シリフ霊殿
Schild von Leiden

ゆうやけこやけとちぃ姫
 仕事の時には、色々考えたりしないようにしている。
 考えるのは仕事の事だけ、帰り道には出来ればなるべく何も考えない。
 単に今の状況をつらつら考えると気が滅入って来るというだけである。
 各地で武将達が衝突を始め、世は戦乱の時代に入りつつある。
 甲斐の国は今の所平和な部類だが、それでも国境近くでは隣国との小競り合いが絶えず、
 事実今日見てきた場所も集落が一つ焼け落ちていた。
 自分達忍びの仕事は、これからますます増えてゆくに違いない。
 今とは違う、人の血を浴びたり、人の命を奪ったりするような仕事が。

 ・・・あーやめやめ、暗い事考えてたらやってけないよ。
 山道を走りながら、軽く頭を振って浮かんできた憂鬱をかき消す。
 この程度を一々気に病んでいては、これからの時代恐らくやっていけない。
 もう少し明るい事を考えながら進む事にした。
 例えばそう、旦那また庭先で転んだりしてるんじゃないかなぁとか、
 今月の給料ちょっとは上がってるといいなぁとか、そんな感じの事を。
 (あるいは男ばっかの今の暮らしにもうちょっと潤いが欲しいとかさ)
 我ながら頭の悪い考えしか浮かんでこない。
 案外世界は頭の悪い人間の方が生きやすかったりするものだ。



 盛大に現実逃避をしていた耳に、か細い悲鳴がきちんと届いたのは偶然だった。
 もしもう少しでも長い間馬鹿な考えに耽っていたら、この子供は狼達の夜食になっていただろう。
「・・・つか、何でこんな所に子供がいんの」
 呟いた時には襲い掛かろうとしていた狼の数匹を手裏剣で仕留め、腕の中に子供を助け出していた。
 見てしまったからにはこのまま見捨てるのも目覚めが悪い、と自分に言い訳する。
 仕事は終わったし早く帰って来いとも言われていないから、少しの寄り道くらいなら構わない。筈だ。
「大丈夫?」
 残った狼達が逃げたのを確認してから、怪我の状態を調べる。
 精々擦り傷程度のもので、大きな怪我はしていない。
 ぼろぼろ涙を零して泣いているのは、恐らく大部分が痛み以外の理由からだろう。
「何でこんな所にいるのかは知らないけどさ、とりあえず一旦山から下りよう。
 ここに居たら、またいつ襲われるか分かんないし」
 既に日は落ちて久しい。木々の間から差し込む月光だけが唯一の光源だった。
 この子供一人で山を降りるのは無理だろうと判断し、背負ってやるつもりで子供に向けてどうぞと背中を差し出した。



「・・・たの?」
「え?」
 しゃくり上げながら発した言葉を聞き取りかねて、子供の方を振り向く。
「あたしを、むかえにきてくれたの?」

 (・・・あー)

 何となくその一言で、この子供が山にいた理由が分かった気がする。
 質問の答えは、結論から言えば、違う。
 自分は仕事帰りに偶然この山のここを通りかかっただけだ。
 だがここで、何も知らない子供に違うと言い切ってしまうのは少々酷な気がした。
 第一押し問答をしている時間が惜しい。
「うんそうだよー。分かったらハイ乗って、とりあえずこの山下りるから」
 少女は無言で背中に抱きついて来た。
 常人より速い速度で木々の間を駆けても、泣き疲れているのか驚く事もしない。
「名前は?」
「・・・#奈々」
 やっと、それにだけは答えた。





 城へ帰り着くのに一晩かかった。
 時刻としては朝早いが、一晩背中でぐっすり眠った子供はもう起き出している。
「佐助!」
 今年十四になる主が、帰って来た忍びの姿を見つけて駆け寄って来た。
「ただいま、旦那」
「首尾はどうであった」
「首尾も何も、今回は様子見だけだから。まぁでも今の所大きな動きはないみたい」
 とりあえず簡単に報告して、あ、と思い出す。
「あえて言うなら、これかな」
 目を覚ました子供を背中から下ろして見せる。
「子供・・・?」
「狼に襲われそうになっててねー。成り行きで助けちゃった。
 家が何処にあるかも分からないから、とりあえずここまで連れて来たんだけど」
 自分より小さい人間を見る事が少ない少年は興味津々で子供の顔を覗き込むが、子供は怯えて忍びの背後に隠れてしまった。
「ちょっと旦那、あんまり怖がらせないでよ。ただでさえ怖い思いしてきた所なんだから」
「す、すまぬ」
「子供に近づく時はしゃがんで目線合わせて、優しくね」
「うむ」
 確かにいきなり上から見下ろされては恐ろしいに違いない、と素直に膝を折る。
 そのまま再度顔を見ようとした途端だった。
「ふぇぇぇぇ・・・!」
「な、何と!」
「・・・あらら」
 逆効果とは正にこの事。
 子供は遂に泣き出し、より一層後ろ側に引っ込んでしまった。 
「さ、佐助、このような時はどうすれば」
「うーん、警戒心解けるまで待つしかないかなぁこれは」
 人見知りが激しいどころの騒ぎではない。
 一体何処で何が彼女の琴線に触れたのか分からないが、
 彼女の中では自分を助けた忍び以外は全て警戒すべきものと認識されているようだ。
 やれやれ、と溜息を吐いて子供を抱き上げる。



「ちぃ姫様のお世話は、手がかかりそうだねぇ」



これも続き物にしようとして結局しなかった話
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