シリフ霊殿
Schild von Leiden

猫と左目
「元親」
 呼ばれて振り向くと、縁側で猫が一匹昼寝をしていた。
 ……正確には人に化けた猫が一匹。
 猫、というとこの男はよく妖猫と言え!と怒るのだが。
「あれお前、弟どうした?」
「さぁ。見回りじゃねえの?最近物騒になってきたしな」
「何だ、離れてても意思通じるとか無えのか。妖の癖に」
「殴っぞ。……つかんな事はどうでも良い、眼帯貸せ」
 鷹揚と差し出された手は細く白い。
 さらさらとした毛並みの猫がどうやったらこんな姿に化けられるのだろう。

「呪が切れてる」



 猫が小さく呪を唱える気配を隣に感じつつ、
 手持ち無沙汰に今まで覆っていた左目で試しにぐるりと周囲を見回してみた。
(庭の木の向こうと、……少し遠いが裏手にもいるな)
 見鬼の左目。
 それに反応して襲ってくる筈の者達は、今は遠巻きに見ているだけだった。
 理由は単純、恐ろしい護衛がすぐ隣に座っているからである。
 例え呪を唱えるのに気を取られているのだとしても、
 腰に差した二本の小太刀で妖の一匹二匹簡単に斬って捨てられそうな手馴れが。

   『人ならざる者共から御身をお守りしよう』
   『その代わり、我らの身の便宜を図っていただきたい』

 彼らがいなければ恐らく自分は一生部屋から出られないままで、
 四国どころかこの国を守っていく事すら難しかっただろう。



「……親……元親!」
 べしん、と皮製の眼帯で顔をはたかれる。
「痛ってぇな、殴る事ねぇだろ!」
「ぼけっとしてっからだろ」
 ほれ、と押し付けられた眼帯を受け取って再び左目に当てる。
 先刻まで見えていた者達が消えていくのを見てほっと一息吐いた。
「何だ、また『どうして見鬼なんだろう』とか下らん事考えてたのか?」
「違ぇよ。ちょっと思い出してただけだ」
「あ?ああ、『弥三郎はばけものなの?』とか言って障子の向こうで泣いてたあれな」
「口に出して言うなっ!」
「馬っ鹿だよなぁお前、人生為るようにしか為らねぇもんだってのに」
 初めて会った時にも言われた台詞だ、と思った。
 泣いても悩んでも何も変われない。
 少なくとも、いっそ死のうという勇気すら持てない人間には決して。
 だからとりあえず為るように為るまま真っ直ぐ進んでみろよ、と。

   『その気があるなら俺らがのってやらん事も無い』

「で?為るように為ってる今は楽しいか?」
「……まぁな」





「……良い、お話ですね」
 びくりと二人の肩が同時に震える。
「僕が屋敷の仕事に追われている間に、兄様と元親様はのんびりとお話ですか」
「ま、待て、違う、これはだな」
「最近は毛利との戦の準備で忙しいから少しは手伝ってくださいと、
 昨日も、一昨日も、その前も!言った筈ですが?」
「だ、だからその、元親の呪が切れてて、」
「へえ。じゃあそんな縁側に寝転がっていないで何とかしたらどうです?」
「それはもう終わったんだ!終わってそれで……」
「兄様」
 にっこりと笑う端正な顔は兄に瓜二つ。
 ただ違う所といえば、兄の方は間違ってもこんな腹黒い笑い方はしない。
「やる気が出ないのでしたら僕が入れてあげても良いですよ?」
 懐からすいと取り出す、その手には戦の為に研いだばかりと思われる投擲剣。
「……真っ直ぐ前向いて、為るように、だったか?」
「……為るようにしか為らねぇ、だ」

 だから取り敢えず逃げようじゃないか、我が君主。



設定ごとリクエストを頂いて書いたものです
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