シリフ霊殿
Schild von Leiden

ご褒美
 帝都も深夜になれば梟が鳴く。つい最近まで知らなかった。
 だってこんな時間まで起きてることなんて、軍に入るまでなかったもの。
「終わっ……た!」
 叫んだ途端机に突っ伏したので、書類の最後の一文字がちょっとうねったのは見逃して欲しい。大丈夫大丈夫ばれないばれない。
「ご苦労様です」
 そのうねった書類をすかさず拾い上げて、陰険上司がにっこりと笑う。
 憎たらしい、ムカつく以外に形容のしようがないんだけど、でもこの笑顔が私と同じ時間まで残業して、しかも私の三倍以上の量をガッツリこなしてくれているのだから文句も言えない。いや、仮にさぼってても立場上何も言えないんですけどね。
「一週間もよく頑張りましたね」
「ええもうほんと寝不足で死ぬかと思いました……」
「おやおや、女性の肌には大敵ですよ」
 誰のせいだよ。言いたいけど言えない。
 そもそも言う気力がない。疲れたし眠いしお腹が空いた。
 空いたけど私のお腹よ今だけは鳴らないでくれ、この陰険大佐に聞かれたら後でどんだけネタにされるか。
「……まあ実際、よく頑張りましたね。貴方の年齢でここまで出来る者はそう多くない」
「へ?」
 必死で机に腹部を押し当てていたので一瞬聞き間違いかと思った。
「よくやった、ということです。お陰で助かりました」
「……ありがとう、ございます……?」
「何ですかその反応は」
「いえ、だって大佐が私ごときを褒めるとか明日はデモンズランスでも降って来そうですみません失言でした見逃してください」
 笑顔に凄味が混じったよ。
 突っ伏した机に腹と頭を擦り付けて謝っていると、ひっそり「正直者は損をしますよ、#ヘヴンフィールド准尉」とか聞こえた気がした。
「まったく、私を何だと思っているのやら」
「大佐厳しそうなんで、つい」
「私は良い働きをした者はきちんと認めますよ。ちゃんとご褒美も出します」
 最後のご褒美、って所だけすごく良い声だったのはわざとなんだろうか。
「ご褒美と言いますと金一封とかですか」
「残念ながら仮にも公僕ですのでそういうものは無いですねえ」
 なーんだ。
「ですが、個人的なものなら幾らでも出せますよ。とりあえず奢りますので夕食に行きましょうか」
「マジですか!」
「お腹空いてるでしょう?」
 にっこりと笑って指差すのは机に押し付けっぱなしの私のお腹。
 ははっ、ばれてーら。超恥ずかし。
 まあいいや、頑張った甲斐あって今夜は懐を痛めずに美味しいものが食べられる。
 うきうきしながら帰り支度を始めた脇では、手早く片付けを終えた大佐が早くもコートを羽織っている。ばさりと軍服の上にそれを翻す姿が不思議と格好良い。
 中身はあんななのになー、というのは口に出すとさっきの二の舞なので当然言いません。
「何か食べたいものはありますか? 肉か魚か、お酒が飲みたいならバーでもいいですが」
「えっと、予算とか大佐のお好みとかは」
「気にしなくて構いませんよ。貴方へのご褒美なんですから」
 やっぱりゴホービという単語にだけハートマークがついてるように聞こえる。無意味に色っぽいんで止めていただけませんか。
 いや、それより問題は食事のチョイスだ。気にするなと言われても余り高いものを頼む訳にはいかないし、大佐にだって好き嫌いくらいはあるだろうから、それなりに自由度が高くてお腹に溜まって、それでいてあんまり高くないものを頼まなければならない。
「あ、じゃあ」
「決まりましたか?」
「私クレープ食べたいです、クレープ。生クリームとチョコとフルーツのオプション増し増しで」
 好きなの選べて安くてお腹に溜まって豪勢でしょう。



 おかしいな、私の食べたいものをって言われた筈なんだけどな。
「私は夕食を奢ると言ったんです」
 見透かしたかのようにぴっしゃりと言われてしまった。
 規則正しい包丁の音。ぐつぐつ聞こえるあれは何が煮えているんだろう。
「だから言ったじゃないですか、クレープって」
「貴方はそれが夕食になると思っているんですか?」
「……お腹、膨れますよ」
「ガレットならともかく、そんな間食同然のものを食事とは認めません」
 だん、と目の前にサラダの皿が置かれた。隣には揚げ出し豆腐と一杯のミルク。何だこれと思っているとその間に大盛りのカレーが追加される。
 ああさっきの煮えてる音はこれだったのか。
「食べなさい」
「ええと」
「食べなさい」
「……はい」
 言い訳どころか状況確認もさせてもらえなかった。
 クレープが食べたいと言った直後、私は何故か急に顔つきを厳しくさせた大佐に無言でこの建物に引きずって来られ、滔々と食物栄養についてお説教をされながら食事をさせられている。
 ぼんやりと見ている限りこの料理を作ったのは大佐で、大佐が台所に立って料理をしていたということは、多分ここは大佐の家なんだろう。
 ……何か、改めて考えるとご飯奢られるよりすごい状況だなあ。
「いいですか、貴方も女性とはいえ一軍人なのですから、常に体調管理を念頭に置いて規則正しい生活を心掛けなさい。戦場では日々の体力がものを言いますよ」
「はーい……あ、でも」
「何か?」
 大佐も何だかんだで忙しいとすぐ食事抜いたり徹夜したりしますよね。
 言ってから、先刻ものすごい笑顔で忠告されたことを思い出した。そうだった、正直に言うと損をするって教わったばっかりじゃないか。
 恐る恐る大佐の方を見ると、案の定凄味のある笑顔で……
「私はいいんです」
「ひっ」
 ぺたり、と大佐の手が頬に触れる。反射的に身を竦ませてしまったのは仕方がないと思う、だってさっきの今だし。
「私は慣れていますし、今更一食二食抜いた所で差し障りはないのでいいんです。しかし」
 大佐の手が私の頬骨から首筋までを検分するようにゆっくりと辿っていく。
「貴方はそうではない」
 ほら、肉が落ちています。確認とばかりに指で軽く押された。
 騙し騙し聞いていたけれども、これはもしかして。
「……肉が落ちるのは女性にとってはむしろ喜ばし」
「痩せるのとやつれるのは違います」
「あっはい」
「減った分はきちんと補っておきなさい。身体に障りますよ」
 確認を取ろうとしたけれども、質問はカレーの乗ったスプーンごと押し戻されてしまった。


本編の大佐は無自覚に保護者している気がする。
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