会議室の扉を開けると、案の定片方は不機嫌そうな顔をして睨んで来た。
彼の不機嫌さは平素からなので、彼女は今更特に気にもしない。
「何の用だ」
「オーストリアにピアノを聴かせてもらう約束があって」
「それだけの理由で軍の会議室に入って来るな」
「だって3時の約束だったんだもの。4分も過ぎてるわ」
笑いながら懐に隠し持っていた拳銃を出して見せびらかしてみせる。
別に発砲する気も脅す気も無いのだが、生真面目な彼はこれだけで彼女の不満度を勝手に量って判断するのだ。
「……10分後には必ず片を付ける。だからさっさとその武器を仕舞って会議室から出て行け」
「分かってるわよこの生真面目ヴルスト!」
「フロイライン」
戦略会議中にも関わらず会議室に堂々とコーヒーを持ち込んでいた彼が、
音もさせずにカップをソーサーに戻しながら初めて口を開いた。
「何?」
「女性が武器など持ち歩くものではありませんよ」
「分かってるわよ。……でも、仕方が無いじゃない。この物騒さじゃ」
少女は銃をポケットに仕舞いながらそう言ってむくれた。
大理石の部屋にピアノの音はよく響く。
オペラでピアノといえばオーケストラの陰に隠れがちなものだが、
魔笛よりピアノソロの方が聴きたくなる事も偶にでは無くある。
そういう時は彼に頼んで何かしら弾いてもらう事にしているのだ。
「ピアノがお好きなんですか」
「どっちかと言うとピアノも、かしら」
ちなみに本日の選曲はリストのカンパネラである。
「綺麗な音楽は大体何でも好きよ。来週も日本にカブキとキョーゲンを見せて貰う約束をしてあるし」
「……娯楽ばかり追いかけるのは宜しくありませんよ」
「あら、貴方がそんな事を言うなんて」
「言うのは貴方のお父上が、です。フロイラインはもう少し慎ましくなさい」
「父様の事なら心配しなくても大丈夫よ。とっくに亡命の準備整えてるもの」
ピアノの音が一瞬だけ止んだ。楽章が変わったのか、それとも。
「……フロイライン」
「私、残ろうかしら」
「フロイライン」
「だって、何処に逃げたってこの国の外じゃどうせ私達悪者扱いじゃない」
そんな事になるぐらいならいっそ、ね。
手の仕草で促され、曲の続きが始まる。
「別に私、貴方と一緒にここで死ぬのも悪くないと思うの」
「……私達が負ける事前提ですか」
「ピアノ弾きながら勝てると思う程暢気じゃないわよ」
「それはまぁ、そうですね」
変奏が重なり、小さな音楽室を埋め尽くす程に高まってゆく。
リストの曲は変奏部分を弾きこなしさえすれば良いのが良い。
情緒豊かに弾かない曲で良かった、と彼は密かに思った。
「……けどね、もしこの戦争が終わっても貴方と私が生きていられたら」
言葉の続きは彼のフォルテシモに掻き消された。
フロイラインという響きが好きです