シリフ霊殿
Schild von Leiden

あなたへ、
 縁側で丸くなって日輪を浴びていると、いつの間にか主君が傍へ来ていた。
 微睡んでいたせいで気づくのが遅れたらしい。
 慌てて人型に変化して隣に腰をかける。
「何だ、狐のまんまでも良かったのに」
 元就の尾を手の平で撫でながら#奈々が笑う。
 この毛の感触が好きだ、と以前言っていた覚えがある。
「この姿の方が主の役に立てる事が多いからな」 
「でも、人間に化けるのって疲れるんでしょう?幸村とかよくぐったりしてるし」
「あれは齢が足らぬのだ。我はこの形態であれば造作もない」
 勿論、完全に人間に化けるのにはかなりの力を必要とするが、
 耳や尾など本性の一部を残しての変化ならば負担はずっと少ない。
 幸村や政宗はまだ変化そのものに慣れていないようだが、
 元就はその気になれば何日でもこの状態を維持する事が可能だった。 
「はー……やっぱ元就ってすごいんだねえ」
「そうか?」
「うん、あたし今でも不思議だもん。元就が何であたしなんかと契約してくれたのかって。
 ……というかそもそも、契約以前にも不思議が一杯」
 はあ、と金色の毛を撫でながら溜息を吐く。感嘆の溜息に似ていた。
「昔はあんまり考えなかったんだけど、でも陰陽師として知識とか経験とかつけて、
 あの時元就がしてくれた事がどれだけすごい事か分かるようになっちゃったんだ」
 あの時、とは何時だろう。心当たりが多くて絞り込めない。
 とりあえず一番可能性が高そうなものを挙げて聞き返してみた。
「妖が人間を助けるのがそんなに不思議か?」
「うーん、受けた恩は必ず返すって聞くけど……そうじゃなくてさ」
「では何だ」
「……ええっと」
 言いかけて、言いにくそうに下を向く。
「何であたしの傍に居てくれたの」

 主に嘘を吐けない立場は思いの外不便だ、と元就は思った。

「言わねばならぬか?」
 出来るだけ平静を装って主を見返す。
 これで肯定されれば仕方が無い、満足するまで話してやらなければならないが、
 話してみた所で当時の彼の心境を彼女が理解出来るとは限らない。
 元就があの時#奈々の考えを隅まで読み取る事が出来なかったのと同じく、
 妖と人間とでは、そもそも考え方が根底から違うのだから。
「最初に主の傍に居たのは確かに恩からだ。
 妖は恩も借りも忘れぬ。受ければ必ず返すのが礼儀」
「それだけ?」 
「恐らくな」
「何それ」
「昔の些細な心情など一々覚えておらぬ」
 偽りが述べられないのならば、真を削って伝えれば良い。
 確かに鮮明に覚えている訳ではない。永い年月を生きるには細かい記憶など邪魔なのだ。
 もしかすると恩でなく借りであったかもしれない。確証が無いので恩としておいた。
 恩の他に何かが混ざっていたとして、それが何であったのか想像もつく。
 しかし、それを自分から口に出せば、#奈々はきっと元就を許さないだろう。
 故に、語らぬと決めた。
「契約は……そうだな、これも色々と考えを巡らせたように思う」
 何しろ主に自分の運命が左右されかねないのだからと言うと彼女は納得した。
「覚えているのは……この娘には誰ぞついていてやらねばならぬであろうが、
 世話をするとなれば相当な苦労を要するに違いない、と」
 そんな所か、と笑談にして流した。
 実際はもう一つあるのだが、言わなくても良い事を無理に言う必要は無い。
「でも、元就は契約してくれたんだね」
「それだけ我にとって得る所が大きかったのであろう」
「どのへん?」
「さて、」
 こればかりは正直に話して差支えが無い気がする。

「どうも途中から何やら変化が生じてきたようで。よう分からぬのだ」



縁側
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