るというのに気付いてすら居らぬ様だ。
「おい」
声を掛けつつカウンターを叩くと、ようやく本から顔を上げた。
「あっれ毛利じゃん。珍しいねー本借りに来たの?」
「借りに来ては悪いか」
「いや別にー。ただ毛利ってそんな此処来ないからさ」
確かに本を読まぬ訳では無いが学校の図書室を利用する事は少ない。
しかも我が否定の言葉を吐くとは微塵も思って居らぬ口振りだ。
本ばかり読んで居ると思ったが、きちんと入室する人間は見て居るらしい。
「で、何?借りるんなら横の貸し出しカードに名前書いてから持って来てねー」
ついでに返す時は本にカード挟んでカウンターに返却ね、という、
恐らく言い慣れて居るのであろう言葉を一つ残して、再び本に視線を戻す。
……話し相手を目の前にしてのうのうと本を読むとは良い度胸だな、貴様。
腹が立ったのでもう一度カウンターを叩いてこちらを向かせた。
「なーにぃ今良いとこ」
「何を借りるか未だ決めて居らぬ」
口から出たのは自分でも続く言葉に窮する程の出任せであった。
「はぁ。で」
「決めよ」
「……はぁ」
些か不審そうな表情ではあったが、図書委員の務めなどとぼそぼそ呟きつつ本を閉じたので良しとする。
「何?よーするにオススメ本とか教えて欲しいって事ですか?」
「……ああ」
成り行きだ。それで良い。
「んーじゃあ、これでも借りてけば?」
差し出されたのは今し方まで自分が開いて読んでいた本。
「良いのか?」
「まぁ、内容覚えるくらい読み返したお気に入りだし」
一体学校蔵の本にどういう読み方をしているのだこの女は。
しかしお気に入りという言葉に惹かれ、ひとまず手に取ってみる。
表紙を返すと、白い表紙に西洋風の挿絵と金箔押しの文字が並んで居た。
『SM全集』
「……」
計算してないぞ。
「これ凄くってね、中世ヨーロッパから江戸時代の捕縄術まで網羅してて」
「選び直せ」
出来るだけ傷付かぬよう本を閉じ相手に付き返す。
「巻末の付録には何と亀甲縛りのやり方が詳しい図解付きで」
「選び直せと言って居ろうが」
「面白いのにー……」
膨れられてもこちらにも嗜好の違いというものが有る。
確かに以前長曾我部からそれに近い事を言われたような覚えはあるが、我には断じてこのような趣味は無い。
というかこやつといい長曾我部といい我を何だと思って居るのだ。
「他あたしが最近読んだ面白い本といえば……んー……
『世界の奇人・狂人』『世界拷問大全』『完全他殺マニュアル』……」
「貴様もう少しまともな本が読めぬのか!」
「良いじゃん人の好みにケチつけないでよ面白かったんだから!」
「ケチをつける心算など無いがせめて我の読める本を薦めて来い!」
「えー読んでみれば案外読めるかもよ、例えばこの『男同士の」
「誰が読むかっ!」
流石に我慢出来ずに差し出された本を叩き落してしまった。
本に罪は無いので気が咎めるが、内容への嫌悪感に比べれば微々たるものだ。
「冗談なのにさー」
流石に怒鳴られるかと思ったが、黙って本を拾い上げ傷が無いか確認している。
その姿に一瞬だけ罪悪感が募った。
「ていうか、それならいっそ司書さんにオススメ本聞けば良いのに」
「……いや」
確かに奥の部屋に行けば司書が居るのであろう。
聞けばこの女より余程まともな解答を返してくれるに違いない。
しかしそれでは我が態々普段利用せぬ図書室へ足を運んだ意味が無くなる。
思わず声を荒げてしまった所為で失念して居たが、
我がお薦めの本とやらを聞くのはこの女で無くてはならぬのだった。
「貴様の言う本で良い」
本で、より本が、と言った方が聞こえが良かったかと後悔したが、それでこちらの手の内が知られては不味い。
事によっては二度と此処へ来る事が出来なくなるかも知れない。
否、同じ教室に居る事すら耐え難くなるか。
「何か、我でも読めそうなものは有るか」
ここは細心の注意を払って事に臨まねばならぬ。
「……『終末の前夜祭 H』」
少しして、小さな声で呟く様に言うのが聞こえた。
どうやら本の題名らしい。
「あたしがよく読んでるシリーズの最新刊がこないだ出たんだよ。
ちょっとアクションシーン入るけど、苦手じゃなきゃ読めると思う」
良かったら読んで。
更に小さい声で言われたので、そうすると返した。
キリ番でした