ある暇な午後の一時。
手持ち無沙汰に部屋を見回すと、近くの椅子に腰掛けて待機している半兵衛の姿が目に留まった。
三つ足の小さな卓の上に水の入ったグラスを置いて、何やら口に含んでいる。
それをグラスの中の水で飲み干すと、私の視線に気づいてにっこりと笑いかけてきた。
私や父様の命令がない時は、彼はいつもこうして私の傍で笑っている。
まるでそれが自分の使命だとでも言わんばかりに。
「どうかしたのかな、お嬢様?」
半兵衛が席を立って私の方に近付いて来る。
私が自分の方を見ていたのを、何か用事を思いついたのだと思ったらしい。
私は半兵衛が飲んでいた卓の上のグラスを指差し、何を飲んでいたのか訊ねた。
半兵衛はちらりとグラスに目をやり、ああ、と呟いてから、
私に向けて少し苦笑してみせ、薬を飲んでいたんだよ、と説明した。
「ここの所は大分調子がいいのだけれど、念の為医師に言われた分は飲んでおこうと思ってね」
半兵衛は身体が弱い。
私が見ている前では極力抑えるようにしているらしいけれど、
誰も居ない廊下で苦しそうに蹲ったり、咳き込んだりしている事が時折あった。
私が心配そうにしているのを見たのか、半兵衛は私の顔を覗き込んでもう一度笑った。
「僕は大丈夫だから。お嬢様が気に病むような事は、何もないよ」
狡い、と思う。
半兵衛の優しい笑顔は大好きだけれど、時折それに全て誤魔化されてしまうような気もする。
気に病まなくてもいい、という言葉が、何故か静かな命令のように響く。
私のような人間は執事ごとき気にかけてはいけないと、口癖のように言われてきた。
それが鉛のように重くこごって、私の心に溜まる。
誰かを心配することさえ、私には自由にできないのか、と。
「……そう、私は『お嬢様』なのよね」
座っていたテーブルを立ち、近くにあったスミレの花飾りを手に取る。
半兵衛の薄い色の髪にはきっとよく似合う事だろう。
当人は男に花飾りなどと言って笑うに違いないけれど。
「だから、貴方の命令は聞かないわ」
花飾りを半兵衛に手渡し、その横をすり抜けてドアの前に立つ。
スミレの花言葉は『誠実』
そう、これからは私の前でそんな悲しい笑い方などさせないように。
ドアを開けて廊下へ出る。
「お嬢様、何処へ?」
「する事が無くて暇なのよ。屋敷を周りがてら皆の様子を見てくるわ」
ドアの隙間をすり抜けながら、背中越しに声をかける。
「養生なさい、半兵衛。貴方が私の傍から居なくなるのは寂しいわ」
「……身に余る光栄だよ、お嬢様」
半兵衛がそっと呟いたのが聞こえた。
身辺担当:竹中半兵衛