シリフ霊殿
Schild von Leiden

壷中の月
 冷酷な人だとは思っていたけど、残酷な人だとは思っていなかった。
 恐ろしいとは思っていたけど、こういう意味で恐ろしい訳じゃなかった。
「これは、」
 とん、と武人にしては細い指が首桶の蓋を叩く。
「三日前に庭先で其方と話をしていた男だ」
 見てみるか?と問われて、震えながら首を横に振る。
 端から肯定など期待していなかったのか、指はあっさりと次の桶に移った。
「そしてこれは五日前に同じ事をしていた者……其方は覚えて居らぬであろうが」
「……大殿より他は、意に留めませぬゆえ」
 本当を言うと、覚えている。
 大殿に近しい私に近づく事を恐れる人間も多いから、記憶に残り易いのだ。
 けれど、覚えている事を果たしてこの人が許すだろうか。
 我ながら白々しい嘘だと思ったけれど、こう答える以外に思いつかなかったし、
 幸いにも彼はそれで満足してくれたようだった。
 ずらりと並んだ首桶の数を数える気力も無い。
「……さて」
 すい、と切れ長の目が私を捉えた。
「我の物に手を出した愚か者は、これで終いか?」



 この座敷に閉じ込められたのは昨日の事。理由は多分、考えるまでも無い。
『欲しいものがある』
 命じられて傍に侍っていた時に、不意にそう言葉をかけられた。
 呟きにも似た言い方だったから私に向けられた物かと首を傾げた後で答えた。
『それは、手の届かぬ物なのでございますか?』
 まさか天に浮く月が欲しいなどと夢想するようなお方でも無いだろうから、
 例えば手に入れる為に戦の一つや二つでも起こさなければならないような物なら、
 流石のこの方も躊躇などなさるのだろうと。
『……判らぬ』
 ぽつりと、これもまた呟きに似た言葉。
 これは大殿らしくない応えが返って来た、と思った。
 亡くなったご正室の次にという事で嫁いでしばらくになるけれど、
 智将と呼ばれた殿がこんな歯切れの悪い言い方をするのは初めてかもしれない。
『我には判じがつきかねるのだ。手に入れた心算で居ったが果たしてそうなのか、
 真に手に入れるには一体どのような手を講じれば良いのか……』
 応えも呟きを通り越し、まるで詩のように抽象的で、合いの手が入れ辛い。
 形の無い物を相手取ったら、どんな人間でも案外こんなものなのだろうか。
 きっとそう、例えば先の戦で得た土地で領民が新しい領主に不平を漏らすかして思い通りにならずにいるとか。
 それなら一度視察に行って、現状を把握した方が手も打ちやすいのでは。
『すぐ傍でご覧にならねば分からぬ事もあります。
 その様な物は、まずはお手にとってじっくり眺めてみてはいかがでしょうか?』
 私としてはそんな気持ちで言葉遊びでもするように言ったのだけれど、
 大殿はやけに神妙な顔をして一理あるな、と呟いた。
『要は今少し手元に引いてみよ、という事か』
『はい』
『仮に抗うとして……骸ならば抵抗もするまい』
『ほほ、お手柔らかになさいませ』
『其方のお陰で良い案が浮かんだ。流石は……』

 流石はこの我が欲した女よ。

 言葉の意味を考えている内に手を引かれて、身体に衝撃が来て気を失って、
 気が付いたらこの座敷だった。



「どうだ、これで貴様は真に我のものか?」
 大殿が私の顔を覗き込んでくる。
 その表情は酷く無感動で、私には何の感情も、邪気すらも読み取れない。
 自分の物になるのは嫌だと言われれば、この人は躊躇い無く私を殺すだろう。
 そして二度と抗う事の無い私の骸を抱いて、それを愛で続けるのだ。
 考えたら恐ろしくなって、抗うのは止めた。
「それともこれしきでは足りぬか。まだ誰ぞ居るのか?誰を殺せば良い?」
 何度も何度も、自分の手元に在るのを確かめるように私に触れる。
 私があんな事を言ってしまったから、本当に自分の傍に在るのか不安なのだろう。
 ああこの人はきっと奪う事しか知らないのだ、と思ったら、恐ろしさは消えた。



ヤンデレヤンデレ
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