シリフ霊殿
Schild von Leiden

100文字分の距離
 講義が終わって教室を出ると、先輩、と呼び止められた。
 振り向くと琥珀色の頭が揺れながらこちらへ向かってくるのが見える。
「#奈々先輩、この後も講義ですか?」
「いや、あたしは今日はこれで終わり。そういう不二は?」
「僕も休講が入ったので、これで終わりです」
「そっか」
 時計を見るとまだ昼過ぎ。
 テニスサークルは最終講義が終わるまで始まらないから、大分間がある。
「じゃあサークル始まるまで暇だね……折角だしどっかでお茶でも飲もうか」
「え、」 
 一瞬嬉しそうな声がしたけど、あたしが時計から不二の方に視線を戻した時には、
 何故か少し後ろめたそうな複雑な表情をして黙り込んでいた。
「ん、何、どうかした?」
「いや……どうという程の事じゃ……」
 不二が続きを言うのを待っていると、やがて小さな声で「レポートが……」と聞こえてきた。
「文字数が多くて、まだ終わってなくて……」
「提出いつ?」
「あ、明日……」
 わお、そりゃ大変だ。
 ていうかこの子レポートとかそんな苦労しなさそうなイメージがあるのに、珍しい。
 あたし文字数なんか気にせずに適当に書いて出しちゃうけどなー……
「よっし、そんなら先にそれ上げちゃおうか。パソコン室に行き先変更ー」
「わ!」
 不二の手を引いて階段を上る。
 先輩、と盛んに呼んで来るので振り向くと、不二が一生懸命ついて来ていた。
 というか、ついて来るも何もあたしが手掴んでるからついて来ざるを得ないのか。
「ん、何、パソコン室行かないの?」 
「行きますけど、というかそうじゃなくて手、」
「手?ああ、手握られるの嫌いか」
「……嫌い、じゃないですけど」
「じゃあ別にいいじゃん。勢いで握っちゃったし、ついでだついで」
「……はい」
 再び階段を登り始めると、不二は今度は黙って手を引かれるままについて来た。
 心なしか顔が赤い気がする。気のせいか。



 パソコン室で不二の書きかけだというレポートを見せてもらった。
 ああ、この先生か。
 あたしも受け持ってもらった事あるけど、レポートの文字数やたらと多いんだよねー。
 絶対こんなに文字数いらないって。半分で済むって。
 よく提出前にヤケ起こして半分以下の文字数で提出したりしたもんだ。
 (……正直、自分でもよく単位貰えたよなぁと思う)
「あ、でも、もうちょいじゃん」
 見せてもらったパソコン文書には所狭しと文字が書き込まれていて、
 数えると規定の文字数まであと100字といったところだった。
 こんなびっしり書いてそれでもきちんと考察してまとめてあるんだから、
 後輩ながら不二ってすごいなぁ。
 すごいけど素直に口に出して褒めたりしたら先輩の沽券に関わるよね。畜生。
「ここなんだけどさ」
 文書の中の、いまいち練り込みが足りてないような箇所を探して指で示す。
「ここですか?」
「そうそこ。そこもうちょい練って増やしてみれば?結構文字数増えると思うよ」
「うーん……」
 少し首を捻った後、カタカタと指がキーボードを叩き始める。
 不二はパソコンを扱うのも上手い。
「こんな感じ、でいいかな?」
 独り言が聞こえてきたので視線を画面に戻すと、
 やや文字数の増えた(気がする)文書が映し出されていた。
「行数で数えていち、にー、さん……うん、OKOK」
 内容については問わない。
 要は文字数さえ足りてればいいのだ。それなら減点も少ない。多分。
 第一内容について詳しく言及したらあたしの頭の悪さが露見する。
「ありがとうございました、先輩」
「いえいえどういたしまして。不二レポート書くの早いよ」
 マジで。
「んじゃ……今度こそお茶飲みに行こうか」
 レポートを書くのが予想以上に早かったせいで、タイムロスはそれ程多くない。
 むしろお茶にサークルの時間まで費やしてもいいんじゃないかと思う程だ。
 (まぁ、この子はテニスが大好きっぽいのでそんな事は言いませんが)
「……ほ、本当に行くんですか?」
「嫌?」
 ためらうような感じがあったのでそう言うと、ぶんぶんと首を横に振る。
「ああ、心配しなくてもおごるから」
「違、そうじゃなくて」
「じゃあ何?」
「……何か、デートみたいじゃないですか」
「はい?」
 デートってまさか、あたしと不二の?
 思わずきょとんと不二の顔を見つめてしまった。
 不二は呆れられたと思ったのか、恥ずかしそうに視線を逸らしてしまう。
 ……不覚にも可愛いと思ってしまった。


 (そしてあたしは可愛いと思った子はとことん弄るタイプである。)


「そーかーそれじゃデートに行こうか!」
「はあぁ!?」
 パソコン室の人目も何のその、再びしっかりと不二の手を掴む。
「デートならお茶くらいじゃつまらないな、このままネズミの国行くか!」
「#奈々先輩!」
「冗談だって冗談。ネズミの国は今度の日曜な?」
「……っ」
 不二が真っ赤な顔をして俯いたものだから、うっかり後半部分を冗談に出来なくなってしまった。

 さて、どうしようかね。



不二はきっと可愛い後輩ですよ
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