シリフ霊殿
Schild von Leiden

猫と暮らす十のお題
 雨の日に捨て猫。
 うん、中々ありがちなシチュエーションだ。
 しかも座り込んでいるのは雨風など凌げそうに無い電柱の根元だったりする。
「何だよーちくしょーウーノのばかやろー……」
 猫らしく実に頭も悪そうだ。
 多分このまま放っておいたってこれ以上馬鹿になる事はあるまい。
 風邪を引きそうにも無い事だし。
「寒いよー……腹減ったよー……」
 ……
「あったかいもん食べたいよー……」
「……君、うちに来る?」
 思わず声をかけると、猫は三角の耳を揺らしてばっとこっちを向いた。
「い、いいのか?」
「……うん、一応」
 馬鹿な子ほど可愛いとはよくも言ったもんだ。





 猫は概して魚介類が好きなものだ。
 正確には魚介類などプリン体を含むものが好きなのだとか、
 実際生のイカをやると下痢をするという話もあるらしいがまぁそれはそれとして。
「言っとくけどこれは私の分だからね?」
「ぶー!」
「ぶーじゃない」
 今しがたオーブンから出てきたばかりの焼き魚。
 良い匂いもしている事だしまぁ隠し通せるとは思ってなかった訳だが。
「君はあったかいもん食べるんでしょう?」 
「君じゃねーよ、フォース!」
 捨て猫の癖に名前は有ったらしい。
 実に頭が悪そうに、えっへんと胸を張って名乗りを上げる。
「じゃあフォース、君のはこっち」
 電子レンジでチンした牛乳。
 猫が口をつけられるような入れ物を探すのに結構苦労した。
「……ケチくさ」
「嫌なら今から元の所に戻ってもらっても構わないんだけど」
「すいませんもらいます」





 粗食とはいえ一応腹の虫は落ち着いたらしく、
 猫はカーペットの上で丸まってうつらうつらとし始めた。
 せっかく静かな今の内に、人間様の分の食事を作っておこうと台所に向かう。
 鍋から良い匂いが漂うにつれて、猫の鼻がぴくぴくと動き始めた。
 きゅるるるる、とさっきは聞こえなかった虫の音まで聞こえてくる始末。
 ……食事の匂いがすると腹が減ってくる体質なんだろうか。
 少しくらいはおすそ分けをしてやろうかと、丸まっている猫に近づく。
「あ、そうだ」
 ガリッ
「痛った!」
「俺まだアンタの名前聞いてない!」
「それを聞く為だけに私の手に不意打ちで爪を立てたのかお前は……」
「え、あ、ゴメン驚いたら無意識に爪がっ!」
 ごめんなさいごめんなさいと狂ったように謝るので怒る気が失せた。
 そんなに元の場所に戻されるのが嫌か。
「……#奈々」
「え?」
「#奈々だから。私の名前」
 絆創膏を探そうと踵を返すと、背後から猫に呼び止められた。
「#奈々、#奈々!」
「何?」
「えへ、呼んでみただけー」
「……」
 この馬鹿猫もういっぺん外に放り出してやろうか。





「はい」
 鍋から小さな器に夕食を移して、テーブルにつかせた猫の目の前に置いてやる。
「くれんの?」
「さっきお腹鳴ってたしね」
 苦笑しながら差し出すそれは、牛乳のたっぷり入ったクリームシチュー。
 先刻オーブンで焼いていた鮭も、ほぐして入れてある。
 気にしていた訳ではないけれど、これならケチくさいなどとは言えないだろう。
「ありがとう!」
「いやいや」
「……#奈々」
「何?」
「俺猫舌」
 冷蔵庫から残った牛乳を出して、猫の皿にどばどばと注ぎ足してやった。





 食事が済んだ所で、湿って乱れていた毛をドライヤーを使って乾かしてやる。
「熱!熱い!」
「暴れると熱いの皮膚に直に当たるよ!」
 言って聞かせても熱い熱いと騒ぎ続ける、所詮ケダモノ。
 押さえつけようと動かしていた手がふとある一点をかすめた時、
 暴れていた猫がふへっと頭の悪い声をあげて動かなくなった。
「……今の所がよかった?」
「ん〜……」
 声も無い。
 何にせよ暴れないのは良い事なので、引き続き撫でてやりながらドライヤー続行。
 こんな猫でも、顎の下を撫でてもらうのは気持ちが良いのか。
 ごろごろと喉を鳴らす振動が伝わってきた。
 ……ああ、猫だなぁ。





 ドライヤーの電源を切って後の記憶が少し無い。
 どうやら居眠りしていたらしい。
 仕方が無いんだと言わせてもらいたい。だって色々有ったんだ。
 仕事で失敗したとかバーゲンやってたとか猫を拾ったとか猫を拾ったとか云々。
 夢も見ずに眠る、という表現がよく小説なんかではあるけど、
 どろどろに疲れていた割にはちゃんと夢を見た。 
 といっても良い夢では決して無くて、むしろ悪夢?
 江戸時代の拷問を受けている夢だった。あの、膝の上に石を乗せられるやつ。
 白状してようやく石を退けられたと思ったら、罪が確定したから火あぶりだという。
 熱い。
 ていうかむしろ暑い。
 暖房が効いてるのにこの大量の毛布は暑い。
 ……ん、暖房?
「あ、#奈々起きた!」
 目の前には何枚目かの毛布を引き摺った猫。
 それを誰にかけるつもりなのかは、今更聞くまでもあるまい。
「……これ、フォースがやったの?」
「おう!」
 胸を張るな、胸を。
「#奈々が風邪引くと思って!」
「……ありがとう」
 でも毛布は一枚で良いから残り片付けておきなさい。





