シリフ霊殿
Schild von Leiden

小姫の面と舞を
 武田と伊達の同盟締結から三日。
 今になってやっと兄様の考えが判ったような気がする。
 『同盟の証として俺の妹は、真田幸村、アンタの嫁だ』
 多分、人質として嫁がされる私の気持ちを慮ってくれたんだろう。
 どうせ好きでもない相手に嫁ぐなら、オッサンより若武者の方がマシだろうと。
 でも。
「……幸村様、一体何を?」
「おお#奈々殿、起きられたか」
 私はオッサンと変人、どちらに嫁ぐのが幸せだったのだろう。
 教えて下さい、兄様。


 (私、朝から褌一丁で槍持ってスクワットするような男の嫁なんて嫌です。)


「今朝は実に気持ちの良い朝でござるな!#奈々殿も外にお出になられたら良い」
「はあ、あの、それで幸村様は庭で一体何を」
「某か?某は明日の宴で見せる舞の稽古をしておったのだ」
「貴方何処の土人ですか」
 何処の世界に褌一丁で槍を掲げて踊るもののふが居るものか。
 戦に備えての鍛練だというならまだ諦めもついたのに。
「某は舞など出来ぬと申し上げたのだが、お館様が是非にと仰られてな……
 ぅお館様ァ、この幸村死んでもやり遂げてみせまするぞォォォ!!」
「……」
 兄様、私帰りたい。
 帰って、兄様と小十郎の鍛練見たい。
 小十郎のゴボウの収穫だって、今なら文句言わずに手伝うから……



「……それで、明日の宴とは何の宴です?」
「う……」
 スクワットで膝を折ったまま固まる我が婿。
「私の聞く限り、明日行われる宴というのは……」
 私と貴方の婚姻の儀以外に、無いのですが。
 一瞬沈黙があった。
「……そ、某もな、#奈々殿」
 ぎぎぎ、と効果音が付きそうな動かし方で幸村様がこちらを向いた。
「某も、辞退しようとはしたのだ……
 伊達殿は文武両道、武勇だけでなく学問・芸事にも通じておられるお方、
 そんなお方の目の前で慣れぬ舞なぞ演じる訳にはゆかぬと……」
 返事が、出来なかった。
 貴方さっきまでやる気だったじゃないですかとかそういう以前に。

 生まれて初めて、頭より先に身体が動いた。

「幸村様」
 素足のまま庭に下りて、長い後ろ髪を掴む。
 掴んで、強引に私の顔を覗き込ませる。
「私が教えて差し上げます。舞なら兄様と共に幼き頃より学んで参りました。
 明日の宴までに、どうにか形になる様に舞を覚えられませ」
「#奈々殿……?」
 呆気に取られている腕から、双槍を叩き落とす。
「槍は舞には向きませぬ。持つのなら扇、どうしてもと仰るなら剣舞に」
「え、あの#奈々殿」
「立つ姿勢はこう、背筋は伸ばして、指の形はこう、親指はなるべく見せぬように」
「#奈々殿」
「Be quiet!!」
 如何して兄様の前でそんな醜態を曝せるものか。
 宴に列席した誰よりも私が耐えられない。
「兄様の前で醜い舞など躍らせませぬ」
 Do you have anything to say?
「……はい」



 そういえば如何して突然幸村様が舞を舞うという趣向になったのだろう。
 幸村様を特訓しながらもそれがずっと気になっていたのだけれど、
 兄様が対で剣舞を舞うのだと当日知らされて得心がいった。
 幸村様と兄様は戦場では幾度も刃を交えた好敵手であったと聞く。
 対ならばさぞ映えるだろう。
「兄様の考えそうな事ですね」
「What?」
「いえ、何でも」
 咄嗟に誤魔化したけれど聞こえていたらしい。
 兄様は笑って私の頭を撫でてくれた。
 いつもより優しい気がするのは私への別れのつもりだろうか。
 それとも酒がまわり始めているだけかもしれない。少し顔が赤いから。
「#奈々、誤解してるようだから一つ言っとくぜ」
「何でしょう」
「この舞な、幸村が俺と信玄公にやらせてくれって頼んだんだ」
「……はい?」
「ついでに言うと演目のchoiceもな」
 私が聞き返す前に、兄様は舞台に上がってしまった。
 舞台の上では、幸村様が待っている。



 音楽は緩やかなのに、舞は酷く猛々しい。
 互いに剣を抜き、競う様に舞う。まるで戦場で刃を交える時の様に。
 真田殿踊れるではないか、と何処かから聞こえた。
 常なら私が教えましたからとでも自慢するのだろうけれど、
 私は魅了されたかのように、角隠しの向こうからただ幸村様を見つめていた。
 踊る彼の目が、異様なまでに真剣だったから。

 やがて兄様が剣を引いて、舞台の袖に退いた。
 彼は敗者の役なのだ。敗者は勝者の前から去り、約束の宝物を勝者に授ける。
 幸村様はまだ舞っているかのような動作で剣を収め、舞台から降りると、


 私の前にそっと膝をついた。


「この真田源二郎幸村、命有る限り#奈々殿をお守り致す」
 これは、舞の続きなんだろうか。
「Hey幸村、『愛する』が抜けてるぜ」
「伊達殿!い、いやその、それはその今更の事なれば今更このような場で言うべき事でも」
「馬鹿。#奈々がまだ何も知らねェだろうが」
 兄様の、いつもの悪戯なんだろうか。
 ごほん、と幸村様が咳払いをする音。
「某、同盟協議の場でお見かけしてより、#奈々殿に惹かれており申した。
 それ故伊達殿にお願いして、人質という形をとり甲斐へ来ていただいた」
 立っているのが億劫になって、私もその場に座り込んだ。
「なれど#奈々殿は甲斐へ来てからというもの屋敷に篭りきり、奥州の話しかなさらぬ。
 もしや某を厭うておるのやもしれぬ、それでは無理強いする訳にはと……!」
「幸村様……」
 がばっと幸村様が頭を床につける。
「伏してお願い致す、某と添うて下され!!」


 その場は随分と長い間、静かだった。


 くす。くすくす。
「……#奈々殿?」
「#奈々?」
 幸村様と兄様が、驚いた様に私を見ている。
 勿論、私が場の雰囲気に沿わずに笑っているせいだ。
「幸村様、ここを何処と思うておいでです?私と幸村様の婚礼の宴ではございませんか」
 外に出なかったのは庭が広くて迷いそうだったからで、
 奥州の話しかしなかったのは差し当たって話題が他に無かったから。
 何やかやと文句をつけつつも、幸村様と話をするのを止めはしなかった。
 私は最初から、幸村様を嫌ってなど居なかったのだ。
 ……もっとも私もそれに気が付いたのはたった今だけれど。
「兄様、お酒が過ぎましたね。二の段でたたらを踏んでおいででした」
 兄様が赤い顔でそっぽを向く。
「幸村様、あれほど言うたのに一の段で足の向きを間違えましたね」
 幸村様が恥ずかしそうに下を向く。
「舞の一つも出来なくては、伊達の家に生まれた私が寂しゅうございます。
 明日からまた、稽古のやり直しですよ」
 私は笑って舞台に上がる。


「……私も、胡蝶の一つも舞わねばなりますまい」



初書き幸村=一番かっこいい幸村
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