今宵は月の代わりに、一台の牛車が天を巡っていた。
牛車を牽くのは一人の女。
見た目は美しいが、女の耳は猫のそれである。
車を牽こうと身体を動かす度に、長い尾が妖しく揺れた。
内からは紅い炎が溢れ出し、牛車とそれを牽く女とを舐め続けている。
「お兄さん、見掛けの割に重いねぇ」
中天に差し掛かる所で女は牛車を止め、中に向かって声を掛けた。
「まぁ、そんぐらい重い罪を背負ってなきゃ、こんなもんに乗ってやしないか」
火の爆ぜる音が僅かに返事を返す。
入り口に垂れた御簾が、ほんの少し揺れた。
揺れた隙間から、鎖で繋がれ連れられてゆく罪人の姿が覗く。
お兄さん、という呼びかけの通り、まだ若い。
この年で身が重くなる程の罪を負ったとは思えない程、整った顔立ちである。
「どうだい、火車の乗り心地は?尤も、良いって言った奴ぁ居やしないんだけどね」
返事は無い。ただ苦しそうな息遣いが聞こえてくるのみである。
火車は罪人を地獄まで連れて行く為のもの。人が乗れば業火がその身を焼く。
ただし地獄まではその身体を傷付ける事は許されていない。
それは到着後に罪を裁かれた後、地獄の獄卒が行う役目だからだ。
故に火は男の髪の毛一筋たりとも焦がす事は無く、
ただ感じるままの熱のみをもって彼に地獄の責め苦を与えていた。
「しかしお兄さん良い男だねぇ、こりゃあたしも車の牽き甲斐があるってもんだ」
俯き加減だった男が僅かに顔を上げる。
「牽き甲斐があるというなら何だ。遠回りでもして行く心算か」
「ん〜、それも良いねぇ」
女は心から職務を楽しんでいるという顔つきで笑った。
笑うとその口元から牙が覗く。
「或いはいっそ地獄なんて行かずに何処ぞへ逃げちまうっていうのもありだ。
お兄さんみたいな良い男が獄卒共に好き勝手されるのを見るのも忍びないしね」
「愚かな……行く当ても無かろうに」
「あぁ、そこの所は心配無い。この車は一人乗りだからね。
途中でお兄さんを降ろしたりしなければ、何処までだって行けるのさ」
御簾の中についと手を入れ、鎖で戒められた身体に触れる。
触れた足元から指で辿り、首筋を辿って頬を撫でる。
「閻魔様にもやらない、仏様にもやらない、あたしのものになるんだよ」
言ってからあぁ、と思い出したように笑う。
「勿論、あたしと一緒に地獄の業火に焼かれながらだけどね」
下書きの端に「地霊殿はまった」って書いてあったのでそれだと思います