シリフ霊殿
Schild von Leiden

竹林の彼方にかかやく姫と
「肝試し?」
「はい」
 ある夏の夕暮れ時、この姫君は我の元に来るなりそう言って笑った。
「それが何だ」
「やろうかな、と思いまして」
 それは話を聞けば予想がつく。
「何故我に言いに来る。勝手にやれば良かろう」
「毛利さんもやるんですよ」
「は……?」
 少々稚さの残る表情は、嫁入り前の生娘独特のもの。
 甲斐の虎にこのような年頃の娘が居るなど、先日まで知らなかった。
 性格は見ての通り大分活発だが、武家の女性としての嗜みは一通り揃えている。
 嫁に出しても恥ずかしくない程度には仕込んで居るという事か。
 我の前に姿勢よく座るその姿からは、豪快な父親の面影は見られない。
「生憎だがそのような余興は不得手だ。相手が欲しくば真田でも誘って……」
「毛利さん」
 めき、と嫌な音がして、彼女が手をついた文机に皹が入る。
「……」
「参加して下さいますよね?」
「……ああ」
 前言撤回。
 こやつは間違いなく武田の娘だ。





 夏の日は長いが、戌も過ぎれば流石に夜と言うべき暗さになる。
 指定された場所に赴くと、猿飛が実に気の毒そうな顔をして待っていた。
「ごめんねーうちの姫様が」
「全くだ。悪巫山戯がしたければ真田でも誘えば良いものを」
「あー旦那は早寝早起きな人だから」
「父親も一体どういう教育をしているものか。
 夕食の席で話をしたが、酒でも入っていたようで笑って済まされたぞ」
「鍛錬と気合と鉄拳で教育してマス……」
 呆れたが妙に得心がいった。
「……まぁ良い。当の姫様とやらは何処へ行った」
「あー、それが……」
 猿飛は気まずそうに背後を振り返った。
 背後には待ち合わせ場所と言われた竹林があるが、
 鬱蒼とした夜の闇の中で揺れる竹には不気味なものがある。
「姫様、アンタを驚かせるんだって張り切っちゃってね。何か仕掛けてくるって入って行ったっきり……」
 まだ戻って来ないの。
 ぽつりと呟いた言葉が生温い風に攫われて行く。
「助けに入ろうという気は無いのか、貴様は!」
「だーって仕掛けの内容バラされちゃ困るから入らないでって釘刺されちゃったし?
 無理矢理助けに行っても良いけど……俺様やだよ、あの姫様にグーで殴られんの」
「〜もう良い、我が行く!」
「いってらっしゃ〜い」
「……貴様、今笑ったか?」
「ううん全然?」
「……」



 竹林を分けて進むのには予想以上に手間取った。
 足元が暗い所為もあるが、多くはあの姫君の仕掛けによるものだ。
「……何がしたかったのだ、あやつは」
 幾度目かで覆い被さって来た白い布を纏め呟く。
 同じようにして片付けた仕掛けは既に両手に余る程になっている。
 一度地面にでも置いておくかと思った辺りで、ようやく開けた場所に出た。
 何かを祀っているらしい祠と、その前で膝を抱え蹲っている一人の娘。
「……毛利さん?」
 顔を上げたので、大袈裟に溜息を吐きながら持っていた仕掛けの山を放り出す。
「あれ……ぇ?びっくりした声、一つくらい聞こえると思ったんだけどなぁ……」
「これしきで取り乱していては将など務まらぬ」
「そ、そう……ですよね……」
「帰るぞ」
 言いながら屈んで背を見せると、予想以上に驚いたような反応が返ってきた。
「え、あの……」
「歩けぬのであろう?」
 鼻緒が切れたか挫いたかは判別がつかぬが、立ち上がろうともしない所を見るとどうやら後者のようだ。
 大方ここで最後の大仕掛けをやろうとしてしくじったのであろう。
 傍に転がっている何がしかの残骸からも予想が付く。
「泣くほど痛いというのに放って帰る訳にもいかぬ」
「なっ、泣いてないですよ!」
「先刻から鼻声で会話をしておいて何を言う」
「うー……」
「どの道仕掛けはこの通りだ。後日猿飛にでも改めて仕掛けて貰え」
 恐怖は無いが丸腰で長々と居座りたい場所でも無い。
 さっさと出るぞ、と言おうとした所で、
「嫌です」
「なっ……」
 これには流石に驚いた。呆れたと言った方が正しいかもしれないが。
「だって、」 
 顔を顰めつつ立ち上がり、袖で軽く涙を拭う。
「毛利さん帰っちゃうじゃないですか……」
「……何処へだ」
「中国……」

 ……面倒な。

 負ぶさってくるのを待つのに焦れて強引に抱き上げる。
 抵抗して来るので背へ乗せるのに少々手間が要った。
「我は同盟の件に片が付くまで戻らぬ心算だが」
 無論なるべく早く本国へ戻るのが望ましい事だが、相手はあの武田信玄だ。
 条件の突き合わせだけでもしばらくかかるだろう。
 ただ同盟が成立すればこちらにとってもかなりの利益になるので、交渉の場を自分から失くす気は毛頭無い。
「じゃあ明日大丈夫ですか?」
「ああ、他に用事が入らなければ…… っ!?」
「やった!約束ですよ約束ですからね!」
「くっ……あ、明日でも何時でも良いから疾く我の首から手を放せ……!」



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