シリフ霊殿
Schild von Leiden

七つの海を渡る風のように
『出来てたよ』
 海の上で、私は彼にそう言った。
 揺れる足場は多分、船の甲板だったのだろう。
『なっ……お前……』
 言った途端、彼の顔が驚愕と動揺に染まる。
『お前それ不味いだろ、どーすんだよ!』
 その後彼が何と言ったのか、私は何と答えたのか、
 肝心な部分の筈なのに何故かどうしても思い出せない。
 ただ彼の表情だけが網膜に焼き付いて、繰り返しその場面を私に見せ付ける。
 私を怒鳴りつけるその口を塞いで、永遠に黙らせてやりたくなる程に。


 ああ、だから私はもしかすると彼を海に突き落としてしまったのかもしれない。


 次に目が覚めた時は病院だった。
 彼ではない男の人が、心配そうに私を覗き込んでいる。
「ああ良かった、もう心配ねェな」
 この人は誰だろう。思い出せない。
「Are you sleepy?でも三日も寝てたんだぜアンタ」
 くしゃりと私の頭を撫でてくれる。優しい手つきだ、と思った。
 優しいけれど何処か違う、彼はこんな撫で方はしない。
 不意に身体が震えた。寒い。体温が下がっているのだろうか。どうして。
 どうして寒いんだろう、彼の顔を見たそこから記憶が動かない。
 時は確かに動いているのに、まるでビデオの一時停止を押したように。
 私は海に落ちたのだろうか。
 寒い、と呟くと、男の人はああそうだよなと言って毛布をかけてくれた。
 ああ私はこの人を知っている、知っているけれど一体誰だっただろう。
 どうして私はこの人と一緒に居るのだろう。
「ま、酷い目に遭ったとか思ってるだろうが済んだ事だろ。ちゃんとアンタは……」
 ばたん、と扉の開く音が話を遮る。
 扉の向こうに、私の覚えている表情とは別の表情をした彼が立っていた。
「目ェ覚ましたって本当かっ!?
 良かった……赤ん坊は泣くしお前は難産で意識不明だっていうし、
 このまま目ェ覚まさなかったら俺もうどうしたら良いかって……ッ」
「Be quiet!病人の前で騒ぐなってか泣くな元親ウゼェ!」


 ……ああ、いっそ突き落としておけば良かった。



『お前それ不味いだろどーすんだよ、俺何も準備してねーぞ!』
『は……?』
『赤ん坊ってどんだけで生まれるんだ?ああ十月十日か、あと何日だ?
 それまでにベッドと服と哺乳瓶と粉ミルクと……玩具もいくつか要るよな』
『いやあの』
『後俺オムツなんて換えた事無ぇっつーか換え方すら知らねぇんだけど、
 あれってどっかで教えて貰えんのか?それとも毛利とかなら知ってっかな?』
『いや知らないと思うよっていうか、』
『そういや赤ん坊って普通の風呂入れたら溺れるとか言うよな、だったら盥も』
『産んで……良いの?』
『あ?何言ってんだよ当たり前だろってかやっぱお前最高!超愛してる!』
『ぎっぎゃあぁぁここで抱きつくなってか重い重いこける落ちるマジで海に落ちる!』



こういう冒頭と落ちの漫画が昔あった気がするんですが
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