 毛布を片付けて置くように言いつけてソファを立つと、猫が後ろからついて来た。
「……何?」
「どこ行くの?」
 そういえばこの猫はまだ家の内部について詳しく知る訳ではないのだった。
 毛布なんか相当ひっかき回したらしく、
 押入れが大変可哀想な事になっているのが見える。
「お風呂。入ってくるの」
「……」
 心なしか後ずさりする猫。
 やはり猫は水を嫌うものらしい。
「心配しなくてもさっきドライヤーかけたからフォースは入れないよ」
「ん……」
「何、歯切れが悪いね」
「……上がって、くるよな?」
 何だそれは。
「……私に風呂で溺れて死んでしまえと?」
「やっ、そうじゃなくて!そうじゃないけど!」
「心配しなくても、すぐに上がってくるよ」
 苦笑しながら服のボタンに手をかける。勿論湯船に入るためだ。
 猫は慌てて風呂場から逃げていった。
 ……私が風呂に入ったままいなくなるとでも思ってるのか、あいつは。





 ぱしゃん、と湯船の水面が揺れる。
 風呂に入るというストレス解消法を生み出した古代の日本人は偉大だ。
 窓の外からはまだ雨音が響いている。
 それを打ち消すように殊更大きな音を立てて湯船を立ち、身体を洗う。
 毎度毎度几帳面にやらなければならないのは負担といえば負担だけど、
 やらないと女としての価値だけじゃなく給料にも響くのだから仕方が無い。
 こういう仕事してると、人間第一印象と見た目が大事というのを痛感する。
 髪の毛も時間をかけてトリートメントして、上がったら肌ケアもしっかりして……
「#奈々ー、まだ?」
「入ってくるなぁぁぁ!!」
 ついでに上がったらそこのびしょぬれ猫も一緒にドライヤーでお手入れのし直し。





 ベッドに入ると、猫は当然のように布団の中に入り込んできた。
「……猫って普通、布団の上で丸まって寝るものじゃ?」
「だって寒いじゃん」
 突っ込みはするだけ無駄らしい。
 猫なので寝相が悪い事も無かろうと思い直して、気にせず寝る事にした。
「……#奈々」
「何?」
「俺がここ来て、邪魔だった?」
「うん」
 即答すると、布団の中で猫がへこんだ。
「まぁ、その邪魔が不快だったら今頃雨の中に放り出してるんだけどね」
 一言で復活する辺りは所詮ケダモノ。
 ごろごろと喉を鳴らしながら布団の中の身体に擦り寄ってくる。
 尻尾がくねくねふわふわとして柔らかい。
「#奈々」
「何?」
「#奈々」
「だから何ってば」
「ありがとう」
「は?」
 それきり猫は返事をしなくなった。
 布団をめくってみると、既にすやすやと寝息を立てている。
 猫の語源は『寝る子』から来ていると言うが、案外本当なのかもしれない。
 眠りに落ちた身体は温かい。久し振りに感じる生き物の温かさだった。


 朝起きると家の中から猫は消えていた。





 そういえば拾った時、誰か他の名前を呟いていたような気もする。
 もしかすると飼い猫で、飼い主と喧嘩して出て来ただけだったのかもしれない。
 だとしたら待つだけ無駄というものだ。
 そう思って窓を閉めた。シャワーだけ浴びて、寝ようと思って。
 踵を返した瞬間、カリカリと何かを引っかくような音がする。
 振り向くと昨夜の猫が入れてくれと窓を引っかいていた。
「何だ、ご主人様の所帰ったのかと思ってたのに」
「ご主人様、って……俺のご主人様、#奈々じゃねーの?」
 頭が悪そうに首を傾げるその仕草が、酷く懐かしい。
「じゃあ勝手にご主人様の所から離れて何処に行ってた訳?」
 気がつかない内に咎めるような口調になる。
 猫は少しだけ首をすくめて、後ろ手に持っていたものをそろそろと差し出した。
 片手に余るほどの花束。
 それもその辺に咲いてそうな雑草の。
「俺、邪魔するばっかで何もできないから……花ぐらいはって……
 でもこの辺、中々花なくて……花畑とかないかなって、探してたら遅く……」
 何処まで探しに行っていたものか、花は少しといわず萎れている。
 花瓶なんてこの家にあったかどうか、家中引っ掻き回さなくちゃならない。
「……#奈々」
「何?」
「腹減った」
 にへらと頭の悪そうな笑い。
 昨夜は同じ台詞を泣きそうな顔で呟いていたというのに。
「……夕飯の残りでよければあるよ」
 溜息をつきながら踵を返す。
 猫がやり、と言いながら敷居を跨ぐ。



「ただいま、#奈々」
「……おかえり」



友人に指定されたもののキャラを知らなくて必死で調べた記憶
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