シリフ霊殿
Schild von Leiden

きんつばの香りと添い寝を
 蝉の無く初夏である。
 広い屯所の中にあっては空調の効いて涼しい所などそう無いのが事実なのだが、この男の傍だけは何故かいつも涼しい。
 (猫は家中で一番涼しい場所を知っているというけれどねぇ)
 隣で茶菓子を頬張る隊長殿を眺めながら、#奈々はこっそりと首を傾げた。



「これ、美味ェな」
 縁側で蝉と風鈴を聞きつつ食べているそれは客用の高級茶菓子。
 幕府の高官の口に合うよう作られているのだから、美味いのは当然だろう。
「お茶もありますよ、沖田さん」
 水出しの緑茶が入った湯飲みを差し出すと、沖田は怪訝な顔をして#奈々を見た。
「何かありましたか?」
「#奈々は食わねェの?」
「まぁ、私如きが沖田さんのご相伴に預かるなんて」
 笑って誤魔化した心算だったが、沖田は見るからに不満そうな顔になった。
 彼が#奈々の立場を気にする発言を快く思わないのは知っている。
 元々この菓子も、二人で食べる心算で持ち出して来たのだろう。
「アンタも食いなって」
「いえ、私は」
「命令な」
「……はい」
 それがこうでも言わなければ#奈々は自分の前で物を食べようとしないのだから、不機嫌になるのも当然といえば当然だ。
『好き合ってるって思ったのは、俺の思い違いか』
 彼が時折そう呟くのを#奈々は知っている。
 遠慮がちに菓子を口に運んで、美味しいですねと言って笑って、
 それでようやく向こうも一心地ついたように微笑うのだ。
 言われなければそれが出来ない自分に、彼が納得してくれる事は無いけれど。





「沖田さんもまた土方さんに叱られてしまいますよ。私なぞを相手にして……」
 砂糖と水飴をふんだんに使った菓子はそれは甘かった。
 甘すぎて喉が焼ける。声が掠れる。
「私はただの使用人、沖田さんは隊長殿ですから。
 余り身分違いの者ばかり相手にしておられると、沖田さんの評判にも響きますし」
 それに、と続けようとした所で袖を引かれた。
 菓子を放り出した沖田が真っ直ぐこちらを見つめている。
 逃げようとした手を今度こそ掴まれた。
「あの、沖田さ」
「お前そんなにあの野郎が好きか」
「え?」
「言われた事全部鵜呑みにする位、土方が好きか」
 土方という男が何を言ったのかは察しがつく。
 余り自分に、#奈々という女に関わらないようにとでも釘を差したのだろう。
『……報われねェから』
 彼はそれを、副長が使用人との関係を気にしているからだと受け取った。
「いいえ……そんな」
「お前の上司、誰だっけ」
「……沖田さん、です」
「じゃあ腹膨れたから、お前の上司に膝枕して」
「はい、それはまぁ、構いませんけれど」



 何故沖田がいきなり膝枕などという単語を持ち出したのか、一応察しはついていたのであえて尋ねる事はしなかった。
 (でももしかしたら、聞いて貰いたかったのかもしれない)
 自分の膝の上で鼾をかいて眠る上司。
 彼に謝る事が出来るのは何時になるだろう。



「私が古い人間なばっかりに、ごめんなさい」



ほのぼのを書こうとして失敗した記憶
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