シリフ霊殿
Schild von Leiden

夢一夜
 こんな夢を見た。





 駅に着くと、友人が三人既に私を待っていた。
 息を切らしながらごめん、と声をかけると、二人はにこやかに手を振り、残る一人は遅いですよと溜息を吐いた。
 男二人女二人、まだ若い四人の旅路である。
 出発にはまだ十分すぎる時間があったが、四人で居られるのもこれが最後かもしれないからと、
 それなら残された時間を皆で過ごさないかとこうして申し合わせたのだった。

 彼らは死人である。私も死人である。私達はこれから汽車に乗って川の水を浴びに行くのだ。
 川の水を浴びて前世の記憶を無くし、再び輪廻の輪に乗る。
 今更この世に未練などあろう筈もない。ただ、こうして四人でいる時間が削られていくのが寂しかった。
「#奈々、寒くない?」
 友人の一人が不意に私の方を向いてそう言った。
 寂れた郊外の駅は木枯らしが吹いている。私だけ襟巻きを巻いていないのを見て気になったのだろうか。
「俺のあげる」
 自分が巻いていた襟巻きを首から外し、そう言って私に差し出して来る。
「いいの?貰っちゃうとそっちが寒いじゃない」
「俺はいいよー。#奈々、貰って」
 寒さのせいか頬を赤くして、襟巻きを持ったまま照れたように笑っている。
 私はああこれは儀式なのかもしれない、と思った。
 互いの持ち物を交換しあえば、川の水を浴びても来世でまた友人で居られるかもしれない。
 襟巻きを受け取ってからそんな事を話すと、友人の二人には大いに受けたが、
 残る一人は無愛想なまま、何も言わずに踵を返した。



 駅から少し離れた小さな店で、彼に渡すべく襟巻きを選ぶ。
 余り鮮やかな色を好む彼ではないし、色々と柄が入っても良くない。
 先刻聞いておくべきだったと悔いていると、鈴の鳴る音がして彼が店に入って来た。
 並んだ品物を見るでもなく、ただ私が襟巻きを選ぶのを背後からじっと眺めている。
 儀式の話をまともに聞いていなかった彼の事であるから何をしているのか気になるのだと思って、
 私は貰った襟巻きを撫でながらもう一度儀式の話をした。
 彼はそうですかと一言言ったきり、やはり私の背を見つめ続けている。
「そういえば今選んでいるのは貴方への襟巻きなんだけど、どんなものが良い?」
「別に、何でも構いません」
 言うが早いか、彼はまた扉を潜って店を出て行ってしまった。
 私はああ彼女への贈り物を買いに行ったのかと別の友人を思い浮かべながら思ったのだが、
 同時に彼は今日は特別に機嫌が悪いようだともぼんやり考えていた。

 悩んで買った襟巻きを手に店を出ると、先刻の彼が戸口の外で待っていた。
「どうしたの、迷った?」
「今更こんな所まで来て迷いませんよ」
「そう?まぁいいや、はい」
 買ったばかりの白地の襟巻きを手渡す。
 彼は黙って今まで身に着けていた襟巻きを外すと、それを首に巻いた。
 使い古してこげ茶色をした革製の外套に、白い襟巻きが映えて見える。
「有難うございます」
 儀式の話に否定的だった彼の口から謝礼の言葉が出たので驚いたが、
 彼がその後真っ赤な襟巻きを差し出してきたので更に驚いた。
「これは貴女に」
「えっ」
 私は思わず襟巻きを押し返した。
「駄目だよ、これはあっちにあげないと」
 四人一緒に居る為に、四人で輪のように順繰りに渡していくのを想像していたのだ。
 ここで贈り返されては輪が切れてしまう。襟巻きはどうでも彼女に貰って貰わなければならない。
 混乱した頭でどうにかそれを伝えると、彼はいいんです、とやや語気を強めながら言った。
「彼女にはこちらを差し上げますから。これは貴女に」
 先刻まで彼が巻いていた灰色の襟巻きがもう片方の手に握られている。
 ああそれなら大丈夫だと安心して、それでもおずおずと私は襟巻きを受け取った。
 襟巻きを取り替える訳にもいかないので、軽く畳んで外套の内側に仕舞い込んだ。
 彼はそれにやや不満そうではあったが、やがてそろそろ行きますよ、と言って歩き出した。
 迷うといけないので、私も慌てて後へ続いた。



 四人揃って襟巻きを巻いて、粗末な木製の貨物車に並んで寝かされ、私達は川へと向けて出発する。
 私に襟巻きをくれた二人が私の両隣に並んでいるのが酷く落ち着かない。
 ふと、彼を隔てた向こうの彼女の事を思った。
「どきどきするねー」
 右隣の彼が普段の調子で話しかけてくる。
 私は仰向けから視線を逸らさないままそうだね、と返した。
 どちらの側を向くのも、気まずくて出来そうにない。
 やがて貨物車がごとごとと揺れ出して、列車が動き出したらしいのが分かった。
 駅から川までの距離はそう遠くない。
 そろそろだな、と身を固くしていると、不意に左隣から手を掴まれた。
 平熱よりもやや高い体温の感触がする。
 貨物車が大きく揺れだして、私達の上に川の水が降り注いでも、そうして意識が浮遊しても、
 熱い手の感触が私の左手にいつまでも残り続けた。





「#奈々、おい、#奈々!」
 揺り起こされて目が覚めた。
 見慣れた居酒屋の一角、目の前に並んだジョッキが飲酒量を物語っている。
「お前大丈夫かよ、歩いて帰れるんだろうな」
 軽口を飛ばしながら覗き込んでくる友人達はあの時の彼らでは無い。
 そもそも彼らは今にして思うと日本人でも無かったのだ。仕方の無い事だろう。
 ジョッキを押しのけて身体を起こしながら大丈夫、と返す。
「もう帰るの?」
「いや、俺らはもうちょい飲んでくけどよ。お前もう無理だろ、先帰れよ」
 友人の一人が壁にかけてあった私のコートを取って差し出してくれる。
 その動作が照れながらマフラーを差し出してくれた彼に似ていると思った。彼ではないのが寂しい。
 差し出されたコートを取ると、下から真っ赤なマフラーが現れた。
 これは今日彼らとの待ち合わせの時から巻いていたもの。自分で店に行って買ったもの。
 けれども束の間、怒ったように私にこれを差し出して来た彼の姿が浮かんだ。
 それは一瞬で私の思考の大部分に広がり、脳裏に焼き付き、私に経験した事の無いような焦りを起こさせた。
「おい、どうした?」
 訝しがる友人達を尻目に私はコートとマフラーを奪い取り、羽織りながら居酒屋の出口へと急いだ。
 酒が足へ回っていないのは僥倖と言うべきだろう。
「ごめん、ちょっと約束思い出した」
「約束って今何時だと思ってんだおい、どんだけ待たせてんだよ」
「知らない!ごめんマジ行って来ます!」
 居酒屋を出ると、街の風景は見覚えの無い何処かのように見えた。
 当然だ、あれからどれ程の時間が経っているのだろう。五十年、六十年、いやもう少し。
 あの寂れた駅も貨物車も、ここから走って行ける場所には無いかもしれない。
 それでももう一度行かなければ、と思った。
 息を切らしながら列車の線路脇を走ると駅が見えた。この駅は昔こんなに寂れていたのか。
 先刻の友人達が使った事も無い駅の前には、こげ茶の外套と白い襟巻きの彼が立っている。
 彼はゆっくりこちらを振り向いて一言遅いですよ、と言った。




実際こんな夢を見たので文章に起こしてみた次第
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