シリフ霊殿
Schild von Leiden

なんだ、これが恋か、
 伊達に永い時を経てきた訳ではない。のうのうと生き長らえてこそ分かることもある。それは今の己を形づくる要素の一つであり、周囲で若人達が幅を利かせるこの場にあっては矜持でさえあった。
 人間は往々にしてその所有物より早く朽ちる。そして遺されたものたちは打ち捨てられるか、そうでなければ次の主へと受け継がれる。愛していると憎んでいるとにかかわらず。現に自分は何度主の死を看取ってきたことか、献上という名で余所へ放り出されてきたことか。世の中というのは大凡これの繰り返しで出来ている。
 万物無常と諦観が備わるのに、然程かからなかった。
「とはいえ、実際どれほどかかったかと言われると、覚えていないんだがな」
 そうだろう、と隣に呼びかけて、三日月宗近は茶を啜った。
 出陣も遠征の任もない昼日中、縁側は麗らかである。
 そうだね、と石切丸が応じた。
「私も昔の記憶はかなり曖昧だよ。人を斬ったかどうかさえ」
「ほう」
「戦火に遭った訳でもないようだから、やはりある程度の風化は避けられないものなのだろうね」
 そうだなあ、と言いながら湯気を吐き出す。
 煎茶というものを長らく知らなかったが、良い味だ。若い者達はむしろこちらしか知らぬものも居るという。どろりと温い碾茶を振る舞った時の顔を見てみたい。幸いにして茶事に明るいものが居るようだし今度頼んでみるか。
 思考は止まない。
 そうなのだがなあ、言い足そうとしてまた茶を啜った。
 言わずとも隣は察してくれている。
 何時からそうなったかなど最早忘れたが、とにかく己は半ば全てを諦めるように、受け流すようにして今日まで在ってきた。此度の主と此度の戦は少々大きく、珍しいことだと目を見張ったが、やはりこれも何時かは時の波に揉まれて薄れてゆくのだろう。
「そうなのだがなあ」
 耐えきれず湯気と共に声が出た。
 名刀と謳われた身であれ、ただ戦をするだけならば実戦用の良いものが幾らでもいる。加えてこちらは、この数百年はただ可愛がられてのうのうとしていた。主に武器として求められ、頼られるなど実に久方振りだ。こんな、余計とさえ言えるような立派な戦支度までして貰って。
 今更になってこんな感慨にふけるのはそれ故か。慣れぬ環境で、慣れぬ情を向けられて戸惑っているのだ。分かってしまえばただそれだけ。
 それだけ、と言い切るのが何故か億劫になるけれど。
 石切丸は苦笑して言葉を紡いだ。
「忘れた忘れたと言っても、貴方は歴代の主を覚えている」
「そうだなあ」
 何杯目かも忘れた茶を注ぐ。熱い。
「歴代の主に愛されたことも覚えている」
「そうだなあ」
「愛された日々を忘れても、愛された事実を覚えている」
「そうだなあ」
「たとえ少々特殊な主に仕えたとしても、人と同じく血肉を纏って戦ったとしても、それは同じではないかな」
「……そうだなあ」
 そうだろうとも。湯呑を置いてしばし空を見上げた。
 雲が風に吹かれてゆく。
 人の姿を得る前も、後も、己はこれを美しいと思っていた。
 傍らでは石切丸がゆるりと笑って、続きを待っている。
「では、主をお慕いしてもよいものだろうか」
「勿論。ここのものたちは皆審神者殿を慕っている」
「お傍に居たいと言ってもよいものだろうか」
「あの方はお喜びになるだろうね」
「御名を呼んでも、御手を取っても許されようか」
「打刀たちには内緒だよ」
「ははは」
 ほぼ同時に茶を啜った。
 今気付いたが、茶の色と味が随分と薄くなっていたようだ。白湯が如き出がらしである。
「参ったな、俺もまだまだ青いということか」



おじいちゃんようやく来てくれて嬉しすぎて書いた。
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